タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

2011年07月

先週、宮城県の東日本大震災被災地をまわってきたのですが、その時に南三陸町のホテル観洋に宿泊しました。ホテル観洋は現在被災避難家族を中心に、宿泊は復興支援者優先となっていました。
まだ復旧にはほど遠い状況ですから食事は限られるし、朝食も簡単な物が出されセルフでしたが、大きな温泉風呂もあって、それ以外にも別階に海が見渡せる露天風呂もありました。部屋は当然、綺麗ですしお布団もフカフカでした。
このホテルに避難するのと学校の体育館に避難するのでは天と地ほどの差があります。どのように避難者を振り分けているのか、ちょっと気になりました。

朝。ミャ~、ミャ~いう鳴き声に起こされました。やけにうるさいのです。
寝ぼけ眼で窓のカーテンを開けると、ウミネコがたくさんベランダの手すりに集まっていました。これだけ集まって一斉に枕元でミャ~、ミャ~鳴かれればうるさいはずです。

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上の画像、動画サイトにリンクしてます。
 

どうやら宿泊客にエサをおねだりしに集まっているようです。
眼下の海に目をやれば、まだガレキがあちこちに浮遊してました。それでもウミネコたちはこうやってエサをねだりに来ていました。震災前から来ていたんだと思います。

この海域には私がまだ会っていないダンゴウオって奴が住んでいます。とっても可愛い奴でして、一度はお会いしてみたいのですが、まだこの海域に潜るのははばかれますね。
まぁ、それ以前にこの辺の水温は低すぎて、私の気持ちは正直、「パス!」の海域なんですが。きっと一生ダンゴウオ君には会うことが無いでしょう。

今回、宮城県被災地を巡ってあることに気付きました。海鳥ってきっと鼻が無いんじゃないかと。何故かというと気仙沼港にも立ち寄ったんですが、ここは地盤沈下も激しくて至る所に水溜まりが出来てるんです。その水溜まりから猛烈な腐敗臭が漂ってくるのです。水産加工で賑わっていた港町ですから、きっと加工物がその水溜まりに流れ込み腐敗してるのだと思います。
その猛烈な腐敗臭を放つ水溜まりに、このウミネコたちがたくさん羽を休めていたのです。どう考えても臭気を察知できてるとは思えません。

一日も早く、かの地に普通の生活が取り戻せるようになることを願います。でないと、ダンゴウオに会いに行くことも出来ませんから。





2011年7月28日の気仙沼港の様子です。







今日の東京は早朝から雷雨。お昼前には上がって夏らしい天気になったのに、ただいま(15時55分)の空は、今にもドバッ~っと降ってきそうな怪しい空模様です。

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写真はフィリピン・アニラオのカテドラルというポイントにある十字架です。なんでもダイバーだった元フィリピン大統領が沈めたのか造らせたのか……、聞いたけど忘れてしまいました

私はある意味、自然に接するために海に潜ったり山に登ったりしてるわけでして、海でも山でも途中でこのような人工物があると一瞬は「オッ!」と高揚もするのですが、すぐに飽きてしまいます。
過去にチュークやバヌアツなどで、敢えてその人工物を目的に潜りましたが、やっぱり一瞬の「オッ!」で終わってしまい、魚たちを探し始めたのでした。

それは海底にあるのが単体で、しかも場所が分かってるからじゃないかと思うのです。これが色んな物がゴロゴロ沈んでいたり、その場所が誰にも知られて無くて、自分が発見したとなれば単なる「オッ!」では終わらず、

~ッ!」となると思うのです。


さてこれから、お空の様子ははなはだ怪しいですが、ちょこっとボールを蹴りに学校まで行ってまいります。
ボール蹴っても「オオッ!」はありませんが、健康とビールを美味しく戴くためにちょっくら走ってこようと思います。




東日本大震災の被災地へ支援物資を届けるトラックに同乗させていただき、現地を視察してきました。

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ご覧のようにかなり瓦礫の撤去は進んでいましたが、今後の復興計画がどのようになっているのか? はたまたその計画自体は進行しているのか? 心配になりました。
気仙沼港などは、地盤沈下した箇所に水が溜まり、それが猛烈な腐敗臭を放っていました。

瓦礫の撤去はまだまだ永い時間がかかると思われます。仮にその瓦礫が撤去されたにしても、町が丸ごと喪失してしまったこの地に、人は戻ってくるのでしょうか?
まずはしっかりとした復興計画を明確に押し進めるべきだと思いました。でなければ、人は戻ってこないだろうと。
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震災避難者の方々や復興支援の方々が投宿しているホテルに泊めて戴きました。とても綺麗で素晴らしいホテルでした。しかし、このホテルが一般観光客や釣り人などで賑わう日が来るのは、ずっとずっと先のような気がしました。
テレビ報道で何度も見ていた光景ですが、実際に足を踏み入れ自分の目で見ると、これからの困難さが肌で感じ取られました。

支援物資を積んだトラックに気仙沼駅まで送ってもらい、帰路に着きました。2両編成のディーゼル電車に揺られ1時間も内陸に入るとそこには見事な田園風景が広がっていました。

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あまりのギャップに驚きました。しかし、これが現実なのですね。
日本も含めて世界で格差が問題になっていますが、その格差を知らないのは良くないと思いますが、それをどうこう問題にするのは、これまたとっても難しいな、と考えながら新幹線に乗り込みました。
結局のところ、被災地への支援も格差を問題視するのも皆の心が一つ(の方向)になることが一番大切なんだろうと思ったのでした。

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昨日、会社の同僚と習志野カントリークラブ・空港コースへ。
このコース、むかし何度か連れられて来たことがある。上の写真は最終ホールNo.18。短めだけど池がグリーンそばまで迫っていて、けっこうプレッシャーのかかるホールだった。“だった”と書いたけど、その昔に何度か来ていたのにこのホールの存在を思い出せなかったのだ。
習志野カントリークラブと言えばかつては日東興業経営で、キング・コースはトーナメントも開催される名門コースでもあった。しかし、何年前だったか倒産しちゃって今ではアコーディア・グループが引き取ってる。ものの見事に人員削減した経費削減経営。人員足りないところはプレー代金下げてプレーヤー(お客様)に補ってもらう。アメリカではこのスタイルが普通なんだろうけど、マナーを知らぬプレーヤーが増えるのが難点なんだよなぁ。

今朝テレビでニュース見てたら、今まで閑古鳥が鳴いてた女子サッカー「なでしこリーグ」が先日のワールドカップ優勝の勢いで、どの会場も満杯だと報道してた。(私は「なでしこリーグ」の存在すら知らなかった
先週チロッと書いたけど、サッカーを観戦するゲームとして捉えた場合、私にとっては女子サッカーは観戦するに値しない。
自分もサッカーをやっていたからだろうけど、開催当初は観たけどそれも初年度だけで、男子Jリーグですら観ていない。最近じゃ、ことJリーグに関しては、かなり“観られる”ゲームをやってるようだけど、なかなかゆっくり観る時間も無いので観てない。さほど観る気も起きないのだ。欧州リーグのようなゲームを観てしまうと、どうしても日本のゲームを観る気が薄らいでしまうんだよなぁ。
私は基本的にスポーツはやるもので観るものでは無いと思ってるから、ゴルフ中継すらよっぽど暇な時しか観ない。スポーツで観るのは自分ではやらない(やれない?)相撲とボクシングくらいだ。

私のことはどうでもよい話しだった。「なでしこリーグ」です

世界一になったという結果は、これは誰もが賞賛することだろう。だからにわかファンも増える。でもそのファンが“にわか”であっても、本当のファンになるよう、これからも良いゲームを見せて欲しいとは思う。欲しいとは思うのだけど、私は観にはいかん。ゴメンm(_ _)m

表題からかなり話しがそれた。

さて昨日のゴルフ。先週に続いてのラウンドだったからか、何となくショットを思い出したようで久々の80台。
満足な一日だったのであった







向日葵と書いてひまわり。
そのひまわりを戴きました。私に、ではなくかみさんに、ですが。


himawari

社会人になったばかりの頃、ソフィア・ローレン&マルチェロ・マストロヤンニの映画『ひまわり』を観ました。
学生時代に友人から良い映画だから観ろと薦められ、内容も聞いていて観たかったのですが、そのチャンスはなかなかありませんでした。それが池袋の文芸座だったかどこかの映画館でリバイバル上映され観る機会を得ました。しかし、その時は友人に聞いた話のイメージが私の脳の大半を占めていたようで、見終わった後、さほど感動も無かったのです。
ところがその数年後。今度はテレビで放映され再び観ることになったのです。その時、私は映画館で観たときには無かった感動を得ました。

自分の意志ではない、どうしようもない不条理な別離は、意識の中で納得する部分があるだけに悲しさが倍増するのだと知りました。

ちなみに私は、この映画に出てきたロシア女性の方がソフィア・ローレンより綺麗だし素敵だな、と思いました。
ソフィア・ローレンの様な猛烈な情熱をぶつけられても、それを受け止め、それ以上の愛情を返せる男ってどれほどいるのでしょう?
私には絶対に無理です。その情熱以前に体格で押しつぶされてしまうでしょう。







un日光東照宮の門で参拝客を睥睨(へいげい)する像です。左右2体あって、両体は阿吽(あうん)の仁王像と呼ばれているそうです。

“あうん”ってこんな字を当てるんですね。今まで“あうん”と言えば“ア・ウン”と表していたんだけど、いま書いてるこのパソコンで“あうん”と打ったらちゃんと“阿吽”と出てきてビックリした。

ところで“あうん”といえば呼吸と続き、間髪入れずに以心伝心しちゃうことを指すんだと思ってたんだけど、阿吽っていう文字と呼吸ってのがどうもイメージとして繋がらないので、ちょこっと調べてみた。
そしたら阿吽とはもともと仏教用語で、口を開いて最初に出てくる言葉“あ”と最後に出てくる言葉“ん”から来ていて、宇宙の始まりと終わりをあらわすのだという(by:ウィキペディア)。なんともまぁ、壮大なお言葉であります。
と、言うことは呼吸とはあまり関係ないんじゃない?と思ったのだけど、要は呼吸が最初から最後まで合ってる仲のことらしい。
どうやら“ア・ウンの呼吸”とは“ツーと言えばカー”みたいな、間髪入れずに返ってくる事を意味してるのではなく、全て互いに知り合った仲、みたいなことらしいのだ。
知ってました? 私だけが間違えて解釈してたんだろうか?a サッカーやっててノールック・パスがドンピシャで来たときなんか、「見事な阿吽の呼吸だろ?」なんて言ってたけど、それは以心伝心という意味ではなくて互いに全てを知り合った仲だから息の合ったプレーが出来た…ってことなのだな。意味がビミョーに違ってた(汗)。ドンピシャのタイミングでパスが来たときはこれから「ツーカーの仲だから」って言わんと。
なでしこジャパンは皆が阿吽の呼吸で結ばれたツーカーな仲だったわけだ。

ちなみにこの仁王像、左上が吽像で右が阿像でしょうな。口を開いたまま「うん」なんて言えんもんね。そんな芸当出来るのはいっこく堂くらいのもんだ。

そういやぁツーカーセルラーってのも「間髪入れずに繋がる」ってことで社名にしたんだろな、きっと。
“何処でも”でDOCOMOだから、絶対に通話が途切れない“アウン・モバイル”なんて出てこんだろうか。 




moon


私が寝ているベッドから見上げた月です。
月明かりがあまりに明るくて、枕元の本が読めるほどです。携帯電話で撮したらこんな感じで撮れました。
寝室が2階なので気兼ねなく窓を全開にして眠ることが出来るのですが、昼間は強い風が吹いていたのに、昨夜は見事に無風。早起きしようと11時前に寝たのにモンモンとしたまま4時にベッドを出ました。

なんでこんな時間に起きだしたのか? 
そうです、女子サッカーワールドカップを応援するためです。女子サッカーは正直言って観戦するには物足りないけど、世界一をかけた戦いとなれば話は別です。
しかし“観戦するに物足りない”なんて書いちゃいましたが、いや~、先制されては追いつき、最後はPK戦での勝利と、なかなかハラハラさせてくれました。今まで一度も勝利したことのない相手を敗っての世界一ですから、これは賞賛に値するなんでもんじゃありません。リッパです!

もうかれこれ10年ほど前になりますが、読売ベレーザ(女子サッカーチーム)の選手が混じるチームと対戦したことがありました。一瞬の瞬発力とか走るスピードこそ男には敵いませんでしたが、トラップやキックの正確さでは、私は完全に負けていました(今では瞬発力でもスピードでも負けてますが……)。
今回のなでしこジャパン(この名称、私はあまり好きじゃないです)の快挙は、彼女たちの技術力の高さと最後まで走り通せた体力の勝利でしょう。

出来ることなら男子サッカーにこんな勇姿を見せてもらいたいものです。

まぁ、なにはともあれ………。





やったぞ!ニッポン!!








「涼しい(であろう)日光国立公園で、パノラマ景色を眺めながら勉強をし、そのついでにゴルフをして温泉につかる……、なんてどう?」とお誘いを受けた。断る理由は無いので喜んで同席させていただいた。
涼しいと予想していた日光は、予想に反して気温も高くそして猛烈な湿度だった。ちっとも涼しくは無かったけれど、東京の蒸し暑さからすれば天国とはいかないまでも有り難かった。
ゴルフをし温泉に浸かり、その翌朝。帰路、東照宮に寄っていくことにした(勉強はどうしたか、って? モチしました!)。

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この日光東照宮。私は小学生の時に林間学校で訪れたのが最初で最後だった。40年近い再訪だ。記憶はすっかり薄らいじゃってて何もかも忘れてしまっていたけど、歩きながらポツポツと記憶が蘇ってくるものもあった。
ひと通り見終わって来た道を戻ると、「ピ~ヒョロロ♪」と笛の音。参道の石畳の上でおじいさんがウグイス笛を売っていた。ご本人の了解は得ていないけれど、きっと顔を覚えている人も多いだろうからご登場してもらっちゃおう。

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実は小学生の時にここに来て、私はこの笛を買った。なんでそんなことだけは鮮明に覚えているかというと、今もまだ家のどこかにこの笛があるのを覚えているからだ。我が愚息1号が生まれ小さかった頃、私が吹いてあげてたからだ。
おじいさんが肩から掛けてる笛が入った箱にかかる説明には“昭和30年から55年 お待ちしていました”と書かれてる。
わたしが生まれる前から、ここで、この笛を売っていたわけだ。つまり小学生だった私は、このおじいさんから買ったということだ! 
その事を話したら、おじいさんは嬉しそうに「そうだよ。それはこの私だ」といろいろ話してくれた。御歳82歳。わたしが笛を買い求めた時は20代だ。

私が小学生のころは、きっと参道の杉の木も今ほど大きくは無かったろう。このおじいさんは目の前を行き交う人々の姿と共に、杉の木の成長も見守ってきたのだ。
世界遺産のこの日光東照宮の石畳の上という、このおじいさんとおじいさんが50年以上も座り続けていたこの場所は、ニホン文化遺産に指定しようと思うわたしなのだった。まだまだ元気で「ピ~ヒョロロ♪」と笛を売り続けて頂きたい。





kakigori先日、かき氷を食べた。
「今年、お初だ!」なんて言いながらシャクシャク食べてたら、今年のお初どころか数年ぶりのかき氷だと気がついた。
本当はあずきか練乳かけたのが欲しかったのだけど、「メロンとミゾレしか無いんです」と言われメロンにした。猛烈な暑さだったからかき氷の売れ行きも良くて、あずきやイチゴミルクみたいな人気者は売り切れてしまったんだろう。
メロンにしたのは“みぞれ”がどんなんだったか思い出せなかったのでメロンにしたのだった(メロン注文してから「ミゾレってどんなの?」と聞いた。無着色シロップのことね)。

中学時代。
いの一番に希望校受験に合格した女友だちの一人が、これから試験が待ち受けている私のために「願かけしてあげる」と言ってくれた。
その時のわたしは、「ガンカケ」なるものがどんなものか知らず、「何をしてくれるんダ?」と聞いた。今さら願かけの説明をここでする必要はないだろうから省略するが、彼女はその願かけのために「かき氷を断って」くれるのだと言う。
なんかその時は「俺のために……」と一瞬嬉しく思ったのだが、そもそも私にとってかき氷などというのは、こめかみがキ~ンと痛くなるからさほど好きな食べ物でもない。だからそれを“断って”くれてもさほど有り難みは無かった。しかも夏場ならいざ知らず受験シーズンは冬だ。こんな時期にそもそもかき氷など売ってる店はあるのか!?

きっと彼女は、本命彼氏には「ケーキを断つわ」なんて言ってるんだろう。それに気付いたとたん凄く不吉な嫌~な予感がしたのだが、私は志望校に無事合格したのだった(実力だってことだな)。

本日も猛烈な暑さだ。
昼食を食べ終えたら汗みずくになってしまった。会社に戻る前にこれまた今年初めて自分でアイスを買った。

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あまりに甘過ぎて半分しか喰えんかった。







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ギンガメアジです。(@シパダン)

このギンガメアジに襲われたなんて話しは聞いたこと無いですが、さすがにこれだけの群れの中に入るとちょっと怖い感じです。
私はこの巨大な群れがどのようにして方向や深度を決めているのか不思議でなりません。この群れの中の一匹が決めてるとは思えないので、皆の総意が一致してるってことになるわけですが、付和雷同型のギンガメ君も多いんでしょうな。日本人のように大多数が「右に倣え!」なんだと思うのです。そうなると誰か先導者が必要なんですが不思議です、ギンガメアジ。

気の合う仲間っていうのは趣味が一緒ってのもありますが、ことごとく意見がぶつかり合う奴もいます。決して気があってるだけではない。
それでもズ~っと付き合ってるってのは、神経の使い方と方向性が一緒だからなような気がします。好みが異なっても、互いに気遣う場面や方向性が一緒だと苦にならない。ところがこれが異なっちゃうと、人間的な好き嫌いは抜きにしても一緒に居て疲れちゃう。神経の使い方が違うだけなら“空気読めない奴”で許すことも出来るけど、その方向性が違っちゃうともうどうしようもない。
このギンガメくん達にしてみれば、一匹だけ逆行して泳ぐようなもんだ。今の日本の首相みたいに。

周囲の人間にすれば神経ピリピリしっぱなしな奴ってのも疲れるけど、「神経あるの?」的なノホホン様も疲れる。でも、得てしてそういうお方は一匹狼だからこちらが困ることはあまりない。

自己主張もない付和雷同クンは私の仲間にはいないけど、皆が集まったときに神経配れない奴もまたいない。群れることと協調することは別なんだ。ギンガメアジのように統制とれた群れもはたから見れば見事だけど、そこに自己主張は皆無だ。どこかの国の軍隊に似ている。




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スポーツで汗を流した後のビールほど旨いものはないけれど、子供にとってはコッチだな。
スポーツ・インストラクターの言によれば、スポーツ直後のアルコールほど身体に負荷をかけて悪いものは無いそうな。だから、そこはグッと我慢してスポーツ飲料もしくはこのようにスイカなんぞで喉を潤し、排出してしまった水分が身体の細胞に補充されてからビールにするのが良いのだそうだ。
しかし、無理です。そんな我慢するくらいならスポーツしないでビール飲みます。

先日、ちょっと面白い話しを聞いた。
ある男性が女性をデートに誘い映画を観に行ったそうです。観た映画はバリバリのアクションもの。それなりに面白い映画だったそうです。しかし、「面白かったね」に「そうね」でおしまい。その後の会話が盛り上がらず、結局フラれてしまったそうな。
その教訓からその数年後に訪れたデートのチャンスでは、ちょっと難解な映画にしたんだそうです。すると当然ながらその後の食事では「あの場面は何が言いたかったんだろ?」とか色んな会話で盛り上がり、食事は3時間にも及んだそうです。
その話し聞きながら、「それって映画に限った話しじゃないな」と思った。

私は今ではサッカーとゴルフとダイビングしかしてないけど、かつてはスキーに登山、卓球にモトクロスと色んなことしてた。
これらの中でダイビングと登山以外は全て終わった後で会話があるんだよね。「あの時ああすれば良かったのに」とか、「あの時の、あの一発には参ったよ」とか。
ところがことダイビングに関しては、ダイビング終了後に潜っていた時の会話ってほとんどない。たまにあるとすれば「あの岩の陰に◯◯がいたよね~」程度で、それにしたって「何でその時に教えてくれなかった!」なんて下手すりゃ喧嘩です  「あなたのフィンワーク、ヘタっぴだね」なんて言おうもんなら、もう完全にケンカ売ってるようなもんだ。

しかしサッカーで「お前のパス、トロいよ」とか、ゴルフで「あんたパット、雑だね」なんて言っても「悪かったね」とか「そうなんよ」で終わり。そのお返しとばかり「でもお前はシュート外しっぱなしだったな」とか「君はOB多かったね」と反撃される。そこに会話が生まれる。だから飲み会やれば盛り上がる。

もともとダイビング自体が会話の成り立たないスポーツだから致し方ないのかもしれんけど、なんか物足りなさを感じるのです。確かに潜ってる時もその後も、爽快感は最高なんだけど、まるでアクション映画を観た後のように「楽しかったね!」、「うん!」でおしまい。せいぜいあっても「あの魚が見られたね」とか「あの◯◯の大群は凄かったねぇ~」程度だ。
会話盛り上げるために難解ならぬ難度の高いダイビング・ポイントでデートするわけにもいかん。

映画もスポーツも、同じ時間と空間共有したんだからその話題で盛り上がれれば最高なんだけど、デートに外的要因持ち出さないと会話が成り立たんというのはエスコート役としては失格だろう。
だから女性はデートに誘われたら是非ともスキーでなくとも「私をアクション映画に連れてって」とお願いするべきだ。その後の会話を盛り上げられないような男なら、さっさと見限っちゃった方が宜しい。
エッ? わたし? わたしは酒さえ飲ませて戴ければいつでもエンジン全開です! アクション映画どころかドラえもんでもOKです





 





wine「ドメーヌ・ド・クレッサンス」。フランス・ラングドック地方のワインだそうです。地元の酒屋のお兄さんにまたまた薦められて飲んでみました。
彼は見事に私の好みを知っていてくれて、わたし好みのワインが入荷すると必ず声を掛けてくれます。
初めの頃はハズレも多く、その度に文句言ったり何が物足りなかったか言ってたら、ちゃんと私の好みを覚えてくれるようになりました。
私はタンニンの濃いドッシリとしたタイプが好きなのです。このワインもかなり重めの味でしたが、面白いのは冷やすと軽いフルーティーな味わいになることです。赤を冷やすのは邪道だ!という人もいますが(私もどちらかというとそっち派)、軽く冷やした赤ワインも時には良いものです。特に暑い日なんかには。
グラスに注いだ写真撮り忘れましたが、かなり濃い赤でした。

濃い赤と言えば………。そのむかし、吐血したことがありましてね。いや~、その時は本当にビックリしました。朝、洗面所で歯を磨いていてえづき、ゲ~とやったら洗面所が真っ赤になったのです。
まだ新婚早々でしたから、私はかみさんに心配かけてはイカンと、慌てて洗面所を綺麗にし、医者に飛んでいきました。
結論を先に書きますと、胃潰瘍でも肺結核でもなく、胃と食道を結ぶ所を幽門というそうなんですが、その幽門が剥離していたのです。お医者さん曰く「メシ、がっついて喰ってるだろ。それで切れたんだ」そうです。要は大メシ喰らい過ぎて幽門が破けちゃったんですね。そこからポタポタ落ちていた血が胃に溜まり、翌朝グバッと吐き出しちゃったわけです。
とっても綺麗な、見事な鮮血でした。ちなみに肺から出る血はどす黒いそうですね。

いやぁ、飲み物の話し書きながら何とも配慮の欠ける話題を入れましてタンニン。………いやカンニン。






Nihonjinnohokoriこの方、本当に凄い人だと思う。本来は数学者だとういうのに歴史に関する造詣が物凄く深い。それに加え読者をグイグイ引っ張っていくその読ませる文章は、父・新田次郎の血を受け継いでいるのだと思う。
ここ最近の教育書がどのようなものか私は知らないけれど、少なくとも私が習った小・中学校時代の歴史教科書は最低のものだった。単純に年号の暗記だけ。それも奈良・平安時代から始まり鎌倉時代を“イイクニツクロウ”と走り抜け、安土桃山時代、江戸時代が授業の殆どだった。
藤原さんに言わせれば、この時代にも興味深い事は多々あったのだろうけど、現代に生きる私たちが一番興味深く知りたい時代は江戸から明治にかけてと、その後の昭和初期ではないだろうか。実際、この時代の出版物が一番多い。

戊辰戦争によって江戸から明治へと移り変わる時代。大正に第一次世界大戦が勃発し、戦争に明け暮れながら昭和へと移りゆく。
このたった100年ほどの間に日本は大きく揺れ動いた。この激動の時代はその変革の激しさ故に、知れば知るほどに驚愕し感嘆する。なんで学校の先生はこんな面白い時代を教えてくれなかったのか(その理由もこの本に書かれている)。

「過去の出来事を現在の価値観で判断してはいけない」という言葉に大いに感銘を受けた。
過去においての過ちはその時点で裁かれるものであって、もしも過去の過ちを現代で裁くとすれば、現代の私たちが行っている事(良いと思われること)も未来において過ちとされるかもしれない。
そんな過去のことを未だに誤った認識で引きずり、おとなから子供まで日本人は誇りを失い見い出せないでいる。そんな日本人に“喝!”を入れてくれる名書だと思う。
お薦めします。是非とも皆さんにも読んで戴きたいです。






今朝、いつもと違って電車が空いているように感じました。なんでかなぁ~?と考えていて思い当たりました。節電のために今月から土日就業にした企業があるんですよね。そのおかげでしょうか?

kokuren


ニューヨークの国連本部です。
わたしが訪れた時間は午前10時に近かったので、ここで働く人たちの姿は見えず多くの観光客が記念撮影をしてました。国連で働いてる人ってどんな人なのか見てみたかったです。
国連の仕事って世界の平和や安全のために働くんだろうけど、実際にどんなことしてるのか私のような凡人にはサッパリ検討もつきません。具体的にどんなことしてるのか知りたくてちょこっと調べてみたのですが、分かりませんでした。でも、意外なこと発見しました。国連スタッフの平均年収って低いんですね。私が見つけたサイトには年収300万円以上400万円未満と書かれてました。

しかし、これが本当の姿だと思うんですよね。人のため世界のために働くのであれば、金を求めるのは筋違いってもんでしょう。金のために働きたいのなら金儲け優先の仕事に就けばいい。
国連に入るにはそうとうな狭き門だと思うから、国連に入れるような人は金を優先する企業にも簡単に入れると思うんですよね。金より名誉なんでしょうね、ここで働いてる人々は。

今朝、ニュースを見てたら松本龍復興担当大臣が被災地に赴き、やけに威張った物言いをしてました。もう完全に上から目線の押さえつけ言葉。しかもどうやら報道陣に「今のはオフレコ。書いたらその社はお終いだからな!」との893さんのようなお言葉も発せられたようで……。
それなのに各マスコミが報道しちゃったってことは、先の偉そうな発言といい、マスコミ各社は彼自身が思ってるほど彼の大臣としての権力を認めていないってことだと思うんですが? 要は負け犬の遠吠え、いや違う、弱い犬ほど良く吠える…って程度の大臣だと認識してるんじゃあるまいか?
大臣になれば年収3000万円は下らないと思うけど、もう少し謙虚に日本国民のために働いてくれんもんでしょうかね。国連スタッフの爪のアカでも煎じて飲んで欲しいってもんです。






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