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先日、宮崎勤の死刑執行が行われました。死刑判決が下ってから2年数ヶ月のスピード執行だということだけれど、宮崎が凶行を行ったのは20年も昔のことです。
死刑執行されたといっても遺族や親族の方々のことを考えると、死刑などでは済まされないだろうと感じます。死刑執行されるまでの20年間、いえこれからもずっと永遠に、遺族の方々の悲しみは消え去ることは無いわけで……。

もしも宮崎の凶行が6年早かったら……。
もしもあの犯行を彼が未成年の時に行っていたら、彼は死刑にすらなることなく、“更正”“社会復帰”の名目の元、今ごろは一般人となっていたことでしょう。

仇討ちが許されるわけはありません。どんな理由があるにせよ、人を殺すことは許されることではありません。
でも、もしも自分の子供が宮崎のような奴に殺されたとしたら? きっと自分の社会的な立場や残る家族の事も考え、泣き寝入りをするのだと思うのですが、仮に私に守るべき社会的な立場も家族も無ければ自分の心がどうなるか自信がありません。

今年6月、少年法が改正され被害者側の裁判傍聴が可能になったけれど(それまで不可だったとは知らなかった)、それはその後の判決如何で遺族の悲しみを増長することになりはしないかと危惧します。

本来、法律とは善良な国民を守るためにあるはずですが、ある一面では凶悪な犯罪者をも更正を前提に助け、残された者の苦しみを増大させている………。
“映画化再び!”を意図したような結末(この著者の『手紙』が、一昨年映画化されてます)が個人的には今ひとつだったけど、考えさせられる作品でした。

今年改正された少年法や来年から導入される裁判員制度など、しっかりと考えなくてはいけないな、と痛感させてくれた一冊でした。