タカラガイの独り言

ダイビングや旅のこと、子どもたちとのサッカーの事など徒然に。

2006年03月

ロスト(その2)

私達がダイビング中に漂流し、上陸した島はマニンニンというボラカイの南南西、パナイ島北部の西に位置する小さな島だ。東西に細長い島で西端に灯台がある。
残念なことに写真を撮るゆとりが無く(漂流中にそんなゆとりがあるわけないか(^_^;;;)、島の写真がない。2a8b29da.jpg


この島の島民はとても優しかった。
私たちの顔を窺い「水はいるか?」とか「何か食べるか?」と、とても親切にしてもらった。

海水を飲み、炎天下を歩き続けて喉が渇ききっていたので、水分はそれこそ“喉から手が出る”ほど欲しかったのだけれど、流石に生水を飲む勇気はなかった。

なので「大丈夫!大丈夫!」を繰り返していたら、長老らしきおじいさんが椰子の実をさばいてくれた。多分、僕らが水分を欲していることを察知していたんだと思う。
椰子のジュースなんていつもだったら見向きもしないのに、この時ばかりは本当に有り難く美味しかった。

水は要らない、食事も要らない…と言っていた私たちが、椰子のジュースをゴクゴクと飲むの見ると、今度はクッキーのようなお菓子を持ってきてくれた。決して恵まれた生活ではないのに。58b02f83.jpg


水や手作り料理を断って椰子を飲んだ後だったから、なんだか心の中を見透かされたようだった。

その様な心優しい人々の村だからか、子供達のなんと子供らしかったことか。みんなとってもきれいな目をしていた。
ウェット・スーツ姿でダイビング機材を携えた私たちが、よほど珍しかったのか村中の子供達が私たちを注視していた。

世田谷でかれこれ18年ほど小学生にサッカーを教え、多くの小学生を見てきたけれど、この島の子供のような子は本当に少なくなった。

フィリピンの人々が相対的に貧しいのは教育が行き届いていないからではないかと思う。それは国の政策が悪いわけだけれど、こんな子供達が楽しく夢をもって頑張れる国であって欲しいと願う。

けれど、果たして今の恵まれた日本の子供達が幸せかといえば、決してそうでは無いことも事実だろう。
物質の量ではなくて、幸福…という物差しで見たら、果たしてどちらが幸せなのか。

サラマッ ポ、Maningning !

ダイビング事故・ロスト(その1)

ボラカイ島で潜ってきた。今年の初ダイブを堪能する予定だった。
しかし、2日目のダイビングで「あわや!」という事態に遭遇した。

なんと1日に2回のロストを体験したのだ。私はいま、全身の筋肉痛と腰部および臀部の打撲痛の中でこれを書いている。

その日はボラカイでは有名(らしい)ポイントへ遠出ということで、ショップへの集合は早朝6時。ポイントまでは90分、時には180分かかることもあるという。ショップで朝食を摂り、昼は目指すポイント近くの島(マニンニン島)に上陸して摂るという。

結局、90分ほどでポイントには着いた。その時のダイバーは私を入れて8人。ショップを仕切るイントラと現地ガイド、そして現地クルー3名の計13名がバンカーボートに乗っていた。

1本目。私ともう一人は先に潜行してボート・アンカー周辺で待っていてくれという。彼はこのショップのリピーターらしく、ショップのスタッフともかなり打ち解けていたし、ボラカイの海にも詳しかった。前日のダイビングでもそうだったけれど、私と彼はいつも先に潜行していた。

バックロール・エントリーした瞬間、かなりの流れがあることに気が付いた。秒速2~3mほどだったと思う。
「マズイ!」と感じて頭から一気に潜行した。水深は底まで約8m。海底でも流れはきつく、私と彼は岩やサンゴにつかまって(本当はいけないけど)アンカーを目指していた。
手を怪我したくなかったので、私はBCDから手袋を取りだし、装着しようとしていた。手袋に目がいっているときに「カ~ン!」という物凄い大きな音がした。周囲を見回すと、先にいたはずの彼の姿もアンカー・ロープも見えない。

ワケが判らなかったけれど、とにかく前に進もうと、岩やサンゴにつかまり必死でフィンキックを続けていたら、頭上を船が進んでいく。どうやらアンカーが外れたらしい。
カ~ン…という音は、外れたアンカーが私のタンクに当たったのだ。少しずれていれば大けがをしたところだった。たまたま手袋をしようと手元(下)を向いていたのが幸いした。

再度、投じられたアンカーにやっと辿り着いて、少し呼吸も楽になってきた頃「この流れではビギナーは無理だ」と思った。確かライセンス取得中の女性ダイバーがいたし、関西からの母娘ペアは30本ほどしか潜っていないと船上で聞いていた。

鯉のぼり状態でアンカーに捕まっている内に、ここに皆が集まることは不可能だと感じた。
「ドウシヨウ? ナガレニ、ミヲマカセテ、ナガレテミルカ?」。

5分ほど思案しながら待ち、結局わたしはロープを伝って浮上することにした。船上でクルー達が「ベリー・デンジャラス」と漏らすのを聞いた。

30分ほどして沖合にフロートが上がった。全員が一緒だった。先発した彼は、アンカーが外れた時に一緒に後方へ流れ、後発と一緒になったようだった。

自分に非は無いとは思ったけれど、「ご迷惑をおかけしました」とショップのイントラに言ったら、「流れが速くなるような時間帯じゃなかったのに…」という言葉が返ってきた。
わたしに対する言葉はそれだけだった。


船上で1時間ほど休息しての2本目。またしてもロストとなった。今度は全員が漂流した

同一のポイントに潜った。ライセンス取得中(多分)の女性は船上に残った。
今度は全員一緒にバックロール・エントリーしたが、意に反して流れはほとんど無くなっていた。軽い流れの中、ゆったりとしたドリフトを楽しんだ。

トラブルは安全停止を終えたあと、海面で起きた。波が物凄いのだ。高さ2mほどの波が頭から被さってくる。
フロートを2本上げ、ホイッスルを何度鳴らしても、船の姿は見えない。流れも少し出ていた。

私達はお互いのファースト・ステージに捕まり合っていたけれど、2組に分かれてしまった。
2組の距離はどんどん離れていく。

1組はショップのイントラとリピーターの彼、そして関西の母娘ペアの娘さん。
私の組は現地のガイドとカップル、関西のお母さん、そして船上に残っている女性の彼氏。

10分位船影を探し、ホイッスルを吹いたりしていたが、私の組の現地ガイドが島に上陸しようと言い出した。島まではおよそ1kmほどか。
ショップ・イントラは大声で「岸に近づいてはダメ~!」と叫んでいた。確かにこの波では上陸の際に岩に叩きつけられてしまう。

数分後、現地ガイドは「陸に向かおう!」と一人で泳ぎだした。わたしは彼の意見に賛成だったので、一緒のダイバーに島に向かおうと促した。
島までは1kmか1.5kmほど、狭いけれど砂浜も見える。波は更に高くなって来ているけれど、あの砂浜に辿り着ければ大丈夫だと判断した。
ただ運が悪いことに、波が高いばかりでなく引き潮の時間帯だった。皆で手をつなぎ、私は必死にフィンキックしながら同行ダイバーの手を引っ張っていた。

30~40分ほどフィンキックを続け、私達はなんとか島に上陸できた。立ち上がる体力も失って、四つんばいで砂浜に上がった。

関西のお母さんの顔は蒼白だった。疲れも相当だろうけれど、かなり海水を飲んでしまったようだった。あと30分泳ぎ続けられただろうか疑問だ。私は陸に向かって正解だったと思った。649bcdf7.jpg


現地ガイドはこの島に人が住んでいることは知っていたけれど、村落が何処にあるかまでは知らないと言う。とにかく連絡が必要なので、タンクとウェイトを浜辺に放置し、その他の機材を担いで民家を探すことにした。

ただの直感で道を選び歩いた。裸でBCDを担ぐと背中に付いた砂がこすれて痛いのでスーツを着たまま歩いた。
炎天下でのスーツはサウナのように熱くて、今度は脱水症状が心配になった。

20分ほど歩いただろうか、やっと人家が見えてきた(実は学校だった)。
子供達がいて現地ガイドが話しかけるけれど、どうも通じていないようだ。そりゃそうだ。真っ黒なウェット・スーツ姿の東洋人団体が、BCDやレギュ、フィンを持って海岸からではなく、丘から現れたのだ。驚かない方が不思議だ。

島民全員が集まったのでないかと思われるほどの数の好奇の目の中で、私達は助けを呼びに行った現地ガイドの帰りを1時間ほど待った。
その間、貧しい島民達の本当に嬉しい心からの助けを受けた。その事は後日記述する。
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1時間ほど経過した頃、島民達が「シップ!シップ!」と浜辺に走り出した。
現地ガイドがバンカー・ボートに乗っていた。

全員無事だった。

私は船が何かしらのトラブルで、私達をピックアップ出来なくなったのだろうと考えていたけど(かつてパラオでの漂流事故はそうだった)、船の故障ではなく、波が高すぎて私達のフロートが見つけられないばかりか、探し回れなかったらしい。

ショップ・イントラの組は、2時間30分漂流していたそうだ。海面での移動は背泳ぎ状態になるので、彼らの顔は真っ赤に日焼けしていた。

運良く最悪の事態にはならなくて本当に良かったけど、わたしはショップ・イントラのグループは最悪の事態になっているのではないか…と、上陸した島の村で待つ間考えていた。私の側に横たわる関西のお母さんは、一番気にかかっていたことだろう。
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一方、船に残った彼女も相当、心細かったに違いない。後で聞いた事だけれど、言葉は理解できなかったけれど、クルー達が慌てだしたので事態が深刻な事になっていると気が付いたそうだ。さぞや心細かったろう。元気な彼氏の姿を見た時には、号泣していたそうだ。

さて、皆さんはどう思われますか? 運良く助かったのでショップの店名は伏せておこうと思うけれど、私はやっぱりショップ側の注意力不足だと思う。滅多に行けないポイントらしいけれど、そこに潜れるからと止める勇気を失っていたのではないかと思う。

かつて山登りをしていた頃、何度頂上を目前にして登頂を断念したことか。山は登るより降りる方が難しいから、私は自信が無いときはあきらめて下山していた。
今回のダイビングは、ショップ側がそれを忘れていたのか知らなかったのか……。それともダイビングにその様な勇断は必要ない、ということか。
       
                    (この稿、続く)








キャンティ・クラシコ

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以前飲んだ「キャンティ」の姉妹版だけれど、キャンティとはかなり異なる味わい。

キャンティは軽い口当たりに、ちょっとツンとした感じが舌に残った……と以前のブログに私は書き残しているけれど(味は既に忘れている(^_^ゞ )、こちら「キャンティ・クラシコ」は、どちらかといえば重い口当たりで濃厚な味。

馴染みの酒屋の若旦那に「今日は少しどっしりした味わいのワインが飲みたいな」と言ったら、これを勧めてくれたのだ。
値段も安くて、我が家の家計には丁度良い。

食事はトリのレバーの炒め物に焼き鳥各種(全て塩焼き)、胡麻豆腐。この食事で飲むにはちょっと勿体なかったかナ。
イタリアのワインだけれどイタリア料理には合うだろうか? どちらかといえば、ステーキや中華料理のような濃厚な味付けの食事に合いそう。f2e11af7.jpg


そういえば最近は、ライト・ボディのもよりもフル・ボディに近い物を好むようになってきている。
かといって舌に残るようなのは好きではない。
ワインなら何でも良かったけれど、少しは好みにうるさくなってきたのかな?

ブログ

SNS(ソーシャル・ネットワーキング サービス)なるものが人気を博しているようだ。
ソーシャル・ネットワーキング サービス=要はサークル間のコミュニケート・ツール…ってことか?
数週間前に発売された『週刊ダイヤモンド』にも、似たようなネット・コミュニケーションの記事が出ていた。その記事ではネット上のバーチャルなコミュニケートよりも、かつて“オフ会”と呼ばれたような、リアリティでの顔見せを重視していると書かれていたと記憶する。

同様な世界で、ミクシィなるものが今、爆発的なブームになっているそうだ。会員数2006年3月時点で300万人を突破……だとか。

私の友人のご招待を受け、私もとあるSNSに参加してはみたけれど、それはそれで新しいネットワークを利用した文化だと思う。

ところで、そのSNS内で書かれている個人の記述はブログ…と呼んで良いのだろうか? 何でこんな事を書くかというと、私がここで書いているものと、それとは意味が異なるものと思えるから。

私がここで書いたことは一般に公開しているわけで、現にYahoo! などの検索エンジンからの来訪者も結構いる。
一方、SNSでの記述を見ていると、明らかに仲間を意識した内容が多いように見受けられる。ブログ=ウェッブ日記、というよりはブレポ=ウェッブ報告(レポート)…って感じか?

しかし、元来日記というものは人様に見せるようなものではなかったはず。
ひと昔前だったら父親が娘の日記をのぞき見しようものなら、家出されるか下手すりゃ自殺だってされかねなかった。

ってことは、ブログをウェッブ日記…と捉えるのが間違いなのか。確かに人に知られたら困ることを書くわけは無いものなぁ。日記ではなくて単なるログ=記録。そう思うと何となく無機質感が出ちゃって詰まらなく感じてしまうなぁ。

夕焼け

夕焼け空が好きで、綺麗な夕焼けに出会うたびにカメラに残すようにしている。
何となく暖かな、あの穏やかなひとときが好きだ。

最近では昨年の11月頃に、私が通勤で利用する電車から、帰宅途中で素晴らしい夕焼けを見られた。1c0ef78a.jpg

空一面が見事に朱く染まって、車内の人々の顔も、綺麗に紅くそまっていた。残念ながらカメラを携帯していなかったので写真には残せなかったけれど。

しかし、どうも東京の空は雲と空との境界が明瞭ではないので、雲だけが紅く染まる夕焼けにはなかなか出会えない。

南の島に行くと、空と雲との境界は見事にクッキリしているから、空は濃紺、雲は朱色…といった見事な夕焼けに出会える確率が高い。

悲しいかな東京は、傾きゆく太陽に被さった雲が、空全体を赤く染めるような夕景が多いと感じる。雲が染まるのではなくて、空気中の浮遊物が染まっているかのように感じるのだ。



ビジネス・クラス

今回のラスベガス旅行に招待され、一番印象深かったのは実は往復の飛行機でした。

私は時差のある旅行が大の苦手。しかもフライト時間は6時間が限界。それなのにラスベガスまでは飛行時間11時間以上、時差に至っては17時間もある! 普段だったら完全にプッツンしていたと思う(ハワイは3度行って、3度ともキレた)。

それなのに、とても快適にフライトを楽しめたのです。その秘密は…………。8665b90e.jpg

そう! ナント!! 往復共にビジネスクラスだったのです。

上着は別室のロッカーに入れてくれるし、代わりの機内専用上着も借りられる。食事前に食前酒とおつまみは出るし、軽食を何時でも頼むことだってOK! およそ6座席に一人の専属スッチーも付く。
座席はほぼフルフラット状態まで倒せるし、前の人がフルフラット状態に座席を倒しても、通路に出るに苦労しないスペースがある。
流石に楽でした。

映画もオンデマンドで好きなものを選んで見れるし、最高の空の旅を体験させていただきました。
こんな旅行、自腹じゃ絶対に出来ません。………とは言っても、一度この空の旅を経験してしまうと後が怖いなぁ(;^_^A 今後、エコノミーで10時間以上ものフライトに耐えられるかしら?

ラスベガスのHP、アップしました。お暇な方、お時間の許す方、遊びに来てください。
ちょっとまとまりのないページになってしまいましたが……。
http://www.kaya.ne.jp/vegas/index.htm

中学生になり練馬から世田谷へ引っ越した頃。

練馬では皆無…といってもよかった塾が、当時の世田谷には至る所にあって驚いた。
そして困ったことに、仲良くなった友達達の殆どが塾に通っているのだった。
部活動を終えての学校からの帰り道、「何して遊ぼうか?」と誘えば、皆んなが皆「塾があるから」。

結局、自分も親にねだって塾に行くことにした。親としてみれば「うちの息子が自ら勉強するようになった!」とさぞ嬉しかった事だろう。しかし、私の目的は勉強ではなかった。友達がいるから行くだけなのだ。
ところが、どこにでも同類はいるもので、塾に行ってみれば全員が勉強しているわけではなかった。

当時、その塾は風呂屋の隣のビルの2階にあって、教室最後列の窓から女風呂が覗けるのだった。結果、勉強などに興味のないワルガキどもは争って最後列の席を奪い合うことにる。金を出してくれた親には、いまにして思えば申し訳ない…のひと言だ。

私が中学時代にお世話になった、その塾は東邦学習会といった。私が通い始めて半年もしないうちに駅前の近代的なビルに移転し、女風呂を覗く楽しみは断たれてしまった。しかし、素晴らしい先生達が一杯いて、私は何度か先生の自宅に遊びに行き、食事をごちそうになり、泊めてもらったりもした。勉強が出来る、出来ないで差別をしない先生達だった。その上、勉強の教え方も上手だった。

中学2年の夏休みあたりから“受験”の言葉が私の脳裏をも横切り始め、私は勉強に専念するようになった。自分が通う学校とは違って、塾の先生はみな好きだったから、勉強は苦痛にならず、むしろ楽しかった。
いつも下から10番以内をウロウロしていた私の成績は、あれよあれよと上がって、3年の2学期中間試験以降は上位10番以内に入るようになっていた。
おかげで私は、かなり偏差値の高い志望校に合格した。

その後、社会人になり私は世田谷を離れた。その何十年か後、再び世田谷に戻ってきた私は息子もその塾に通わせた。何人かの入れ替わりはあったものの、私がお世話になった先生達もご健在だったからだ。そして息子も同様に、第一志望校に入学できた。

しかし、少子化のあおりを受け、その塾は今は無い。
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