タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

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新聞社の招待を受け、アメリカのラスベガスとロサンゼルスに行って来た。
詳細は後日、私のウェブ・ページで公開するとして、まずは一報を。

今回はちょうど1週間の旅行だったけれど、もしもプライベートでそれだけの休みが取れたとしたら、私はアメリカには行かない。だから、今回のご招待は嬉しかった。こんな事でもなければ、一生涯ラスベガスには行くことは無いだろうから。

しかし流石、24時間眠らない街ですな。グランドキャニオンやザイオン国立公園にも行ったのだけれど(私の趣味はコチラの方)、その度に朝の5時起き。眠い目をこすりながらロビーに降りていくと、ギャンブルに興じている人々がいる。

だいたいラスベガスの空港内にもカジノがあるし、ホテルで軽食を摂ろうとすればテーブル上で賭が出来る。何もかもがギャンブルなのだ。

「ラスベガスは良いよ?」という人が私の知人にも何人かいるけれど、決してギャンブルが目的ではないと思う。ホテルのスケールが凄いので、それを指して良い…と言っているのではなかろうか。
確かにホテルの中をジェットコースターやケーブルカーが走っていたり、オペラ調の歌を歌いながらゴンドラでお迎えに来たり、各ホテルは趣向を凝らし客寄せをしている。
無料のアトラクションもスケールがでかいし、だいたいホテル自体が凄まじく大きいのだ。端から端まで歩くと20分ほどかかるホテルはザラ。そんな大きなホテルが砂漠のど真ん中に群立している様は、驚異的! a74f3c45.jpg


それらはみんな、ギャンブルの金でまかなわれているわけで、いかにもアメリカ的。派手なアトラクションで人を引きつければ、またそこでギャンブルをしてお金を落として行ってくれる…という寸法なのだろう。
ちなみに私はギャンブルがあまり好きではない。だからチマチマしか賭けなかった。カジノで使った金額は結局$6。それでも$40ほど儲けた。セコイ?(^_^ゞ  こんな宿泊客はホテルとすれば迷惑なんだろうなぁ。

昨年の秋頃から我が家のリビングに鎮座していた『ダ・ビンチ・コード』を読んでみた。05dd1fee.jpg


この本、次男坊が購入してきた。本人に「どうだった?」と聞いたら「まぁまぁ、だった」と素っ気ない返事が返ってきたので、そのまま半年近くも放置されていたのだ。

ところが最近になって「ダ・ビンチ・コード読んだ?」と聞かれることが数回あって何故かと聞き返したら、映画化されていて今年のG・Wに公開されるらしい。それで興味をもった何人かが私に問うてきたのだ。ならば…ということで読んでみた。面白かった。
ストーリーの展開が早いのと、ダビンチの作品にまつわる興味深いエピソードが盛り込まれていて飽きさせない。

私には無縁のキリスト教という宗教の一端をも垣間見させてくれて勉強にもなった。しかし、信心深い(狂信的?)なキリスト教のとある国では、どうも発禁になったという話しも聞いた。それほどにキリスト教信者にとってはセンセーショナルな内容なのだと思う。

けれど私にとって最大のセンセーショナルさは、巻末に記されていた発行人の名前だった。田口恵司……。前職での私の先輩だ! その会社でサッカー部に所属していたのだが、一緒にボールを蹴った仲だ。彼はそのサッカー部のキャプテンでもあった。

『モナリザの微笑み』や『最後の晩餐』に隠されていたメッセージにも驚いたけれど、『ハリー・ポッター』を抜く勢いのミリオンセラーの日本語版発行人が私の先輩とは! 驚いたショック

ワインの戯れ言第3弾です。

「フルーリー フレドリック・コサール」って名前のワインを飲んでみました。
昔、学生時代にアルバイトさせて頂いたことのある酒店の、二代目若旦那に薦められて購入した、フランス・ブルゴーニュのワインです。
この地ではシャルドネという品種が有名だけれど、このワインの品種はガメイ。「聞いたこと無いなぁ?」と言ったら、なんでも地元の醸造者には憧れの品種だそうな。このブドウ本来の味を生かすには、醸造者の力量が問われるのだとか。34d1badb.jpg


で、お味の方は若旦那が薦めてくれただけあって期待以上でした! 「星三つですゥ??!」。私の好みのテイストです。
瑞々しくってそれでいてしっかりとした味わいが残る。口に含んだとき、喉ごし、飲み終えて…と3回味を楽しめる感じです。
料理を選ばない、日本人好みのワインって感じました。

その昔、羽田空港に着陸しようとする機中から東京全体がドーム型の網のようなものに覆われているのを見たことがある。
房総半島の遙か沖合から東京湾を眼下に見下ろしながら羽田に近づくにつれ、その巨大な“網”のようなものは、東京をスッポリと包み込んだスモッグだと判った。
風が無いからなのか、巨大なスモッグ・ドームは見事なまでにきれいな半球形をし、東京都全体を包み込んでいた。

それがスモッグだと判ったときは愕然とした。「ワタシハ、アンナトコロデ、セイカツシテイルノカ…」と。9ebc8578.jpg


近年は減ったけれど、それでもひと夏に数回は光化学スモッグ注意報が発令されるている。
東京ほどの大都市を、私は他に知らないけれど、他国はどうなのだろう? 最近、汚染の進行がひどくなっているときく中国。北京や上海、大連あたりはどうなのだろう? 霞んで見えるとすれば、それは黄砂か? ニューヨークなどはどうなのだろう?

シドニィ・オリンピック開催の年に、そのシドニィを訪れた事がある。私が訪れたことのある“都市”と呼べるような海外の地は、こことパースだけだけれど、双方共に綺麗な青空が見られた。

神田川は確かに最近きれいになってきていて魚はいっぱいいるし、カメの姿を時々見かけることもある。カワセミらしき姿を中央線の快速電車車中から見かけたこともある。
自分たちが暮らす地を汚すことだけはしたくない。地球規模でだ。タバコの吸い殻を道路に捨てていくことに何の罪悪感も感じないような無神経な輩がこの都市を、世界を汚染しているのだと思う。排ガス出しても誰かが綺麗にしてくれる…とでも思っているのだろう。

東京駅そばの高層ビルから神田の駅を見下ろすうちに、ふと昔の事が思い出されたので戯れ言を書き留めた。ちなみに写真の右上遥か先の方、線路に架かる屋根が神田駅。私の勤めるオフィスがある。

「カッシェロ・デル・ディアブロ メルロー」というチリ産のワインです。
なんでも「悪魔の蔵」と呼ばれる伝説の蔵で醸造されたワインだそうな。77593285.jpg

で、ビンにもラベルの上の方に悪魔のマークがデザインされていた(写真がピンボケで良く分からないけどすいません)。

チリ産のワインは最近、人気のようですね。何人かから「チリ産は美味いね」という言葉を聞いた。確かに日本人向きかもしれない。オーストラリアの東海岸のワインにも似たようなテイストのものがあったなぁ。軽い飲み心地だけれどしっかりとした味わいが残る。
この日の食事はスネ肉のビーフ・シチュー。ちょっとシチューには味が軽いかも。でも、ワインの味は良かったです。

しかし、安いワインばかり飲んでるなぁ(^_^;;;

ワイン記録の第一弾。
イタリアン産の『キャンティ』です。d41ae024.jpg


イタリアのご当地ではかなり有名らしい。となれば日本でも有名らしく(うちのカミさんも知ってた)、大抵の酒屋だったら売っている(らしい)。

ライトボディの軽い口当たりだけどツンとした感じが舌に残る。
赤だけれど、どちらかというとサッパリ系の料理に合うような気がする。

当日、食した料理は湯豆腐と焼き鳥。焼き鳥はタン、ハツ、ネギマ、つくね、レバーの5種類で、全て塩焼き。
コテコテの肉料理より、この手の料理に合うなあ。とは言っても夕食の献立に合わせてこのワインを買ったわけではない。単なる偶然(^_^;;;

お酒が好きだ。入院でもしない限り、飲まない日は無い。風邪をひいた日でも酒を飲んでから床につく。

そんな生活をしていれば当然のごとく、数年前から痛風が出始めた。醸造酒を飲むと危ない。だから、焼酎やウィスキーなど蒸留酒を飲むようにしている。
醸造酒の代表格である日本酒は、さほど好きでもないので構わないのだけれど、ビールも痛風には良くない。ところがこちらは大好きなので困る。サッカー後や風呂上がりは、やっぱりビールが一番だ。なので最近はプリン体99%カットの発泡酒を自宅では飲んでいる。

ところがもっと困ったことに、最近ワインに凝りだした。ワインは醸造酒であるから、飲み過ぎればかなりの確率で翌日に痛風に見舞われる。
それでも美味いものだから止められない。
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上の写真は私が買い付けている安売りリカーショップの倉庫ではない。お世話になっているスポンサーの社長室。社長室の片隅(といってもかなりのスペース)にワインのケースが無造作に置かれているのだ。
過日、社長お気に入りの数本を贈っていただいた。美味かった。
人それぞれ好みはあるといっても、やはり美味いものは旨いのだ。だから「お勧めだよ」と贈っていただいたものはどれも美味かった。
ところが私は美味いものに目がない割に、それを覚えようとしない。なので今後、美味いワインを見つけたら、記録代わりにここに残すことにした。

上の写真くらいの本数を飲み終えた頃には、いっぱしのソムリエもどきになっているかもしれない。いやその前に歩けなくなるか、身体がパンクする…か(^_^;;;

カエルウオが好きで、水中で出逢うと大抵シャッターを押している。
あのひょうきんさが何とも愛らしくて好きなのだ。37267088.jpg


2度目のサイパンで、フタイロカエルウオって奴に出逢った。名前の通り、胴体の真ん中あたりから上半身と下半身の色が異なる。
ツートンカラーって事だけでも充分に変な奴なんだけれど、その時に出逢った奴はナント! コカコーラの瓶を住みかにしていた!
瓶の口から周囲をキョロキョロ見回しながら顔を出すその仕草に、私の顔の筋肉はすっかり弛んだ。

実はそれまで私は水中写真を撮っていなかった。カメラを水中で扱えるほどの技量も無かったし、潜れるだけで満足していて水中写真自体に興味などなかった。

そのコカコーラのフタイロカエルウオに出逢った事で、私は水中写真を始めた。あんな可愛らしいカットを残しておきたくなったのだ。
しかしあれ以来、千数百カットを撮っているけれどあの時のようなフォトジェニックなシーンには、未だに遭遇していない。カエルウオの写真で気に入っているのは1カットあるけれど、それでも満足できていない。
コカコーラ・カエルウオに出会える日はあるのだろうか?

※ちなみに写真はモンツキカエルウオです。

一昨日、東京でも降雪がありました。我が家の周辺では10?ほど積もりました。

小学1年か2年の頃だったと思うのだけれど、私の母方の実家で2階の窓から出入りした記憶があります。雪が積もって2階の窓際まで埋まってしまったのです。
降雪そのものは1?ほどでも、屋根から下ろした雪が加わってその様な積雪量になるのです。
玄関前は階段状に雪を除いているので、なにも2階の窓から出入りする事は無いのだけれど、子供だった私にはとてもワクワクする行為で「危ないから止めなさい」という祖母の言葉を無視して、何度も出入りしてました。

一昨日の東京の雪で、我が家は昼・夕方・夜と3回雪掻きをしました。
我が家に面する道路は東と北側にあって、ともに道路側に陽があたる時間が少ないのです。特に北側などはこの季節は陽はまるであたりません。だから、雪は確実に残るのです。しかもそれが車などに踏み固められてしまうとカチンコチンの氷となってしまって、1ケ月以上も根雪ならぬ“根氷”状態になってしまうのです。

そうなると、スコップでの除雪は不可能です。お湯かバーナーで溶かすしかありません。なので雪が踏み固められて氷状になる前に除雪しなくてはならないのです。酒を飲んだ後での、夜9時の除雪は結構しんどかったです(*_*)

翌日の日曜日、近隣ではカチンコチンの氷を一生懸命スコップで砕いたり、水をかけて溶かしているのを見かけました。
飲酒後の労働は辛いけれど、それでも氷を砕く作業より1日に3度の除雪の方が、きっと楽だと思うのです。

にしても少々変だ。我が家は男が他に二人もいる。
その愚息どもはゴキブリのごとく深夜に徘徊し、昼間は寝ている吸血鬼のような生活。「晩飯はヌキだ!」の呪文も今では通用しない(T.T)

遅ればせながら、映画『ALWAYS 三丁目の夕日を観てきました。
東京タワーが完成するまでの数年(昭和32年?33年)が時代背景で、両親に捨てられた男の子と売れない作家、小さな町工場の家族と出稼ぎの少女、二つの物語を軸にして、高度成長期の東京が描かれています。

CGを駆使して見事に昭和時代が再現されていました。鉄橋を渡る汽車のシーン、路面電車やオート三輪、ダイハツなどが走るシーンなどは見事です。勿論、建築途中の東京タワーや完成後の、まだビルが殆ど無い東京にそびえる東京タワーなど、一見の価値は充分にありました。

この時代がオーバーラップする…なんて書いちゃうと歳がバレバレなのですけど、正直言って若干記憶の残る場面もありました(^_^;;;  氷で冷やす冷蔵庫、ダイヤル式の黒電話など記憶に残っています。お風呂は既にガスで沸かしていたけれど“上がり湯”なんて小さな湯を溜めておくスペースがあって、その側に煙突が出ているんです。その煙突に肘などをくっつけてしまって、よく火傷をしてました。

テレビが我が家に来た日も覚えてます。電気屋さんがスイッチを入れるとブルーインパルスが東京オリンピックの五輪を空に描いている場面が映し出され(当然モノクロ)、外を見たら本物がもっと綺麗に肉眼で観られてガッカリした記憶も残ってます。

小学生2?3年生の頃、友達と東京タワーに行ってみようという事になりました。当時、私が住んでいた練馬からは、まだビルが少なかったせいか東京タワーがいつも見えたのです。
お昼過ぎに、その東京タワーを目指して自転車をこぎ始めました。でも、漕げどもこげども全然近づかないのです。当たり前ですね。練馬から港区芝公園までは直線距離にしても10?以上ありますから(^_^ゞ
結局帰宅が夜中になってしまって(それでも良く帰れたものです)、こっぴどく怒られました。映画の中でも少年が捨てられた母親に会いに行き、怒られるシーンがありますが、なんだか懐かしかったです。

主役の吉岡秀隆は、個人的にはあまり好きな役者ではないのですが、ことこの作品に関してはハマリ役でした。違和感なく観ていられました。ヒロミ役の小雪に関しては、ファッションが時代とそぐわない様な気がしましたが『ラスト・サムライ』の時よりもずっと良い演技をしてました。

きっとテレビ(日本テレビ)でも放映されると思うし、その前にDVDも発売されると思うので、是非とも一度、ご覧ください。特に昭和ヒトケタ?昭和20年位にお生まれの方は必見です! ハンカチをお忘れ無く。

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日帰り出張で大阪に行って来た。
大阪は年に1度くらいは行くことがある。けれど、いつもはチャーターバスかタクシーに乗っての移動で街中を歩くことなど殆ど無かった。
今回は徒歩及び地下鉄&JRでの移動。

懐かしく思い出される景観もあったけれど、やはりどっちがどちらなのか判らず往生することもあった。

エスカレーターで歩く人は左側…と東京と反対なのは知っていたけれど、マナー的にはどうも東京の方が良いなぁ。東京だってマナーを知らない(知ってても守らない?)輩はいるけれど。特に大阪のマナーが悪いというのではなくて、何というか秩序的なものが感じられないのだ。みんな好き勝手…というか。平然と通路の真ん中で話し込んでいたり、トロトロゆっくり歩く人がいたり…。

そういえば総体的に皆、歩くスピードが遅かった。梅田も新大阪もビジネス街だと思うけれど、商店街のような歩行スピードだった。

東京はオンとオフで歩くスピードが違うと思うけれど、大阪は一緒なのかも知れない。

写真は町中で見つけた靴屋さん。立地条件最高の大きな交差点の角地にあった。お店の看板(?)自体に“店じまい”って書いちゃうのも凄いけれど、「もうあかん やめます!」って垂れ幕、きっといつもこのまま営業しているのではあるまいか(^_^;;;  店主にいつやめるのか聞いてみたかったなぁ。

記録的な大雪に見舞われています。

私の生まれ故郷・新潟もかなりのダメージを受けているようです。幸いなことに私の親族は殆どが市内在住なので、隔離状態にならずに済んでいるようですが…。
東京で時々積もる雪の除雪ですら私にはきつい作業なのだから、高齢者の家の苦労が痛いほどよく解ります。

このドカ雪、日本海の水温上昇が原因だそうですね。海の温度が例年になく高くなっているために、蒸発する水分が多いのだそうです。それが日本列島をすっぽりと包んだ寒波によってドカ雪となって降ってきているのだそうです。
と言うことは、きっと今年も台風が多いのではないかと危惧されます。海水の温度が上がっているのは日本海だけでは無いだろうから、きっとミクロネシア周辺の海水蒸発量なんか半端じゃないはず。夏になって水温が更に上昇し、沢山の台風が発生するだろうと想像出来ます。

いま、本当に地球の温暖化を一人一人が真剣に考えるべきだと思うのです。些細なことでも一人一人が省エネ、節約! 「もったいない」の気持ちを大切にする時だと思うのです。


連日寒い日が続きます。
こう寒いと顔を洗うのも「エイヤッ!」と気合いを入れないと出来ません(;^_^A

こんなに寒いのに海に潜っている人もいるんですね。伊豆辺りじゃ冬の方が楽しい…なんて声も聞くけれど、ドライを着て潜るのはどうも気が引ける。

ドライ自体を着たことも無いのだけれど、フードですら装着時の首周りの圧迫感が嫌いなのだから、ドライなんて多分10分も着ていられないのではないかと思うのです。
それにおしっこの心配もある。いくら濡れないといっても身体が冷えてくれば近くなる。ウェットだったら「ちょっと失礼」も出来るけれどドライじゃ無理だ。

嘘か本当か分からないけれど、おしめをしてドライを着る人もいるとか。冷えなきゃ良いと言ってもホカロンなんかはダメらしいですね。酸素が無いので燃焼しないらしい。

南の島へ行きたいなぁ…と思うけれど、それも出来ないので、時々昔お世話になった宮古島のダイビング・ショップ「山本大司潜水案内」のログ・ページを見て満足しちゃったりしています。
でも、あちらも結構寒いようですね。ドライ持参のゲストもいるようです。

3年ほど昔、11月の上旬に宮古で潜った際はまだペラペラの2?ウェットしか持っていなくてフードとセラミックが混じったパンツを下に着て潜った。記録を見れば水温25?26度。水中で寒さを感じた記憶は無いけれど、イクジット後にガタガタ震えた記憶が残っている。気温は20?23度ほどだったと思うけれど、風が吹くと濡れた身体には堪えた。

私のような“ナンチャッテ・リゾート・ダイバー”は、やはり水温28度、気温30度以上の常夏の島が理想です。きっとドライは一生着ないだろうなぁ。33676e35.jpg

(Photo by Watanabe at majuro)




スポンサーが出展しているというので『ゆりかもめ』に乗って東京ビッグサイトへ出向いた。
ゆりかもめはご存じの通り無人の交通機関。汐留駅付近はまさに未来的な景観が広がる。途中、レインボーブリッジと平行して走るのだが、私は早朝のこの景色(写真)が好きだ。72b3d881.jpg


この時は午後3時過ぎだったが、日の出時間に車でレインボーブリッジを走り抜けると湾岸にそそり立つビル群が黄金色に輝いて本当に見事なのだ。高速道路でなければ思わず車を止めたくなる。
この景色はシドニーの雰囲気と似ている。いつか写真を撮りたいと思っていたのだけれど、ゴルフで千葉方面に行く時に見るのが殆どだったので、今回やっとゆりかもめ車中から撮影が出来た。

ところでビッグサイトではエコプロダクツ2005が開催されていたのだが、小学生や中学生が一杯来ていた。今の大人達にいくら自然保護を訴えても一部にしか理解されていないと思われるので、子供達がこの様な会場に足を運んでくれることは良いことだ。

先にも書いたけれど地球環境の悪化は、想像も出来ないほど進行している。都市や街で生活していると全然感じられないけれど、自然の中や南の島へ行ったり海の環境を年単位で見たりしていると痛烈に実感出来る。ひとり一人の環境保護意識の高まりが早急に必要だ。常に「もったいない」という気持ちを持つことが大切なのだ。

それはそうと、ビッグサイトでお昼を摂ろうと東展示場の1階へ行き『らぁめん大景』で醤油ラーメン(680円)を注文した。とても不味かった(~_~;)
どうもチェーン店らしいけれど、この味でフランチャイズしているのかしら? インスタントラーメンの方が美味いゾ。大体、数種のラーメンと餃子程度しか作っていないのに厨房に4人、接客に5人も従業員がいた。彼らの経費があの不味いラーメン価格にオンされているのだ。
ビッグサイト内という限られた店舗数の中で、競争原理が働かないからやっていけるのだろうなァ。うらやましい………。でも、自民党政権という国に守られていた業種は今、結局競争力の欠如で崩壊したり苦しんでいるから、決して良いことではないのか。
他の店舗の味がどうかは知らないけれど、ここで食べたら他の店舗を見かけても入らないと思うけれど、損じゃないのかなぁ。

穏やかな潮の流れに乗ってドロップオフ(崖状の地形)際を流れていくドリフト・ダイブが好きだ。
水深を調節しながら海中のスペクタクルを楽しめる。流れがあることで大物に出会える期待感もある。ギンガメアジやバラクータの群れ、トビエイなどに逢えるのも流れのあるポイントの方が遭遇率は高い。b6aea35c.jpg


ドリフト・ダイブを楽しんでいる際、皆は何処のあたりを中心的に見ているだろう? 私は壁側30%、前方40%、海底方向30%といったところか。
私自身の少ない経験では海底方向から出てきた大物に逢った回数が多いのだ。マジュロのアルノ環礁・イリアムでマダラトビエイとナポレオンに逢えた。ナポレオンはドロップオフ際を悠々と泳いでいたが、マダラトビエイは濃紺の海底方向から忽然と、まさに“飛んで”きた。
右上の写真はランギロア・ミオリエンヌでのもの。ランギロアでは時速にすれば30?を超える超スピード・ドリフト・ダイブに驚かされたけれど、写真のポイント「ミオリエンヌ」は穏やかな流れにもかかわらず、グレイリーフ・シャークや体長2?を越すバンドウイルカに出会えた。

今年7月。インドネシアのメナドで「ただ海の中にいられれば満足なんです」というダイバーと出会った。確かに言われてみればその通りだ。ダイビングのスタイルがどうのこうの、などは話のネタに過ぎず、要は海が好きなのだ。味噌汁のような海中だけは勘弁だが、綺麗な海であれば潜っていられるだけで満足なのだ。

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マジュロのタカズ・コーラルガーデン、クニズ・コーラルガーデンは共に平均水深3?ほど。左写真のように海底から水面が見えている。シュノーケリングでも充分潜れて楽しめる水深だった。それでも敢えて重たいタンクを背負って潜っているのは、海中に長く留まっていたいからに他ならない。
太陽光を感じながらゆっくりとサンゴの間をすり抜けたり、時には仰向けになって光の乱舞を楽しんだり、その一時は魚たちと同化した時間だった。

メナドで出逢った件のダイバーは、ドリフトの際に両膝を抱えて流れに身を任せていた。時折、気にかかるサカナを見つけたりするとフィンを動かす程度で、マリモのように漂っていた。
海が本当に好きなんだなと感じた。




日本という国を信じられなくなったとき、どうすれば良いのでしょう? 相手が人間なら接触せず、仮に接触してもただ信じなければ良いだけこのことだけれど、自分が生きている国が信じられない場合はどうすれば良いのでしょう?

いま大問題となっているマンションやホテルの耐震強度偽装問題は、業界ぐるみの仕業であるのは明白だけれど、私は国も関与していると思えてならない。
検査機関は国の許認可企業だし、いくら後で撤回したといっても「この問題をほじくりまわすのはあまり良くない」と武部幹事長が語った事は事実だし。彼が根拠のないことをうっかり口にしてしまったのだとは到底思えない。

日本で発生した狂牛病しかり、薬害エイズ問題の時もしかり、全て行政と企業の癒着を感じるのだ。
だいたい郵政の民営化にしたって、どれだけの日本国民が望んでいるのだろう? 私はむしろ官僚の人数と給与を減らし、不透明な予算使用を禁じて明細を明確にして欲しい。
国家財政が危機的なことは明白なのだから、増税は致し方ないとしても、国家官僚がまず率先して襟を正して欲しい。自分たちの蜜だけは大切にして国民にそのツケを回すなんて国には住みたくないのだ。だから税金だって払うのがバカバカしくなってくるのだ。私達が支払った税金は彼らのためではない。私達に還元されるべきものだ。

今回の耐震強度偽装問題でも税金が使われる公算が大きいようだ。個人の買い物なんだから自己責任だという意見もあるが、それ以前に政治家が関与していたのか否かを明確にして欲しい。その上で税金の投入が正しいかどうか論じるべきだと思う。

政治はその国の国民の顔だ。今の政治を許しているのは私達国民だ。だからこんな国は嫌いだと言うことは、日本人が嫌いだって事になるのかなぁ?

日本とうい風土と人間は好きだ。でもやっぱり、こんな腐敗した国に住みたくはない。何で子供達があんなにも簡単に殺されてしまうのだ? 昔の日本は「安全と水はタダ」だったはずなのに今では安全も食も住も自己責任だ。

けれど、どうすれば良いのか判らない。この国を出て行きたいのは山々だけれど、今の生活環境を捨てていくまでの度胸は私には、無い。いや、まだ起きない…というのが正解か。もっと嫌になれば出ていく決心も固まるかも。

海外で起業する夢もまだ捨てたわけじゃない。移住は時期尚早だとしても、まずは夢の実現に向けて動いてみるのがベストなのかもしれない。

ある講演会に行ってサステナビリティ(Sustainability)という言葉を覚えた。“持続可能性”…といったような意味だそうだ。

現在のままの経済活動を続けていくと、2050年には地球に壊滅的な状況が訪れるのだそうだ。それは世界中の科学者の一致した研究結果で、異議の差し込まれる余地の無いものなのだそうだ。

大気中のCO2濃度を下げるために、仮に今すぐ全てのCO2排出原因をストップしても、安定化が訪れるのは十数年も先のことらしい。それは海水が地球の温暖化を吸収しているからで、上昇した水温を元に戻すのは簡単な事ではないのだそうだ。
なので地球に異変が起きてから対策を講じても、水温が下がるのには何十年もかかるわけだから、残された人類は何十年も苦しむことになる。

昨年は台風の大量発生があったし、その台風も年々巨大化している。アメリカの巨大ハリケーン「カトリーナ」被害は、かの地が海抜0?地帯だったこともあるけれど、ハリケーン自体が巨大だったからだ。

“ロハス”って言葉も生まれてきているように、自然環境を守ろうとする人々が増えているような気もするけれど、まだまだ地球レベルの意識には遠く及んでいないと思う。
安さや効率、直ぐに廃棄に結びつくようなものを買い求めるのはもう止めようと思う。まず地球環境に悪影響を与えていないか考えるようにしようと思う。もう消費の時代は終わりにして、循環的生活をするように心がけるべきだと痛切に感じます。

時間のある方、一度こちらのサイトを覗いてみてください。『サステナビリティの科学的基礎に関する調査

日帰りで四万温泉へ行って来た。

実は数年前まで、私は四万温泉は“志摩温泉”で伊勢志摩の方にでもあるものだと思っていた。
知人が「シマ温泉はいいよ?」と言っていたので、何処にあるのか改めて探したら“四万”と書き、群馬県にあるのだと知った次第。
殆どテレビ、特にドラマは見ないので知らなかったけど、ココ四万温泉はNHKドラマ『ファイト』の舞台なんだってね。4e43bb47.jpg
温泉街では至る所に『ファイト』の文字があった。

私の会社が協賛加盟する商工協同組合の視察・親睦会での日帰り温泉ツアーで、それに参加したのだけれど、集合が上野公園。
四万温泉でも紅葉は少し残っていたけれど、待ち合わせた上野博物館前の紅葉の方が、ご覧通り見事だった。

今朝は通勤電車の窓からお茶の水駅の下を流れる神田川を見ていたら、これまた見事な紅葉が望めた。流石に11月も下旬となれば東京の方が紅葉は美しい。

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左の写真は途中で立ち寄ったフラワーパーク。何のために造ったのか疑問(*_*)?? どうせ県民&市民から集めた税金を地元の企業にばらまいたのだろうな。
入園料は500円だったように記憶するけど、金を払ってまで誰が入るのか? 快晴の土曜日だというのに、見かけたのは家族連れが2組ほどとご高齢のカップルを1組、おばあちゃんを一人…、あとは私達だけだった。

四万温泉はイメージと大違いで、とてもこぢんまりとした小さな温泉街だった。湯はマァマァかな。バスガイドさんはしきりに沢渡温泉を薦めていた。なんでも草津の湯にあたって皮膚に炎症が出来ても、ここの湯に浸かれば治るのだそうだ。
歴史なども色々話してくれたけれど、車中は眠くて意識半分で聞いていたから覚えていない(^_^ゞ

温泉の日帰りツアーなんて初めてだったけれど、なかなか良いものかもしれない。11cf3b87.jpg

料理もちゃんとしていたし、お酒を飲んで寝て帰れるのがなんとも宜しい。紅葉のハイシーズンを外せば空いているだろうし、たまには仲間とのんびり湯に浸かるのも一興かと思う。

銀座の8丁目、並木通りに面して「BRICK」というバーがある。9abc5a51.jpg

カウンターと細長いテーブル席とが用意されているカクテル・バーだ。

前職時代、職場の仲間と良く通った。「軽く一杯ね」なんて言って寄るのだが、“軽く”で済んだことは殆ど記憶にない。大抵、バカな話や議論紛糾して“重く”飲むことが恒例だった。

昨夜、その昔の先輩&後輩&仲間諸氏が私を誘ってくれて、食後に約20年ぶりに寄った。おぼろげながら記憶の残る店内は懐かしく、閉店まで飲んだ。
10年近く昔に利用し、20年ぶりに来たのだから、この店は少なくとも30年以上の歴史があるね…なんて話していたら、創業は1950年だそうな。半世紀以上も営業しているのだ!

移り変わる銀座の街で、このような趣のある店が残っていてくれることは嬉しい。

かれこれ20年近く、地元の小学校で週末になるとボールを蹴っている。
当初は子供達にサッカーを教えていたのだが、最近は自分の体力低下を防ぐために、指導部を離れて自由に参加させていただいている。おかげで年齢以上の体力を保っていると自負している。それでも最近は衰えが目立ってきているけれど…。
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指導者として現役の頃は高学年でも対等以上にサッカーを出来たが、今ではあっさり抜かれたり、ちょっと気を抜いたときにはボールを奪われてしまう。
最近の子供のサッカー技術が高くなった事も事実だけれど、私の体力&技術が衰えてきていることが最大の要因だ。

何度か書いたことだけれど、色んな趣味をもった中でサッカーだけが一番永く続いている。ちょっとしたスペースとボールさえあれば、直ぐに楽しめるのが素晴らしい。ルールもシンプルだから子供でも直ぐに参加できる。
だからこそ世界中でプレーされているのだ。

上の写真が私がお邪魔している小学校のグランドだ。紅葉が綺麗だったので思わず写真を撮ってみた。

年々、子供達の数が減ってきて今では一学年2クラスしかなく、しかも組ごとの生徒数も30数人だそうだ。だから、一つの小学校ではメンバーの集まりが足りないので他校にも声を掛けて募集しているそうだ。

20年近く通ったこの光景が無くならないことを切に願う。
嬉しいことにここ2?3年の間に、このサッカー・クラブの卒業生が指導者として戻ってくるようになった。私の受け持った少年もいる(決して私の指導が下手だから戻ってきた訳ではない…と思う(;^_^A )。
理想的な地域ボランティアの形になってきていると思う。あとは何時まで私を受け入れてくれるか……、いつまで私自身がボールを蹴ることが出来るか……。

指輪やネクタイピンなど、何かを身につけることがあまり好きでない。なのに、どういうワケか腕時計だけは好きだ。

父の形見のオメガ以外、特別に高級なものは持っていない。値段的に一番高かったのは、今年買い求めたダイブ・コンピュータのスキューバプロ。『Xtender V3』という仮面ライダーみたいな名前だが、10万円まではしなかった。
過去、いくつか気に入った腕時計があったが「安物買いの銭失い」とは良く言ったもので、結局壊れてしまって手元にはダイブ・コンピュータを除けば2個しか残っていない。

かれこれ30年ほど昔。父が大量の腕時計を抱えて帰ってきた。聞けば不渡りにあい取引先の商品を持ってきたのだと言う。100個以上はあったと思うのだが、1個しか貰えなかった。その時計も早々に壊れてしまった。
あの時計、父は売りさばけたのだろうか?

好みの問題もあるのだが、父の形見の時計はまだ使用していない。どうも自分の年齢では早すぎるような気がしているから。父がその時計を買い求めたのは晩年になってからだった。多分60を過ぎてからだったと思う。私は60歳の誕生日を迎えたらその父のオメガを着けようと思っている。きっとその時でも正確に時を刻んでくれるであろう私の唯一の腕時計だろう。


スポンサーのご子息の結婚式に招待された。披露宴会場は帝国ホテルの孔雀の間。このホテルの一番広い宴会場だ。
開宴10分前に到着すると、既にロビーはごった返していた。手渡された座席表を見ると、かなりの人数の招待客数だった。関係者に聞いてみたら、280名ほどらしいとのことだった。

私は過去にこのような豪勢な結婚式に列席したことがなかったので、圧倒された。9f5b94f2.jpg
大体、帝国ホテルの孔雀の間といえば、芸能人や名だたる著名人が式を挙げる場所だ。出版社のパーティーなどでは何度も利用しているけれど、結婚式というのは初めてだった。(列席者には議員や歌手なども来ていた)

私自身の結婚式を思い出していた。私の親族は殆どが新潟在住のため、雪の心配を押して新潟で開いた。
私も家内もマスコミ関係の仕事をしていた関係で、新潟での披露宴としては結構派手な式だったと思う。招待客も多い方だと思うのだが、それでも確か120名ほどだったのではないかと記憶する。
酒に酔った私の婆さまが踊り出し、私の名前を連呼して酒を飲めと暴れていたのが懐かしい。その祖母も昨年、他界してしまったが。

私自身としては、結婚式は女のためのセレモニーと思っている。女が一番輝きを放つ時だと思っている。その新郎など刺身のツマのようなものだ。無ければおかしいのであった方が良い…程度の存在だと思っている。
素晴らしい旦那様を得たことが一番幸せなことだろうが、昨日の新婦はあのひととき、まさに最高の輝きを放っていたに違いない。帝国ホテルの孔雀の間という最高の舞台の上で。

ダイビングの楽しみの一つに、ダイビング後のログ(記録)付けがある。私は最大水深、平均水深、エントリー・タイムにイクジット・タイム、水温と透明度、そして使用した機材(特にウェットとウェイト)を記録するぐらいだが、見つけられたサカナたちの名前をしっかりと記録している人も結構多い。

しかし、この時に自分の知らないサカナに逢ったなら、名前を同伴者やガイドさんに聞いておかないと、帰ってから面倒なことになる。図鑑で知らないサカナを見つけるのは非常に骨の折れる作業なのだ。
それともう一つ、このログ付けを皆でするときに「あ?だ、こ?だ」「あそこに××がいたけれど見なかったの?」などとワイワイやるのもダイビングの楽しみでもあるのだ。a812c6ed.jpg

どこの海の何て言うポイントが良かっただの、あそこのショップは良かっただのと情報交換する貴重な時間でもある。

ここ数年、私は海外でのダイビングが殆どになり、スケジュール調整も巧く合致しないため、ダイビング仲間と一緒にしばらく潜っていない。いつも一人だ。出来れば気の合うダイビング仲間と一緒に潜りたいものだ。

先のブログにも書いたけれど、私がゴルフのコンペが好きでないのは、知らない人とラウンドすることが多いからだ。決してゴルフ自体が嫌いなのではない。ゴルフ・コンペで、仮に知人と一緒の組になっても、親しい人とは限らないからだ。

ゴルフにしてもダイビングにしても、バカなことを話し合える仲間とするのが一番だ。そのスポーツ自体は一人で行うものだけど、だからこそ気の置けない仲間と行うのが一番楽しい。一人で楽しむ趣味では、釣りと登山は若干趣が違ってくるけど、一人で行うゴルフやダイビングはやはり少し寂しい。

一人ダイビングの楽しみといえば、帰ってから写真の整理と名前調べをしながら酒を飲むことぐらいだ。ウェッブに記録を残すのも、独りぼっちのダイビングを少しでも楽しみとして自分の中で増幅し昇華させるという意味合いが濃い。

ゴキブリがどうしようもなく嫌いだ。
子供の頃はクワガタと間違えて、手で捕まえても平気だったが、ある時を境に大嫌いになった。

学生時代に西表島を縦断した。その際、道に迷って山中で一晩を過ごすことになった。地べたでウトウトしていたら、何かが私の頬にとまり口に入ろうとする。慌てて手で払ったヤツが5?はあろうかという大きなゴキブリだった。手も口元も油でギトギトになった。
以来、姿を見かけるだけで背筋に寒気が走るようになった。やっと涼しくなってきて、奴らの姿を見かけなくなる季節になったことはとても喜ばしい。

子供の頃は苦手な生き物など存在しなかった。それがゴキブリ口進入事件を境に、ヌルヌル&ベタベタする生き物が苦手になった。カタツムリなどは小学生の頃には自宅で飼育してた事もあるのに、今では大嫌いだ。当然、ナメクジも。

爬虫類は嫌いではない。むしろ好きな部類かもしれない。「チッ、チッ、チッ、チッ」と夜になると鳴き出す南方の住人・ヤモリは、愛らしくてとても好きだ。b36ac279.jpg

数年前まで我が家にも二匹のヤモリが住み着いていた。何時も二匹一緒にいて、夜に帰宅すると外灯のそばで何度か見かけた。

ある日のこと、トイレに入って腰掛けたら目の前にそのヤモリ君がいた。何故か一匹だけだった。私の目の前50?ほどの壁にピッタリとへばり付いている。用足しの暇つぶしにと、つい「フ?」と息を吹きかけたら、相当ビックリしたようで彼(彼女?)はピョンと跳んだと思ったら私の股間にしがみついた。今度は私がビックリして慌てて手で払ってしまった。

それを契機に彼(彼女?)の姿を見ることは無くなった。私は彼らの姿が見えなくなったのは、私の所為ではなく、連れ合いがいなくなったからだと思っているのだが。

スポンサーのゴルフコンペで、主催側の社長、前年の優勝者、そしてタレントの岡本夏生とラウンドした。なんとも賑やかなゴルフになった。

e035d0e9.jpg彼女はスタート時点からしゃべりまくりで、会の表彰式でもプレゼンターを自らかって出た。
ゲストは他にも元ジャイアンツの柴田勲、土井正三、青い三角定規の西口久美子なども来ていたけれど、まさに彼女の独壇場…って感じだった。

聞くところによると2組後ろの組でも彼女の声が聞こえたと言うから、その賑やかさたるや凄い! 話している内容はゴルフの話し。次のショットはどう打つか、とかコース・マネジメントをどうするか、とか。
同行プレイヤーのショットに関しては殆ど話さなかったけど、まるでテレビ中継を意識しているようなノリなのだ(勿論、この時にテレビ中継など無い)。

ずっとしゃべりながらのラウンドなのにスコアも50・48とご立派! ドライバーの飛距離は推定180ヤードほどだが、アプローチが抜群に巧いのだ。だから、グリーンまで60ヤードほどになれば必ず乗せてくる。惜しむらくはパットが少々雑なところか。彼女の性格かもしれない(ゴルフと車の運転は性格が出る)。

とにかく賑やかなゴルフでラウンド中も、ラウンド終了後のパーティーも、アッという間だった。
私自身はコンペはあまり好きでは無いのだが、こんな賑やかで楽しいゴルフならコンペも良いものだ。

faee90d2.jpgちなみに優勝は元・巨人軍の土井正三氏。37・36の1オーバー。お見事です。

エッ? わたし? まぁまぁ…でした。総勢60名中14位。賞品は……、ゲストさん達の直筆サイン色紙(^_^;;;


今年7月インドネシア・メナドで潜った際、潜水中に突然、左手の小指と薬指にヒリヒリした痛みを感じた。
船上に戻った際に見てみると、ぷっくりと水ぶくれのようになっていた。聞けばソフトコーラルにやられたらしい。かなり多くの種類のサンゴが刺胞毒と呼ばれれる毒を持つというけれど、今まで刺されたことは無かった。触るようなことはしないから。
しかしこの時はいつの間にか触れてしまったようだった。完治するのに3週間ほどかかった。水ぶくれは当然のように破れ、その後が化膿したようになってなかなか治らなかった。

水中で危ないと直ぐに判断できる奴はいいけれど、岩と同化しているオニオコゼなど、うっかり岩のつもりでつかまれば大変な事になる。だから、ダイビングでは極力手を使わないようにする。自然保護の意味も含めて、サンゴなどの生物(サンゴは植物ではありません)に触るなどはもってのほかのなのだ。

しかし、自分が周囲のものに触れないようにしていても、ナイトダイビングのライトに突進してくるダツ(とがった槍のようなサカナ)や、一部のサメ(ホホジロザメ、イタチザメなど)に遭遇するのは如何ともしがたい。でも、彼らに襲われることは滅多にないから、結局は自分自身が細心の注意を怠らないようにするしかないのだろう。

昨年、ヤップ島でゴマモンガラの襲撃をうけた。60?ほどの大きさで、海底から一気に私達(私とガイド)目がけてアタックしてきた。抱卵期の彼らは巣に寄るものはサメですら攻撃をしかけるそうだ。
こいつはもともとの顔からして、ギャングのような悪そうな顔をしているサカナで、その顔で猛スピードの攻撃を受けた際は本当に恐かった。

海の中は、もちろんそんな危険な奴らばかりでは無いけれど、注意しておくに越したことはない。彼らにとっては人間が一番恐いのだろうけど、極力ケンカは避けたいものだ。




私のいとこが急逝した。死因は聞いたけれど忘れた。心不全のようなものだったと記憶している。
朝、叔父(いとこの父親)が、なかなか起きてこないので起こしにいったら既に冷たくなっていたそうだ。享年44歳。若すぎる………。

親よりも先に他界するとは何という親不孝者かと思う。

小さな頃からそのいとことは、同じいとこ同士の中でも気の合う方でよく遊んだ。

新潟へは今年5月に母方の叔父の逝去で行き、今度はいとこの葬儀だ。昨年、祖母の死で数年ぶりに新潟へ赴いたと思っていたのに立て続けだ。出来ることなら葬儀などではなく、親族との会話や美味しいものを楽しみたいのだが、現実はなかなか思うにまかせない。

お棺の中の死に顔を見るうちに涙が止まらなくなった。5月に叔父の葬儀の際に会ったときは、本当に元気そうだったいとこが、薄紫色の顔でお棺の中に横たわっていることが信じられなかった。葬儀場で気丈に明るく振る舞う叔父(いとこの父)の姿が、痛々しくて見るに忍びなかった。葬儀場で叔父と話した際、思わず「順序が逆だ! 親より先に死ぬなんて、なんて親不孝な奴だ」と言ってしまい、言ってしまってから後悔した。

明日の事なんて誰も判らないのだと、帰京の新幹線の中で再認識していた。もしかしたら、このブログを記した後、私も眠りのさなかに死へと旅立つかもしれないのだ。ならばこそ、毎日を充実した日々にしていこうと思う。悔いの残るような死に方だけはしたくないから。


私が初めて海外を訪れたのは中学生のとき、「香港&マカオの旅×日間」というヤツだった。海外旅行好きの父に同行しての正月旅行だった。中学生だというのにへべれけに酔っぱらっていた記憶が残っている。それが父との旅行の最後だった。私は一人旅をするようになっていた。

その後、自分の意志で初めて訪れた海外がパラオだった。それまで日本全国をくまなくオートバイで走り回っていた自分は、日本が一番美しい国だと信じていた。しかし、初めて訪れた南海の島国は強烈な美しさだった。自然が自分の手の届くところにあることに驚いた。
以来、訪れるのは南国ばかりになった。d6c050eb.jpg

パラオの次に訪問した海外はニューカレドニアだった。イル・デ・パンという島に滞在し、手つかずの自然を満喫し、ウベアという島(写真)ではまさに“天国に一番近い島”を実感した。写真の中に写っているのは私の妻と次男だ。人影無く何処までも続く海岸線には、おびただしい数の美しい貝殻やサンゴが打ち上げられたままで残っていた。エメラルドグリーンの海も表現のしようが無い乳青色で、空はどこまでも蒼かった。

それ以来私は、世界中の美しい自然や見知らぬ生活を見たくなった。休暇をまとめて取れる様なチャンスがあると、さて何処に行こうかと思案し始める。幸せだと思う。とても恵まれていると実感する。そして見知らぬ海外を訪れる度に、生活レベルのあまりの異なりに愕然とする。そして再び自分の恵まれた環境に気づき、感謝の念を強くする。
2年ほど前、チュークという島を訪れた際に、デュブロン島の製氷工場を見学した。工場の中は氷を造るどころか、島民の洗濯物が干されていた。森喜朗前総理大臣がODA予算を数億円注ぎ込んで造った製氷工場だそうだが、電気もまともに配給されない島では冷蔵庫も無い。氷を作っても意味が無いのだ。

自分自身でその地を歩き見ることで、初めてその地の人々が求めている物が判る。私は少しでも、自分が訪れた気に入った国の手助けをしたいと思っているのだが、一体わたしに何が出来るのだろう? 今思えば、せめてもっと父に同行してあげるべきだったと思う。少なくともそれぐらいのことは出来たのだから。

パソコン歴を数えてみたら12年以上になる。悲しいかな、その割にはレベルの低いところで右往左往している。
初めてのパソコンはウィンドウズ3.1搭載のエプソン製PCを友人から譲り受けた。確か25万円ほど支払った記憶がある。今にしてみれば、物凄く高い買い物だ。なにせCPUはファミコン以下、メモリだって8メガほどだったのではないか? フロッピーが5インチで2枚入れて作業する面倒くささだ。

それでもインターネットの走りであるモザイクなんかをやってワクワクしたものだ。1枚の画像を表示するのに10分以上かかる。通信速度は確か9600bpsだった。そして翌々月のネット接続通信料金の高さに飛び上がったものだった。

今のネット世界をあの当時と比較すると、クロマニヨン人が10年そこそこでロケットに乗って宇宙旅行するようになるほどの進歩スピードだと思うが、果たしてオーバーだろうか。

かつては残虐な画像サイトや児童虐待の紹介サイトなどが氾濫していたようだが、最近では自然浄化されあまり無いとのことだ。しかし、昨日の新聞には闇サイトが摘発された記事が出ていた。殺人請負サイトだとか。もっと馬鹿げた話だ。

今のネット世界はウソと真実が渾然一体としている。どれが真実で、何が嘘なのか自己責任のもとで判断しなくてはならない。人は善の中で生きていると信じれば、いずれそのような悪質なサイトも駆逐されるのだろうけど、それでも人を騙し自分だけのことしか考えない輩はいなくならないだろうから、完全に消え去ることは無いだろう。

コミュニケーションを取ったり、情報を得たり発信したりと、時代を大きく変革させていることは事実で、私も時代に乗り遅れないよう必死に知識を蓄えていきたいのだが、最近は追いついていけない(T.T)
歳なのか努力が足りないのか………。

※ウェッブとのリンクを外しました。それに伴ってコチラの書き込み解禁しました。ヨロシク!m(_ _)m


3連休を利用して沖縄県の伊江島へ行って来た。
出発当日の、フライト時間4時間前まで、行こうか止めようかと迷っていた。台風17号と18号がダブルで北上してきていたから。18号の方は早々と進路を西にとってくれたので無視できたのだが、17号の方は東へ行くか北へ上ってくるか微妙だったのだ。午後3時時点で東へ行くことがほぼ間違いないと思われたので、出発する事にした。bf80ad3f.jpg

伊江島はなんとものどかな島で、港から続くメインストリートにスーパーと民宿、スナックや居酒屋が数軒並んでいるだけ。食料品店も開店は午後3時から…なんて表示がしてあったりして、人影すら見ることは稀だった。

帰路は本部港行きのフェリーに乗って美ら海水族館に寄ってきた。fbad561e.jpg
水槽の前面を最初に見られる場所の右端に、あまり知られていないようだが飲食しながらその大水槽を見ていられる場所があって、ここは最高だった。椅子に座ってビールを飲みながら3頭のジンベエやマンタなどを観ていられる。手が届く位置にあるガラス(触ってはいけない)に顔を近づけていれば魚たちがこちらを見に寄ってくる。

私は基本的に人の手が入り込んだ自然(もどき)が好きではない。餌付けされた魚や動物たち。人間が作り上げた森や池など、どうしてもウソっぽくて嫌いだ。餌付けされた魚や動物たちを見ると悲しくなってくる。美ら海のジンベエやマンタだって、大海原で泳ぎたいだろうと思う。そう思っている私なのに、ビール片手に彼らを眺めている事が楽しくて仕方なかった。勝手なものだ(^_^ゞ

大学時代、教職に就きたくて教育課程を専攻していた。その夢は父の大反対で潰えてしまったけれど、現在の職業に満足しているので今は悔いはない。

10数年ほど昔、少年サッカーの合宿で私は引率の教諭と大喧嘩をしたことがある。何で教師になったのかという私の問いに、その先生は「それしか成りようがなかったから」と答えたのだ。教職が夢だった、当時はまだ純粋だった私(笑)は激高した。思わず「お前は先生という言葉の意味が判ってるのか! お前などに人を教える資格などない!」と罵倒してしまった(^_^;;;
いま思えば大変失礼なことをしてしまったと後悔している。若気のナントヤラ…って事で許して欲しいのだが、いまではその先生がどちらに赴任されているか知る由もない。

当時は就職難が続いていて、その様な教師が結構いたらしい。デモシカ先生というのだと聞いたことがある。先生しかなれない、先生にでもなるか…って事だそうだ。
今の日本の教育が情けないものになっているのは、決して彼らだけの所為ではなく日本の政治が、文部省が悪いとは思うが悲しいものがある。
ところが少子化が進む日本で、学校経営も大変だろうと思っていたら、ナント!教員不足になりつつあるのだそうだ。

少子化の影響で大学生の人数が減っている一方で、一般企業の求人は逆に増えてきているから教師にでもなろうという者が減っているらしい。それは今後、ますます少子化が進むにつれて顕著になるんだそうだ。なので、私立の有名校などは既に教師の獲得に奔走しているのだそうだ。

定年を迎えた企業人を教師に採用してはどうかと思うのだが、どうか? 小中学校レベルの教育で必要なのは、勉学も大切だけれど、それ以上に人間形成だと思うのだが…。高度成長期を経験してきた、日本経済の牽引者ともいうべき方々の中にこそ、素晴らしい教師がいると思うのだが。

大学時代、バリバリの体育会に所属していた。あまりのしごきに耐えかねて2年で辞めてしまったけど…。
1年の時、何度も学内で寝泊まりを強要された。雑多な作業を先輩から押しつけられて、実際のところ寝泊まりしないと終わらないのだ。
深夜まで作業をするから、当然腹が減る。ところが鬼のような先輩がいて、夜食など食べさせてもらえない。最初の頃は水を飲んだりして空腹をごまかしていたけれど、部室泊が1週間も続くと流石に辛くなってくる。

ある夜、たまたま鬼の先輩が帰宅し、2番目に怖い先輩が熟睡している隙に、私はコッソリと部室を忍び出て、遠くから聞こえる音符い?しや?きイモ?音符の声を追った。翌日の分もと大量の石焼き芋を買い込み、その場でガツガツと食った。

その翌朝……、猛烈な苦しみに襲われた。初めて体験した胸焼けだった。当時は胸焼けなるものを知らず、結局苦しみながら、せっかく認められている食事も摂る事が出来ずに1日を何も食べずに過ごした。

以来、私はイモが嫌いになった。焼き芋は勿論、パサつくジャガイモやパンすら食べる気になれなくなった。
また、あの焼け付くような苦しみに襲われるのではないか…、ノドに詰まって窒息するのではないか…、という想いが脳裏をかすめるのだ。
しかし、決してイモの味が嫌いなわけではない。その証拠に焼酎を飲むときはイモばかりだ。


自民党が圧勝した。
そうなりそうだと予測はしていたけれど、少しガッカリ。また癒着政治が続くことになりそうだ。

郵政の民営化よりも、私個人としては年金や医療保険の方が重大だ。
日本の未来を、私の愚息も含め日本の子供たちの将来を思えば、郵政よりも40万人とも50万人を突破したとも言われているニート(無就業者)の存在や温暖化に象徴される自然破壊の進行の方が心配でならない。
詰め込みの教育でなく、自分自身で物事を捉えて考えられる知力を養う教育をして欲しい。人間も自然の一部であるということを広く知らしめて環境保全に力を注いで欲しい。

でも、確かに改革が必要な事は日本人全ての一致した意見だと思う。それが“郵政民営化”を一貫して唱えていた小泉首相に具現化・実現性の高さを感じ、自民の圧勝に結びついたのだと思う。
たとえ郵政だけでも完全なる民営化を実現して欲しい、と願う。何も出来ないよりはずっとましだから。

国民のために働くべき官僚達が自分の立場を忘れ、強大な権限を広範囲に持ち、それを当然の権利と言わんばかりに振り回しているような国は、いずれ衰退に向かうだろう。だから“郵政”という米びつが民営化されることで、少しは官僚たちの権限(資金力)が削がれるのは良いことだ。

道路公団のように、名ばかりの民営化にならないことを切に願う。名前だけの、知名度だけの、一度も投票にすら行ったことのないような立候補者が出ず、それを許さない日本であって欲しいと切に祈る。
その国の政治は国民の顔でもある。自民党は単独(独裁?)政権を得たのだから、せめて日本人の誇りを失うような政治だけは止めて欲しいものだ。

ダイビングで一番恐いのはパニックだといわれる。確かにそうだと思う。冷静さを欠いた時、人は残された脱出方法を限りなく見つけづらくなる。

ダイビングのライセンスを取得し、初めてのファンダイブ。
沖縄本島の読谷村・読谷漁港の沖合い にある生け簀にジンベイザメが飼われていて、その餌付けに同行ダイブが出来るという。私はこれに参加した。このファースト・ファンダイブでパニックを起こした。

その時の沖縄はナントカ風の影響で、猛烈に澄み切っていて透明度は50mを優に超えていた。ボートからジンベエが飼われている生け簀入り口(多分水深は20mほど)まで潜行しなくてはならないのだが、下を見ながら潜行を開始したその時、私は恐怖に襲われた。

なにせ物凄い透明度で、何処までも見えるのだ。私はこのまま海中深く沈んでしまう妄想に襲われ、パニックを起こした。潜行スピードも早かった。初めてのダイビングで自分の適正ウェイトも判らず、多めの重りを装着していたためだ。動悸が速くなり、呼吸も荒くなり…。慌てて浮上してしまった。BCにエアーを入れる余裕もなくフィンキックだけで。水面に出てもBCにエアーを入れることを思い出さなかったと記憶している。

潜水直後で水深も10mに満たなかったと思うので、潜水病になる危険性は少なかったとは思うけれど、急浮上はよくない。船が曳航していればスクリューに巻き込まれて大けがだ。

海上にはこれから潜行を開始しようとしているイントラがまだいてくれて、私の顔をのぞき込み「落ち着いて。ハイ、深呼吸をして」とアシストしてくれた。多分、私の目は大きく見開かれたままだったと思う。そんな私をよく再度潜らせてくれたものだ。

もう一つ。
3年前、伊豆の神子元でロストしたことがある。水深は15mあたり、透明度は7mほど。潮流も激しく、私は自分のバディを見失い、同僚の姿も見えぬまま海中で独りぼっちになってしまった。とても恐かった。透明度が良ければ、少しは気持ち的に楽なのだろうけど、周囲がほとんど見えないのだ。しかも自分の身体はどんどん流されている。

この時はパニックは起こさなかった。2分ほどそのままバディを待ち、戻らなかったので浮上を開始した。ゆっくりと。BCのポケットにはフロートが入っている。この時間なら、先ほど私達を落とした船が見つけてくれるだろうと考えていた。それより、船に拾われたときの恥ずかしさが脳裏を横切っていた。

この時、浮上中に偶然同行の者たちと出会い、そのままダイビングを続けた。本当はいけないのだが。一人行方不明のままダイビングを続けるなどもってのほかだ。インストラクターの指示に私は従ってしまった。でもあの時、私は揃って浮上することを強く意思表示するべきだったと思う。
幸い、迷子になったもう一人は、他のグループに混じってダイビングを続け、偶然にも一緒の船に戻ってきた。
浮上後、船上でこっぴどくイントラが怒らたのは言うまでもない。


日曜、月曜と北海道へ出張で出かけた。出張と言ってもお客さんとのゴルフがメインで、両日ともゴルフ。
年に6?7ラウンドほどしかプレーしない私にとって、2日連日のゴルフは少々堪えた。月曜日は航空便の時間調整もあって、1ラウンド・ハーフしたものだから、まるで一年分のゴルフを二日間で消化したような気分だった。

廻ったコースはアーレックスゴルフ倶楽部とニドム・クラシックコース。
ニドムはまるで山岳コースのようで、北海道のゴルフ場っぽくなかったけれど、フェアウェーに転々と鹿の足跡(写真)4483b40e.jpg
があったり、コースの外れで姿を見かけたりして、それなりに北海道らしさを垣間見ることが出来た。

高校生の時に初めて北海道へオートバイで訪れ、その雄大さに惹かれて7年ほど毎年通い詰めた。当時は高速道路は札幌=小樽間しかなく(鈴木宗男氏が議員になっていなかったから?)、幹線道路を走っても対向車とすれ違うことは、札幌や函館、小樽、帯広などの都市部以外では稀だった。どこもかしこも自然一色だった。
それが今では高速道路は張り巡らされ(決して熊だけが利用するようなことはない)、交通量も多い。見渡せば確かに原生林や牧場なども見られるけれど、そこにはかつての面影はない。

そういえば、昔の北海道で鹿に出会った記憶は無い。逢ったのはキタキツネとツキノワグマ、放牧された牛と馬、北の宗谷岬ではアシカ。
それが今では至る所に鹿がいた。鹿がそれだけ増え、人目に付くようになったと言うことは、他の動物たちが減ったとうことか。生態系のバランスが崩れているような気がしてならなかった。

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