仕事でメールを利用し始めた十数年前、ちょっとしたことでトラブルになったことがある。
大した内容ではなかったのだが、私が書いた文章に相手への気配りが少し欠落していたことで誤解を与えてしまったのだ。
返信されてきたメールの、話の矛先がずれた内容からは先方の怒りが感じ取れた。相手の誤解を解こうとメールを返信したら、それは更なる誤解を生み、感情がむき出しになった返信メールが再度届いた。更に説明メールを送ったら、誤解は曲解に変貌し、もはや収拾がつかなくなってしまった。

大したことでは無いのに面倒な事になった、はてさて困ったと思案するうちに、メールでは埒があかないと先方の元へと出向いた。会って説明したら、肩すかしを食らったようにあっけなく解決した。
私のメール文章も拙かったのだろうが、先方も感情剥き出しで文章を書く癖があったようだ。会ってみればむしろ気の弱い、どちらかといえばおとなしい人間だった。

メールを多用する私の知人がいる。多用している割にはメールの文章が私にはきつく感じられる。だから私は彼とのメールでのやり取りを極力避けている。こちらの気分が悪くなるから。
きっと同様の気持ちでメールを受け取っている人もいると思うのだが、彼には私のようなトラブルはまだ派生していないのだろうか? 現に私との関係が疎遠になっている事実をどのように感じているのだろう?

前者の彼も後者の彼も、会えば物腰静かなおとなしい人間だ。どちらもタイプ的には似ている。思うに言葉では自分の気持ちをストレートに伝えられないのかも知れない。だから文章がきつくなるのではないか。

会話は相手の表情を伺いながら出来るので、もしも気に障ったようなことを言えばその場で感じ取り、わびることも出来る。仮に電話で相手の顔が見えなくとも、声のトーンで気持ちをくみ取ることも出来る。だがメールは常に一歩通行だ。相手の表情も、ましてや感情などは読みとれない。

メールはとても便利だけれど、メールでコミュニケーションを取るなど、私には到底無理だ。かといって時候の挨拶を手紙にしたためることも無くなった。これが今の時代なのだろうか。