タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

2005年02月

昨日、父の墓参りに行って来た。一昨日降った雪が残っていて、北風が強く吹きとても寒かった。
頻繁に墓参する方ではないので、偉そうなことは言えないが、それでも年に3~4回は行っている。そしていつも感じるのだが、父の墓はいつ行ってもきれいだ。近隣の墓に比べていつもきれいで、枯れていることはあっても花が無いことはない。雑草も夏場に少し生えていることがあるだけだ。
今回も行ったら数日前に誰かがお参りをしてくれたらしく、花はまだしっかりとしていた。父がいかに生前、人に慕われていたかが想像出来る。

私は父に親孝行らしきことは一度もしてやれなかった。それどころか父を反面教師として位置付けていた。私自身が息子に対してそのように接しているので、父もそんな私のことを恨んではいないとは思うが、今となってはどうしようもない。
かつて父は「親孝行、やりたいときに親はなし」とよく言っていた。父は若い頃に両親を亡くしている。
当時私は、父が私に親孝行をして欲しいので言っているのだろうと思っていたが、もしかしたら今の私と同じ心境だったのかもしれない。それを私に伝えたかったのかもしれない(って事はやはり孝行して欲しかったのか!)。

さて、私の息子達は親孝行をしてくれるだろうか?(二人とも健康で道に外れたことをしてないから十分に孝行してくれてはいるが…)。 私が死んだら息子達は同じように感じてくれるだろうか? 墓参くらいはして欲しいなぁ。父のように家族以外の人からも献花されるようになれれば最高なんだけど、今の私には少々難しい。取り敢えずは私が他界した時に、息子達くらいからは尊敬されるような生き方をしないといけないな。


オートバイや自動車の運転が好きだった。何故に過去形かというと、最近はほとんど乗らなくなってしまったからだ。
バイクではかつて、日本中を走り回った。走行距離は通算で10万?を超えた。ザッと日本を3周したことになる。車の方はシビックRSという車に惚れ込み、ジムカーナ紛いのレースもした。
それが、オートバイはもとよりマイカーにすら乗らなくなった。乗る機会が無いのだ。昨年は多分、年間で200?も走っていないと思う。なので、本当に必要で乗ろうというときにバッテリーが上がってしまっていたりするのだ。実は先週の土曜日、大きめの買い物があり、雨も降っていたので車で行こうとしたら、案の定バッテリーが上がっていて結局寒い中、傘をさして出かける羽目になった。
今週末はバッテリーのチャージをしなくてはならない。もう少し可愛がってやらないといけないな。



JR山手線の神田と秋葉原の中間あたり、ガードの下に「天津飯店」という小さな中華料理店がある。最寄りの駅なら都営新宿線の岩本町だ。4人掛けのテーブル席が一つと7?8人が座れる程度のカウンターがあるだけの、本当に小さな中華屋さんだ。
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少々見辛くて恐縮だが写真のショーケースの中は、たった4品。エビそばとエビ焼きそば、そして餃子と瓶ビールが1本陳列されているだけだ。しかも、見事にホコリまみれ。この店構えを見ると、ちょっと入るには勇気が必要だ。
けれどこの店は実に美味しい。メニューも決してショーケースの4品しか無いワケではなく豊富で、お昼は日替わり定食も2種類用意されている。全てを食したわけではないが、何を頼んでも美味しいし、値段もリーズナブルなのだ。だから昼食時は行列が出来ていることも度々だ。

私は海老ソバと海老焼きそば(共に700円)がお気に入りで、病み付きになっている。月に1度は食べに出向くのだが、常連さんが“目玉ライス”なるものを注文するのを何度か聞いた。一度、横目で覗いてみたが、普通の目玉焼き定食のようだった。しかし、何度かこの料理が注文されるのを聞いたことがあるから、人気メニューであることは間違いない。
何時かは注文してみようと思うのだが、何時も海老のソバか焼きそばを頼んでしまってから、誰かの「目玉ちょうだい!」の声を聞いて、「アッ、また忘れてしまった……」と思い出す始末なのだ。
どなたか食したことのある方はいませんか? もし、いらしたら何故に人気メニューなのか教えて戴きたい。美味しいからだろうけど、何か特別な味付けでもされているのだろうか?

ここ数日、ライブドア堀江貴文社長の動向が話題をさらっている。
個人的には羨ましいが半分で、ちょっとなぁ…が半分だ。
羨ましいのは彼の人脈とあの若さ(無謀さ)だ。800億円のCB(転換社債)を発行してニッポン放送の株を買い付けたそうだが、お見事だ。社債返還の際に本家本元のライブドアが乗っ取られないことを願うばかりだ。
して、“ちょっとなぁ…”の方。多分、殆どの日本人がこちら側なのではと思うのだが…。

今、私たちは“資本主義”という経済システムの中で生きている。だから、金を得る方法はかつての汗をかく…、だけの方法から頭を使う or 金を使う方法まで選択肢が広がった。共産主義の世界では汗をかくしか金を得る方法は無かったけれど、資本主義経済世界では知恵をいかに使うかで金を得ることが出来る。アイディアを売ることも出来るし金を使うことで金を稼ぐ事も出来る。

ホリエモンこと堀江社長がやっているのは、まさに後者だ。金を注ぎ込んで金を稼ごうとしているわけだ。時間外の買い付けだのなんだのとバッシング的な事が報道されているけど、見聞する限り、決して違法行為をしているとは思えない。

でも、私は共感出来ないなぁ。彼の風貌&態度が私の肌に合わない事もあるけど、最大のマイナス点は彼が求めていることが自分の事だけのように感じられるからだ。長たる立場なのに、下部の事を思んばかる配慮が感じられないのだ。

彼は“株主が求める事をする”ような事を言っていた。確かにその通りだろう。けど、その最大の株主は自分自身じゃないか。彼がもしも本当に株主の事を考えているなら、M&Aも結構だけれど、本家本元のライブドアの収益を上げて株主配当を増やす事を目指すべきと思うのだ。

確かに先に書いたように、資本を動かして収益を上げる方法もあることも事実だ。私自身も資本の分散&投資をしている。
けれど、私は資産すら持てない人々の存在を忘れたことはない。彼の経営手腕を遙か下方から崇めさせて戴くとしよう。“資本主義”ゆえに金が中心に回っている世の中であることは間違いない。けれど、私たちは金のために生きているのではないのだ。たまたま時代が金を主体に動いているだけだ。
莫大な資産を得たホリエモン、君の力は認めよう。けれど、あなたは何の為に生きているのか? 金か?名誉か?地位か? 私にとって最大の資産&財産は金ではない。親族と友人達だ。

球団買収は失敗してしまったけれど、今度の買収劇は成功して欲しいなぁ。ホリエモンがその後にどんな事をやってくるか楽しみだから。ネットとラジオの融合なんて、みんな考えていた事を彼はどの様に実現してくれるのだろう? フジテレビも番組制作から編成まで、彼の手腕を見てみたいなぁ。1日中、彼が出ていたりして(^_^;;; 私には縁のない世界だから、下手なドラマを見るより楽しみだ。

私の人生観に影響を与えた、こんな話がある。

とある南海の小島に老夫婦がやってきた。
この老夫婦はかつて若かりし頃にこの島を訪れ、その美しさに魅了されて「晩年はこの島に永住し、あの椰子の木陰でノンビリと読書でもして過ごしたい…」と夢を抱き、がむしゃらに働いてお金を貯め、やっとその夢を実現出来る様になりやって来たのだそうだ。

老夫婦にとって、この南海の小島で日がなノンビリと暮らすことが終生の夢だったのだ。
ところが終生の夢であったこの南海の小島の椰子の木陰は、いつも一人の子供に占領されていて、自分達が木陰に入ることが出来ない。痺れを切らした老人は、ある日その子供に聞いたそうだ。
「君はどうして何時もこの椰子の木陰に居るんだい?」
「お爺さんはどうして、そんな事を聞くの?」とその少年。
お爺さんは答えた。「その美しい景色を眺めながら過ごしたいのだよ。それを目標に頑張って働き、苦労してやっとここに来れた。君は今そんな事をしていると、年を取ってから苦労するよ」と。
すると少年は、こう言ったそうだ。
「お爺さんがやりたかった事を、今しているだけだよ。苦労は後回しにしているだけさ」。

仕事は頑張るべきで苦労してはいけないと思う。仕事は楽しみであり、生きるための(目的を達成するための)手段であるべきと思う。仕事が目的になってしまってはいけない。山登りと似ている。登る過程(頑張り)を楽しむのが主の目的で、登頂することは二の次だ。仕事も一緒だと思う。ただ、仕事は結果が最優先される。だから楽しく働いて結果を出すべきだ。

1日24時間のうち、自覚して行動出来る時間は16~18時間しかない。しかもその内の半分以上を仕事で費やしている。人生の覚醒している半分以上を仕事で費やしてしまっているのだ。それが詰まらないというのはとても悲しいことだ。このお爺さんは、決して仕事に対して詰まらなかった…と言っている訳ではない。ただ、このお爺さんに私の父の生き様がダブるのだ。

父は決して仕事が嫌なわけでは無かったと思う。むしろ楽しんでいたと思う。けれど、父は自分のやりたかった事(晩年になってだが)が出来なかったのではと私は感じている。本人にとってはあまりにも突然の死だったから。

明日も確実に生きていると、あなたは言えるだろうか?  多分、生きているだろうけど“絶対”ではない。だから私は、今現在の仕事も趣味も全力投球で接したい。かといってワーカホリックでもないし、ボーっと1日を何も考えずに過ごす楽しみ方も知っている。
やりたいことがあったのに、それを実行しなかった事に対して、“やらなかった”ではなく“やれなかった”という言い訳をするような人生だけは送りたくないのだ。少なくとも死に際で未練を残ししたくない。
私の理想は「ア~、楽しかった! じゃあね、バイバイ!!」と笑顔で死んでいける人生なのだが、果たしてこの願いが叶うような人生を、私は送れるだろうか。



今日の産経新聞朝刊のコラムに、フランスの犬の行儀の良さが書かれていた。躾がしっかりしているので、レストランに連れて入る人もいるとのことだった。ほとんどの飼い犬が介助犬のような行儀の良さなのだそうだ。
私個人は犬が大好きなので、食事している側に犬がいてもなんら嫌では無いが、全ての人がそうでは無いのでは…と頭に“?マーク”の旗が立った。が、いまここで書きたいことはそのような事では無い。

私は十数年間、少年サッカーの指導をしていた。その時のことだ。遠征試合の帰り、バスの中で騒ぐ子供(サッカー部員)がいたので、私は他の乗客の迷惑と引率者としての私の立場上から「その様な事はお父さんやお母さんがいる時にしなさい!」と、その少年の頭を小突いた。
数日後、そのサッカー運営委員会で「親ですら叩いた事のない我が子の頭を殴ったコーチがいる」と問題になったのだ。私的には決して殴ったなどという意識は毛頭無く、“小突いた”程度なのだが、等の親御さんには“殴った”様に見えたらしい。それよりも私が驚いたのは、その子供の母親が引率者の一員としてそのバスに同乗していたというのだ。

その母親は、何故その時に自らの子供を諭さなかったのか? 他の乗客の姿が目に入らなかったのか? 自分で叱責しようとした矢先に私が小突いた事に気分を害し、後日の運営委員会席上で私が殴った…と言ったのだろうか? 自分の息子の手前、そばに居ながら何も言わず、行動せず、後になって運営委員会で話す方って事の方が親として恥ずかしいと感じなかったのか?

日本の行く末が恐ろしい。先日の17歳少年の凶行や、ここ数年頓に増えている少年犯罪、それにもまして、立派に成人しているはずの大人の理解不能な異常犯罪など、全ての根源がここにあるような気がするのだが、その様に感じるのは私だけか?
 
むかし自分が少年時代に、悪さや行儀悪いことをすると見知らぬ大人から怒られたものだった。だから子供時代の私にとっては、大人は全て両親も含めて“怖い”存在だった。
今の世で、大人が子供の怖い存在であるべきとは思わないけど、悪いことは悪いと教えるべきで、大人自らが規範となる行動を取るべきだと思うだが、今のような個人主義の時代には難しいのかもしれない。行儀を諭そうと下手に小突けば「変な大人が我が子に暴行を振るった!」なんて逮捕or告訴されかねない時代(社会?)だからなぁ。どうしてこんな日本になってしまったのだろう?



かつて高校生の頃パーマをかけていた(当時はリーゼントだった。あの頃はツッパッていたのだ困った)ことがある。社会人になっても時々、パーマしたことがあったかも知れない。
ところがここ数年のことだが、どういう訳か天然パーマになってしまった。チリッチリの天然ではなく、軽いウェーブ状の軽い“クセっ毛”ってやつだ。洗髪をした直後、ドライヤーを当てると毛先がウェーブしてしまう。決して嫌なわけでは無いけれど、この歳になってどうしてだろうと不思議でしようがない。 そうか! 丁度ダイビングを始めたあたりから、このクセッ毛は出始めたような気がする。紫外線のせいか、はたまた海の波が私の髪の毛に宿ったか……。

原因はどうあれ、セットが楽になったので助かっていることは事実だ。出来うることなら白髪が中途半端で無ければ最高なのに(~_~;) ゴマ塩頭は好きではない。いっそ真っ白に染めてみようか……(ウ~ン、想像すると微妙ダ……ダメ)。

西日暮里駅周辺は料理屋が少ない。夜のお店は結構あるのに、食事専門店が少ないのだ。ビジネス街ではないから致し方ないのかもしれないけれど、昼食時は本当に困る。ラーメンや寿司が好きなのだけれど、駅周辺の寿司屋もラーメン屋も美味い店がない。
そんな中で私が良く利用するのは「しすせそ」という名のそば屋さんだ。実際はうどん屋さんなのかも知れない。何故なら“さ”が無いからだ。つまり“さ”抜き。→讃岐うどん屋さんなのかも。

このお店、ご夫婦(多分?)で切り盛りされているカウンターだけのお店だ。一番のお得意さんは開成学園の生徒達だろう。いつも大挙して来ている。彼らが来ると席は一つか二つしか空かない。このお店の良いところは蕎麦やうどんの種類によってお汁を変えているところだ。うどんは昆布出汁の薄味だし、ソバは鰹出汁の醤油ベース。西日暮里駅周辺で昼食タイムの機会があったらコチラがお勧めです。さて、これから私もお昼時間。本日は肉ソバにしようか。

地元の小学校で子供達にサッカーを指導し始めて16年ほどになる。ここ数年は、指導者の立場を抜けさせて戴き、単純に健康と楽しみのために軽く汗を流させていただいている。

そしてやっとこの年になって“人に教えること”の意味が判ってきたような気がする。人に何かを教える…って事は、確かに教え方の上手い下手もあるけれど、その人の技量の問題が大きい。自分が持っている、知っていること以上のものは教えようが無いからだ。だから己の自己管理や啓蒙が必要になってくる。彼ら全員に大きな芽が育つ可能性がある。技量&指導力の低い指導者の下についた生徒達は可哀想だ。

子供達も低学年ならサッカーのルールと基本的な事を知っていれば何とかなるが、高学年ともなると指導者自身の技量と指導力、人間性が問われる。“良いオヤジ”で通用するのは4年生までだ。指導者自らが自分の技術の進歩を目指し、努力している姿を子供達には見せるべきだろうと思う。

さて偉そうなことを書いてしまった(^_^;;; 今日も天気は良さそうだ。グランドの端っこをお借りして、本日も少しボールを蹴らせていただこう。楽しみを60?、技術の低下阻止を40?の目標値において。

昨夜は久しぶりにドキドキした。サッカー日朝戦。
試合開始前から楽勝と思っていたし、小笠原のフリーキックで先制した時点で楽勝ムードは確信に変わっていた。
それなのに日本代表チームも楽勝と思ったのか、その後は情けないプレーが続いた。北朝鮮チームの気迫と粘りは、完全に日本チームの上をいっていた。なめてはいけないのだ。同点で終わっていたら大変だった。ホームでの引き分けは負けに等しい。終盤、いっそのこと負けてジーコ更迭も良いか……とマジで考えていた。ロスタイムの大黒の得点で辛勝したけれど、先が思いやられるなぁ。
おかげですっかり飲み過ぎて二日酔いになってしまったゾ!(それは日本代表のせいでは無いか(^_^;;; )

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