中学生になり練馬から世田谷へ引っ越した頃。

練馬では皆無…といってもよかった塾が、当時の世田谷には至る所にあって驚いた。
そして困ったことに、仲良くなった友達達の殆どが塾に通っているのだった。
部活動を終えての学校からの帰り道、「何して遊ぼうか?」と誘えば、皆んなが皆「塾があるから」。

結局、自分も親にねだって塾に行くことにした。親としてみれば「うちの息子が自ら勉強するようになった!」とさぞ嬉しかった事だろう。しかし、私の目的は勉強ではなかった。友達がいるから行くだけなのだ。
ところが、どこにでも同類はいるもので、塾に行ってみれば全員が勉強しているわけではなかった。

当時、その塾は風呂屋の隣のビルの2階にあって、教室最後列の窓から女風呂が覗けるのだった。結果、勉強などに興味のないワルガキどもは争って最後列の席を奪い合うことにる。金を出してくれた親には、いまにして思えば申し訳ない…のひと言だ。

私が中学時代にお世話になった、その塾は東邦学習会といった。私が通い始めて半年もしないうちに駅前の近代的なビルに移転し、女風呂を覗く楽しみは断たれてしまった。しかし、素晴らしい先生達が一杯いて、私は何度か先生の自宅に遊びに行き、食事をごちそうになり、泊めてもらったりもした。勉強が出来る、出来ないで差別をしない先生達だった。その上、勉強の教え方も上手だった。

中学2年の夏休みあたりから“受験”の言葉が私の脳裏をも横切り始め、私は勉強に専念するようになった。自分が通う学校とは違って、塾の先生はみな好きだったから、勉強は苦痛にならず、むしろ楽しかった。
いつも下から10番以内をウロウロしていた私の成績は、あれよあれよと上がって、3年の2学期中間試験以降は上位10番以内に入るようになっていた。
おかげで私は、かなり偏差値の高い志望校に合格した。

その後、社会人になり私は世田谷を離れた。その何十年か後、再び世田谷に戻ってきた私は息子もその塾に通わせた。何人かの入れ替わりはあったものの、私がお世話になった先生達もご健在だったからだ。そして息子も同様に、第一志望校に入学できた。

しかし、少子化のあおりを受け、その塾は今は無い。