タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

2005年06月

一昨日、親友の墓参りに行って来た。
彼とは中学以来の大親友で、寝食を共にした仲だった。だが、直腸ガンにやられ30歳の若さでこの世を去った。
彼の命日は6月11日なのだが、彼がこの世を去ったとき、私も入院していて葬儀にかけつけられず、退院後も墓参せずにいた。私の身体は元に戻っていたが、正直あまりのショックに墓に行くことが出来なかった。

その翌年、家の中で何かを感じるようになった。何かが動いているような、何かの気配を頻繁に感じるようになったのだ。ふと気配を感じてそちらを向くと、家内も同じ方向を同時に向く。「何かいるよね?」。決して私だけの錯覚ではなかった。

この気配が数日続いたある日、私は知人にこのことを話した。きっと信じてはもらえないだろうと思っていたら、意外な言葉が返ってきた。「何か不義理はしていない? たとえば親族の墓参りに行っていないとか」。

驚いた。気配を感じ始めたのは彼の命日あたりからだったのだ。
さっそく墓参りをした。すると翌日から“気配”はピタリとなくなった。私が行かないものだから彼の方からやってきていたらしい。

以来、毎年彼の墓参りを欠かしていない。とはいえ今年はすっかり忘れていて、当時の仲間との酒席で彼の話題が出て、思い出した。それでも我が家にあの“気配”は出ていない。彼も一緒に飲んでいたのかもしれない。

例年の墓参りは、彼の命日が梅雨の時期とあって、雨に降られることが多かったのだが今年は32度を超す猛暑だった。線香に火をともす間に汗が滴り落ちてきた。額から流れ出た汗は目にも入ってきて、他人が見たら墓を前に涙を流しているように見えたかもしれない。が、そのような感慨は今は、無い。
でも、彼の分も頑張らねば…と思うことは事実だ。

仕事でメールを利用し始めた十数年前、ちょっとしたことでトラブルになったことがある。
大した内容ではなかったのだが、私が書いた文章に相手への気配りが少し欠落していたことで誤解を与えてしまったのだ。
返信されてきたメールの、話の矛先がずれた内容からは先方の怒りが感じ取れた。相手の誤解を解こうとメールを返信したら、それは更なる誤解を生み、感情がむき出しになった返信メールが再度届いた。更に説明メールを送ったら、誤解は曲解に変貌し、もはや収拾がつかなくなってしまった。

大したことでは無いのに面倒な事になった、はてさて困ったと思案するうちに、メールでは埒があかないと先方の元へと出向いた。会って説明したら、肩すかしを食らったようにあっけなく解決した。
私のメール文章も拙かったのだろうが、先方も感情剥き出しで文章を書く癖があったようだ。会ってみればむしろ気の弱い、どちらかといえばおとなしい人間だった。

メールを多用する私の知人がいる。多用している割にはメールの文章が私にはきつく感じられる。だから私は彼とのメールでのやり取りを極力避けている。こちらの気分が悪くなるから。
きっと同様の気持ちでメールを受け取っている人もいると思うのだが、彼には私のようなトラブルはまだ派生していないのだろうか? 現に私との関係が疎遠になっている事実をどのように感じているのだろう?

前者の彼も後者の彼も、会えば物腰静かなおとなしい人間だ。どちらもタイプ的には似ている。思うに言葉では自分の気持ちをストレートに伝えられないのかも知れない。だから文章がきつくなるのではないか。

会話は相手の表情を伺いながら出来るので、もしも気に障ったようなことを言えばその場で感じ取り、わびることも出来る。仮に電話で相手の顔が見えなくとも、声のトーンで気持ちをくみ取ることも出来る。だがメールは常に一歩通行だ。相手の表情も、ましてや感情などは読みとれない。

メールはとても便利だけれど、メールでコミュニケーションを取るなど、私には到底無理だ。かといって時候の挨拶を手紙にしたためることも無くなった。これが今の時代なのだろうか。

卓球、昆虫採集、切手収集、Uーコン、トランペット、サッカー、スキー、釣り、ギター、オートバイ・ツーリング、モトクロス、登山、ゴルフ、ダイビング……。私が夢中になった趣味の数々だ。古い順に列記してある。

小学生の頃、近所に卓球場があって週末はそこに入り浸っていた。小学校高学年になるとU?コン(ラジコンのワイヤー版)とトランペットに夢中になった。が、今では音すら出せない(^_^;;;

中学になり音楽にはまりギターを弾き出した。ビートルズの曲やブルースをコピーして部屋で歌っていた。いま考えると少々恥ずかしいが、最後の頃はかなりの腕前になっていた。そのギターと同時期にサッカー部でしごかれていた。
釣りはフナ釣りに始まってルアー(当時としてはかなり先駆的だった)、渓流、磯釣り……と殆どやったが、鮎釣りだけはやらなかった。何となく年寄りっぽくて(^_^;;;

オートバイは中学時代から無免で乗り始めていたが、放浪癖が出始めたのは大学に入ってから。ヤマハの650ccで日本をおよそ3周した。行く先々で金が無くなるとバイトを探しながら2?3ヶ月をかけて日本を走り回っていた。(まるでフーテンの虎さん、プー太郎だ)
モトクロスはその当時のバイク仲間と遊び半分で出場していたのだが、その相棒が大けがをしたのを期にプッツリと止めた。

社会人になってから登山にのめりこんだ。深田久弥の「日本百名山」を踏破するんだ! なんて意気込んでいた(結局、20山ほどしか登れなかった)。
ゴルフは現在の会社に移った際に、上司から命じられて始めた。初めは嫌々だったが、なかなか100を切れない下手くそな自分の腕前に発憤し、練習場に通い出した。ベスト・スコア82、ハーフでは35を出して満足し、練習はすっかりしなくなった。今では100前後をたたいている。

そして今はダイビングに凝っている。色々とやって来ているけど、未だに続いているのはサッカーとゴルフ、そしてダイビング。
きっと、残るのはゴルフとダイビングではないかと思っている。心情的にはゴルフよりサッカーの方が好きなのだが、流石に体力に自信が無くなってきている。サッカーとダイビングは仕事を忘れられるのがいい。釣りも登山もゴルフも、何かの拍子に仕事を思い出してしまうのが残念だ。
私には自然を満喫できるものが合っているようだ。ここ数年、登山も釣りもしばらくしていないけれど、もう少し時間(余暇)にゆとりが出来たら、きっと復活するだろうと思っている。


朝焼け・夕焼けが好きだ。
瞬く間に空を茜色に染めて、その色調はどんどん変化して、瞬く間に色褪せていく。その色合いと瞬時のことであることがいいのだ。

ポンペイで出会った夕焼けは、ビールを飲み干す間もなく空の入道雲を茜色に染め、眼前の湾がその茜色の入道雲を映していた。素晴らしかった。

チュークで遭遇した朝焼けは、鏡のようなベタナギの海面が真っ赤に染まり、恐ろしいほどの美しさだった。

ダイビングを終えて、何とも言えない倦怠感のような疲労を感じながら、ビールやカクテルを飲むのが好きなのだが、その時にこんな夕景に出会えるともうたまらない。ダイビングに限った事ではないのだけれど、心底「ア?、だいびんぐハタノシイナ!」と思うのだ。

「ダイビングは一番静かなスポーツだ」と言ったインストラクターがいた。確かに静かな呼吸を保つよう心掛けることが大切だ。いかに余計な動作をせずに移動するかが大切で、運動量を多く、激しくすればそれだけエアーの消費も多くなる。

なので私はドリフト・ダイブが好きだ。水深の調節だけであとは中性浮力を保っていれば、目の前のスペクタクルな光景を流れに身を任せたまま堪能できるし、魚たちにも逢える。
強いて欠点を言うなら、ここぞ! の被写体を見つけたり最高にフォトジェニックなシーンに遭遇しても、シャッターチャンスが限られることだ。
ランギロアでは時速30?ものスピード・ドリフトだったのでハンマーヘッド・シャークやマダラトビエイの編隊に遭遇したのにシャッターは1回ほどしか切れなかった。彼らと私の進行方向が正反対だったので、彼らとすれ違う速度はおよそ50?70?。これでは連写機能が付いたダイビング用のカメラでも無い限り、私の技量でグッド・ショットは望めない。

エアーの消費に関しては、ダイビング本数50本を超えたあたりから気にしだした。数人のグループで潜り、1番先に私のエアーが枯渇して全員をイクジットさせるのは忍びないし、私にもメンツがある。そんなことを気にかけながら潜っている内に、ダイビング本数を重ねる内にエアー消費量は減ってきているようだ。過去の記録、ログを見直すと如実に進歩していることが判る。しかし……。

水中写真を撮るようになると、シャッターを切る際に自分の体が上下しないようにと呼吸を止める。しばらく止め続けると開始した際に呼吸は荒くなる。
昨年、ヤップ島ではそれを避けようと軽く呼吸しながらシャッターを切っていたら、同行のインストラクターに「呼吸が大きすぎる。だから身体が上下して写真が撮り辛くなる」と指摘された。ちょっとショックだった。自分ではかなり軽く呼吸しているつもりだったのに、それでもまだ大きすぎるというのだ。
進歩しているつもりだけれど、私のダイビング技量はまだまだのようだ。道は永いなぁ。

営団地下鉄線・日本橋駅のA1出口に向かうと、構内に『札幌や』というラーメン屋f96eebe3.jpg
がある。昼は12時前から行列が出来る時もあるようだ。

日本橋は仕事で時々行くのだが、並んでまで食す気にはなれず、かといって一度は賞味したいのだが、なかなかタイミングが合わない。
かつて14時30分頃に打合せが終わりそうだったので、これはチャンスとばかりに空腹を我慢して打合せをし、いそいそと出向いったら暖簾が下ろされていた。昼は午後2時あたりで閉めてしまうらしい。

今日も11時に日本橋に出向いた。写真はその際に撮ったものだが、この時間ならご覧のように空いている。しかしこの時間にラーメンを食す気にはなれない。
帰りに前を通れば、やはり行列だった。いつになったら賞味できるのだろう。

昨日、約50日ぶりにボールを蹴りに行った。
まだ微熱が残り、目眩と一部視野の欠落があるので、髄膜炎は完治してはいないと思うのだが、ジッとしていても治らないなら少し運動してみようと思ったからだ。前夜のバーレーン戦で日本の勝利を観て、ボールを蹴りたくなったこともある。

視野の中心から右側の一部分が欠けてしまうので、先々週のコンペではゴルフボールが半月状にしか見えず苦労したが、それより大きなサッカーボールでは気にはならなかった。
しかし、やはりダメだった(~_~;) 足元が安定しないからボールが足につかないのだ。ドリブルをしたらボールを踏みそうで怖かった。しばらく運動していなかったせいか、腰も弱っているようで反転も上手く出来ない。

途中から雷雨になりグランド使用が出来なくなったので、わずか40分ほどしかボールには触れていないけれど、私には丁度良かったのかもしれない。少しずつ体調を取り戻していきたい。


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