その昔フィリピンの片田舎で極貧の子供たちと出会い、彼らのための学校を建ててあげたら…と思いついたことがありました。
そこで帰国後、ある資産家に学校を一緒に建てませんか、と相談しました。

現地で聞いたところでは300万円ほどで立派な学校が建てられるとのことで、私は自分が知る、先ほどの資産家の方や企業の社長さん達に賛同を得られれば簡単な事だと、タカをくくっていたのです。
実際、ほんの数人に会うだけで私の夢は現実味を帯びてきました。

ところが、何人目かの実業家に会った際に「学校なんて本当は必要ないんだよ。彼らがいま一番必要なのは先生さ。先生さえ来てくれれば学校なんて青空教室で充分なんだよ」と言われ、金さえ集めれば良いだろうと考えていた自分の愚かさを気付かされました。


一昨日放送されていたTBSテレビ「夢の扉」で、カンボジアにいくつもの学校を建てたおばあさんが紹介されていました。

学校を建てるまでの苦労が報じられていました。
けれど肝心の先生をどうしたか、については何も触れられていませんでした。
まるで学校さえ建てれば先生が来てくれるような報道でした。

ゴミの山を裸足であさる子供の姿が映し出されていました。使用済み注射針も散乱しているゴミの山です。そのゴミの山の中から売れそうな金属類やポリ系のゴミを探すのです。
朝から夕方まで一日中ゴミを漁って2円の収穫だそうです。いくら物価が安いといっても、たった2円で何が買えるというのでしょう。

教育は絶対に必要だと私も思います。けれど学校を建てても教育者がいなければ、ただの建築物に過ぎません。
仮に学校が出来て先生が来ても、生活に追われる家にとって、子供も大事な労働力なのです。もっと収入を得られる仕事を大人達に与えてあげる方が先ではないだろうか…と思うのです。




何も出来ない自分がもどかしく感じます。