今日の産経新聞朝刊のコラムに、フランスの犬の行儀の良さが書かれていた。躾がしっかりしているので、レストランに連れて入る人もいるとのことだった。ほとんどの飼い犬が介助犬のような行儀の良さなのだそうだ。
私個人は犬が大好きなので、食事している側に犬がいてもなんら嫌では無いが、全ての人がそうでは無いのでは…と頭に“?マーク”の旗が立った。が、いまここで書きたいことはそのような事では無い。

私は十数年間、少年サッカーの指導をしていた。その時のことだ。遠征試合の帰り、バスの中で騒ぐ子供(サッカー部員)がいたので、私は他の乗客の迷惑と引率者としての私の立場上から「その様な事はお父さんやお母さんがいる時にしなさい!」と、その少年の頭を小突いた。
数日後、そのサッカー運営委員会で「親ですら叩いた事のない我が子の頭を殴ったコーチがいる」と問題になったのだ。私的には決して殴ったなどという意識は毛頭無く、“小突いた”程度なのだが、等の親御さんには“殴った”様に見えたらしい。それよりも私が驚いたのは、その子供の母親が引率者の一員としてそのバスに同乗していたというのだ。

その母親は、何故その時に自らの子供を諭さなかったのか? 他の乗客の姿が目に入らなかったのか? 自分で叱責しようとした矢先に私が小突いた事に気分を害し、後日の運営委員会席上で私が殴った…と言ったのだろうか? 自分の息子の手前、そばに居ながら何も言わず、行動せず、後になって運営委員会で話す方って事の方が親として恥ずかしいと感じなかったのか?

日本の行く末が恐ろしい。先日の17歳少年の凶行や、ここ数年頓に増えている少年犯罪、それにもまして、立派に成人しているはずの大人の理解不能な異常犯罪など、全ての根源がここにあるような気がするのだが、その様に感じるのは私だけか?
 
むかし自分が少年時代に、悪さや行儀悪いことをすると見知らぬ大人から怒られたものだった。だから子供時代の私にとっては、大人は全て両親も含めて“怖い”存在だった。
今の世で、大人が子供の怖い存在であるべきとは思わないけど、悪いことは悪いと教えるべきで、大人自らが規範となる行動を取るべきだと思うだが、今のような個人主義の時代には難しいのかもしれない。行儀を諭そうと下手に小突けば「変な大人が我が子に暴行を振るった!」なんて逮捕or告訴されかねない時代(社会?)だからなぁ。どうしてこんな日本になってしまったのだろう?