タカラガイの独り言

ダイビングや旅のこと、子どもたちとのサッカーの事など徒然に。

何と言われようと頭突きは…

サッカー・ワールドカップが終了しました。
今年は時間帯が深夜・早朝だったため、流石に全試合は観戦出来なかったけれど、それでも何試合かは早朝にベッドから抜け出してテレビに向かった。

決勝戦前夜は9時に寝て、3時に起床。しっかり観ました。
流石にフランス、イタリア共に気迫のこもったプレーを魅せてくれて、試合開始早々に寝ぼけ眼もパッチリ!
カンナバーロ、ピルロの動き&プレーはキレてたなぁ。

それにしても残念なのは、延長戦入って間も無くのジダンの退場。
彼自身、このワールドカップ終了後に引退を表明しているだけに最後まで勇姿を観たかった。
しかし、マテラッティが何とシダンに言ったのか未だに出てこないけれど(一部の噂ではテロリストと言ったとか言わないとか…)、頭突きは良くない。仮にも引退後は子供にサッカーを教える…と言っている選手がやってはならない。

中田とは異なり、ワールドカップ開催前に引退を表明し、そして決勝戦まで進んだのだ。最後まで勇姿を見せて欲しかった。
彼が最後まで戦っていれば、最後のPK戦でイタリアに勝っていた可能性は大だ。

近々、あの時の状況について会見するらしいけれど、マテラッティが何と言ったかとか、勝負の結末以上に、世界中が彼の最後の行為を残念がっていることは間違いない。

見知らぬ仲

先週の金曜日のこと。
出勤途中の新宿駅で前方から小走りで来る巨漢の男とすれ違った。
そのすれ違いざまに、巨漢男の背中にあったショルダーバッグがクルリと反転して来て私の左太股を直撃・強打した。
経験のある方には解って貰えると思うけれど、太股の筋肉を強打すると猛烈に痛い。

巨漢男のショルダーバッグは大きくて堅くて、しかも何か重い物が入っていて、その痛さたるや半端ではなかった。思わず駅の通路にしゃがみ込んでしまった。
「ちょっと待て!」と呼び止めたかったけれど声も出せない程の激痛。巨漢男の姿は直ぐに見えなくなってしまった。

痺れたような痛みでしばらく立てずにうずくまったままでいた。およそ3分ほど。時間は朝の9時過ぎで、新宿駅はまだ通勤ラッシュの時間帯。多くの人が私の脇を早足で避けていく。人によっては露骨に邪魔だと言わんばかりの顔つきですり抜けていく。
「大丈夫ですか?」の声を聞くことはなかった。

本当に冷たい街だなぁ、東京は。
自分の自慢話を書いても仕方ないけれど、数週間前に自分は電車の戸袋に手を引き込まれた女性を汗だくで助けようとしたのになぁ。

結局、私が男だからか? もしも女装でもしていれば何人かの男に声を掛けられただろうか?

それにしても週末にいつものようにグランドには出向いたけれど、満足にボールを蹴れなかった事が不愉快だ。貴重な週末を、サッカーを楽しめなかった事が腹立たしい。

東京が異邦人の集まりで怪しい人間も多いから、声を掛けない方が確かに無難だろう。たとえ私のようにスーツ姿だって安全な人間とは限らないから。

昨日あたりから痛みは薄らいできたから、今週末は楽しくサッカーが出来るだろう。雨が降らないことを願おう。

それはそうと、中田英寿が引退しちゃいました。もう少し彼のプレーを観たかったけれど、彼にしてみれば考えに考え抜いた結果だろうから「お疲れさま」と拍手で送ってあげたいな。
これで彼も、私が楽しんでいるような、彼自身が求めるサッカーを楽しみ、満喫出来るに違いない。苦しむサッカーとはサヨナラだ。


ブラジル戦

サッカー日本代表を応援しようと早朝3時過ぎにベッドを抜け出した。
でも、前半20分を過ぎたあたりから心は日本を応援せず、目は華麗なブラジル・サッカーを追っていた。

前半30分過ぎに玉田が見事なシュートを決めてくれて、再び心も目も日本を応援し始めたけれど、ロナウドの同点弾以降は完全に黄色のユニフォームを追っていた。

中田も中村も小笠原も、どうしちゃったの? と思ったけれど、決して調子が悪かったワケじゃなくて、ブラジルの方が数段レベルが上だったってことだろう。まるで小学生と中学生の試合を観ているようだった。

試合が終わって、中田がピッチに倒れたまま泣いている姿や中村の、あの本当に悔しそうなコメントを聞くうちに、彼らも試合に負けた事より、自分たちのサッカーがブラジル相手に殆ど通じなかったという悔しさの方が強かったのだろうと思った。

20年ほど昔、フットサルの大会で日系3世のブラジル・チームと当たったとき、私たちのチームは12対1で完敗した。大差で負けたことより自分の技術レベルの低さが悲しかったのを思い出した。

今日の日本代表たちも同じ気持ちだったのではなかろうか。

ボランティア

ミクロネシアのコスラエ島で農業支援のボランティアをしている老人と知り合った。
1200万円を注ぎ込んで、中古のトラクターやら耕耘機を購入したそうだ。

日本政府もかなりの額のODA予算をこの周辺諸国に投じているけれど、所詮、政治家や役人がやることで、それがどれほど役に立っているか甚だ疑問。だって一昨年訪れたチュークで、日本が2億円も捻出して造った製氷工場が、氷なんか作られずに島民たちの洗濯物干場になっていたもん。
電気もまともに使用していないような島で、氷を造ってどうするつもりなのか?

で、話を元に戻すとしよう。先のご老人は1200万円という資金だけでなく、自ら島に渡って島民たちに農業支援を行っているのだそうだ。70才という年齢で、しかも交通事故の後遺症で足がまだ痛むらしい。

確かに取り敢えずはお金が一番必要だけれど、現地が最も必要としているのは知識と労働力だ。

……閑話休題……

私がマーシャル&チュークを訪問した3ヶ月後、タイで大きな地震が起こり津波で各地に大きな被害が出た。
その中のひとつの島・ピピ島も津波にさらわれ、大きな被害を被った。あの時の悲惨な報道映像は、今でも脳裏に焼き付いている人も多いだろう。7b223a7b.jpg


私を知る現地のダイバーから、この地震で孤児になった子供たちのために、日本向けの絵本を出して支援活動しているのだが手助けしてくれないかと要請があった。

ピピ島はその2年前、2002年に潜りに行った島だ。とても美しく、そして豪快なダイビングが楽しめた。
二つ返事でOKして、いくつかの出版社にパブリシティを依頼した。

本当だったら私自身もコスラエ島やピピ島に行って、彼らの支援活動に参画したいところなんだけど、仕事を持つ身では無理だ。物見遊山で終わってしまうのがオチだ。
私は子供が好きなので、ピピ島での支援は本当に協力したい。でも、出来るのはせいぜい絵本を数冊購入するだけだ。

コスラエ島の方は、ご老人が告知のためにカラー・コピーを何枚も取って配っていると言うので、そんな無駄なことは止めた方が良いと、ホームページを作ってあげることにした。これなら私でも協力できる。
デザインは恥ずかしい限りだけれど、中のコピーはそのご老人の思いがギッシリ詰まっているので、興味のある方、お時間がある方は是非一度見てやってください

こんな程度しかお手伝い出来ないことに地団駄を踏む思いなのだけれど、よくよく思い返してみれば私もかれこれ20年近く子供にサッカーを教えている。自分がプレーするのが好きでサッカーを続けているから、少しもボランティアって感じではないのだけれど、これも無償でやっているのだからボランティアだ。
好きなことから始めるのが一番大切なのかもしれない。でないと続かないから。続かない行為は、自分自身にとっては勿論、受け手側も苦痛になると思うのだ。

采配ミス

子供たちにサッカーを教えていることは以前にも書いたけれど、試合の結果によって子供たちに言う台詞を変えていた。

子供たちが勝ったときは「君たちの力、頑張りの結果だ」と語り、負けたときは「コーチ(私)が悪かった。相手チームをもっと研究するべきだった。君たちはよく頑張った」と励ますことにしている。

で、昨夜のワールドカップ、日本vsオーストラリア戦。
私はジーコの采配ミスだと思っている。
運良く1点取れたあと(あれだって反則だと言われ得点にならなくても文句は言えない)、柳沢はじめ宮本らディフェンダーも運動量が極端に落ちていた。
それなのに何故、ジーコは小野しか投入しなかったのか? 怪我の坪井に変えて茂庭を入れた際、何でシフトを変えたのか? なんでもっと早く大黒を投入しなかったのか?

初戦惨敗した日本代表に、私が教える子供たちのごとく「君らは良く頑張った」とは決して言いたくは無いけれど、ジーコの采配ミスが最大の原因だと私は思っている。監督としてヒディングの方が勝っていたのだ。

名選手必ずしも名監督にはなり得ない…って事か? ライカールト始め名選手であり名将もいるんだけれどなぁ………。

退職

某出版社の取締役が任期満了にて退職され、その送別会が昨夜あった。

勤続年数を伺って驚いた。
入社は昭和31年。ということは勤続50年だ。
50年。実に半世紀のも間、働き続けてきたことになる。

私は仕事の愚痴を言う奴が嫌いだ。単発的な仕事(作業)の愚痴ならば、まだ許せるけれど、仕事全体や自分の上司などの愚痴を言う輩が嫌いだ。

ガード下の居酒屋などで、よく愚痴を言い合いながら安酒をあおっているサラリーマンを見かける。
愚痴を言ってどうなるというのだろう? 翌朝、二日酔いのガンガンする頭で再び愚痴の根元である会社に出向くのか。

愚痴を言っても何も変わらない。むしろ自分の心の中の嫌悪感を増幅させるだけだ。
そんなに嫌なら、それを自分が好きになるように改善するか、もしくは辞表を出すしか無いことに、何故気が付かないのか? 

先の定年を迎えられた方は、今は亡き私の父の友人でもあって、父の昔話にしばし花が咲いた。
きっと辛かった事もあっただろうに、会話の中には楽しい思い出話しか出てこなかった。
きっと仕事が好きで好きでたまらなかったに違いない。私の父もそうだったように。

仕事なんてものは、ちょっと視点を変えてみるだけで面白く感じたり辛く感じたりするものだ。
他人からはうらやむほどにきらびやかに見える仕事だって、辞めていく人間もいるのだ(私がそうだった)。

生きていくために、生活のために、どうせ働かなくてはならないのだ。嫌々やっても楽しくやっても仕事は仕事。どちらが良いかは問うまでもない。

仕事を辞めるとき、昨夜の方のように楽しい思い出話をし胸を張って第二の人生に向かうべきと、つくづく思った。



ゴルフコンペ

昨日はスポンサーのゴルフコンペだった。

以前書いたけれど、私はゴルフコンペが好きではない。気の置けない仲間内のコンペなら良いけれど、初めて会う人とゴルフをしても楽しくないから。

会社での立場が変わり、プライベート・ゴルフが減ってコンペばかりになってきた。そんなものだから、ここ10年近く練習場に行った記憶は無い。

ゴルフを始めた頃は熱心に練習もし、ラウンドした帰りにその日不調だったクラブ、距離を練習してから帰宅したりもした。それが今では練習どころかラウンド当日だって、パットの練習すらしない事もある。

それが昨日はスタート前に練習場で2箱を打った。
今年に入って5ラウンド目だったのだけれど、過去2ラウンドは100オーバー。流石に100を叩くと途中で止めて家に帰りたくなる。お客さんと一緒だから棄権するわけにもいかず、ますますプレーが雑になってくる。
これは一緒に回る人に大変失礼なことだ。

それで気を入れ直した。前回&前々回の調子が悪かった距離をスタート前に練習した。
それが良かったのか久々の80台が出た。41&43の84。80台前半のスコアなんて何年振りだろう。熱中してやっていた頃はこの程度のスコアは当たり前だったのだけれど……。

現金なもので、こうなるとゴルフはコンペであっても楽しくなる。
これから先のゴルフの予定は、今のところ入っていない。どなたかお誘いいただけないか。

無駄金

所用で都庁前まで出向いた。
帰社するのに大江戸線より丸の内線の方が良いので、西新宿まで歩く事にした。

案内板があって大江戸線の都庁前駅から西新宿駅までは、歩いても5分ほどのようだ。
d635b9ef.jpg
しかし歩き始めて少々恐くなった。
人がほとんどいないのだ。
時刻は夕刻5時過ぎ。普通の通路なら帰社や帰宅を急ぐOLやサラリーマンの姿があって不思議ではない時間帯なのに、まるで無人通路だ。

これが山の中だったり早朝や深夜だったら、少しは頷けるけれど、ここは新宿、しかも通勤時間帯だ。乗り換えの乗降客でごった返しているのが普通だろう。

BGMに川のせせらぎの音や小鳥のさえずる声などが流れてくるけれど、それがますます不気味さに拍車をかける。
途中には動く歩道がセンサーが作動せずに止まったままでいた。

都民に認知されないので利用客が少ないのだ…と解釈しよう。こんな無駄な事に都税が使われた…などとは考えまい。
わずか数百メートルの距離でも地上を歩くのは不便なので、この連絡地下道が造られたと解釈しよう。まさか都庁勤めの人々が雨に濡れないようにと造られたわけはない…と信じよう。

減圧症?

昨日バヌアツより無事に帰国。
流石にバヌアツは遠かった。ゴールデン・ウィークでも利用しないと仕事を持つ身では行けません。

実は“無事に帰国”とは書いたものの、少々不安になっています。
まさか…とは思うのだけれど潜水病(減圧症)の疑いが今、脳裏をかすめています。

バヌアツのサント島はプレジデント・クーリッジという沈没船に潜るのが代表的で、今回わたしも3本ほど、この船にレック・ダイブをしました。
水深が深いのと船外に出るまでに潜水時間がかかるので、安全水域での減圧停止を伴うテクニカル・ダイビングです。

実はこのレック・ダイブの2日目、ナイト・ダイブをしたのですがダイビング後30分ほど経過したときに右肩に鈍痛を覚えました。その痛みは10分もしない内に消えてしまったのだけれど、帰国した昨日は右肩が重く、今朝は右肘に軽い痛みが出たのです。

右肘の痛みは今は消えました。鈍痛を感じた際のナイト・ダイブは減圧潜水では無かったけれど、未だに残る右腕のだるさが気にかかります。

潜水病の手当は早い方が良いらしいので、近日中に検査に行ってみようかと思案中です。
行きましたら、その報告は後日。


貧困

フジテレビのアナウンサー・佐々木恭子がアフリカの方へ取材に行っている……、という話を聞いて、ある貧困の話を唐突に思い出した。

それはユニセフ親善大使の黒柳徹子のレポートだった。
アフリカ某国では7?10才ほどの少女達が売春をしているのだそうだ。

売春を始める事になったきっかけは殆どが強姦だそうで、この地ではエイズが蔓延し、処女とセックスすることでエイズが治ると信じられているのだという。
なので、強姦対象年齢もどんどん下がって、10才未満の少女が犠牲になるのだそうだ。
全てではないだろうけれど襲われた彼女たちは、それ以降、売春を始めるという。

黒柳が少女に聞く。
エイズになっちゃうよ。恐くないの?

少女が答える。
エイズになっても何年か生きられるけれど、私がお金を稼がないと家族は明日にでも死んじゃうの。

エイズに感染するという本人の問題以前に、10才に満たない娘の売春に生活をゆだねる親の気持ちとはどんなものなのだろう?

処女とセックスするとエイズが治る…などと馬鹿げた事が信じられているような無知・無教養を根絶しない限り、このような悲劇は無くならない。
知識と教養を身につけられないから、生活の糧を得る方法も限られてしまうのだ。

数百万円もあれば、立派な学校が建てられると聞いて「みんなでお金を集めようよ」と声をかけたら、「必要なのは学校でなくて先生だ」と言われたことがある。

私たちに出来ることは無いだろうか? どうすればこのような悲惨な出来事を少しでも減らすことが出来るのだろう?


伊香保温泉

69030163.jpg
前職場の同僚達と伊香保温泉に行って来た。

この伊香保温泉、聞くところによると温泉が枯渇しだしていて、源泉掛け流しの宿は殆ど無い…という話を耳にした。

で、それならばと名物の石段の坂を登り、神社裏手にある露天風呂まで行ってみた。
石段の両側にある店は結構開いていたけれど、一本路地裏に入ると閉店している店舗や宿が目に付いた。

さて、目的地の露天風呂。
ワタシ「シャンプーと石鹸ください」
入り口のおばさん「ありません」
ワタシ「エッ!? 身体とか洗えないんですか?」
入り口のおばさん「洗えるけど水しか出ませんよ」
ワタシ「?????」

身体を洗えないってどういうこと? と思ったけど、きつい階段をわざわざ登って来たのに、ここで引き返すのもシャクだから450円払って入りました。

013582ed.jpg

ご覧のように庭の池のような風呂があって、その横にカランが二つ。そのカランの横にはシャワーもあったけれど「水しか出ない」と言われていたので蛇口をひねりもしなかった。

温度が異なる湯船以外何も無いと言って良いほどの、野趣味あふれる露天風呂でした。
富山の宇奈月温泉にある河原べりの温泉(自分で掘って入る)よりは、良いのかもしれないけれど、どうも中途半端なんだなぁ。
特別に景色を楽しめるわけでもなく(周囲は囲まれている)、湯船がとっても広いわけでもない。
それで洗髪もままならない…となると、あとは湯自体の勝負。
良い湯ではあったけれど、それほど…だったし。
熱海のようにならないことを願います。

沈むさかな

ea90d709.jpg
式田ティエンの『沈むさかな』を読んだ。

本を読んだのだからカテゴリーは私の場合なら【読書&音楽&映画】に入れるべきなのだけど、敢えて【ダイビング】にした。
帯に“ダイビング・ミステリー”とあるように、ダイビング描写が素晴らしかったから。

残念ながら、謎解きの部分と構成はイマイチだった。
事件の内容が私にはちょっと突飛だったし、真相が暴き出されてくると話が唐突に展開し始める。
なんだか締め切りに間に合わなくて、急に物語の展開を急ぎ始めた…って感じ。

それと、最後に証される主人公の意外な事実。意味あったのかなぁ? 何かを意図していそうなんだけれど、「うっそ?(*゚ρ゚) !?」って感じ。“おれ”が“きみ”を語るバックボーンとしては面白いけど…。

それなのに何故、ここに書き残すかというとダイビングの描写が実に見事だからです。

主人公がダイビングのライセンスを取得するために苦労する場面……(そうそうバランス、難しいんだ最初の頃は)。

波の高いビーチ・ダイビングで波に翻弄される場面……(そうそう、機材が重くて大変なんだよ)

強い海流に呑まれてイクジット出来ず、一人で恐怖と闘う場面……(そうそう! 俺も神子元でバディとはぐれ、海中を一人で流され恐かったよ)

物語も終盤、海中でのシーン(結末が判っちゃうからここでは書かない)なんか、迫真です。
映画化されれば映像的には『海猿』並みの面白さだと思うんだどなぁ。

そういえば、話は唐突に変わりますが、5月公開の『海猿』、面白そうですね。

花見

風も無く天気が良かったので、近所のスーパーでおつまみと弁当、数本のアルコール飲料を買い込み、近所の公園へプラリフラリと花見に行って来た。782171bc.jpg


まだ午前中とあってか、大トラ・小トラは出現していなくて、家族連れやカップルが宴を開いていた。

数年前、同じ場所にサクラを愛でに来たときは、ラジカセの音もガンガン、大トラ・小トラの雄叫びも聞こえたけれど、今日は静かで良かった。
他人の騒音は、この様な場所では好ましくない(電車の中もだけれど)。

それにしても齢を重ねるごとに新緑やこのサクラなどが、子供時代や若い頃には何とも思わなかったのに、とても美しく感じられるようになってくるのは何故か?

サクラはまさに日本の花だと感じる。数日前に“ボンッ!”と音を立てても不思議ないくらいに、突然開花したと思ったら、数日後の今日はもう満開だ。あと数日もすればハラリハラリと散り始めることだろう。このいさぎよい咲っぷりは、日本人らしいと思う。

6207b0f5.jpg
このアッという間の美しさがサクラを引き立てているんだろうなぁ。
もしもサクラが通年咲いていたら、誰も見向きもしなくなるのではなかろうか。

それにしても近所のサクラが巨木になりすぎて、年々枝を剪定されてしまい、見るも無惨な姿になってしまうのが残念だ。
昔はサクラで満開のトンネルの中を通勤できたのに。サクラ吹雪の中を歩くこともなくなった。

ロスト(その2)

私達がダイビング中に漂流し、上陸した島はマニンニンというボラカイの南南西、パナイ島北部の西に位置する小さな島だ。東西に細長い島で西端に灯台がある。
残念なことに写真を撮るゆとりが無く(漂流中にそんなゆとりがあるわけないか(^_^;;;)、島の写真がない。2a8b29da.jpg


この島の島民はとても優しかった。
私たちの顔を窺い「水はいるか?」とか「何か食べるか?」と、とても親切にしてもらった。

海水を飲み、炎天下を歩き続けて喉が渇ききっていたので、水分はそれこそ“喉から手が出る”ほど欲しかったのだけれど、流石に生水を飲む勇気はなかった。

なので「大丈夫!大丈夫!」を繰り返していたら、長老らしきおじいさんが椰子の実をさばいてくれた。多分、僕らが水分を欲していることを察知していたんだと思う。
椰子のジュースなんていつもだったら見向きもしないのに、この時ばかりは本当に有り難く美味しかった。

水は要らない、食事も要らない…と言っていた私たちが、椰子のジュースをゴクゴクと飲むの見ると、今度はクッキーのようなお菓子を持ってきてくれた。決して恵まれた生活ではないのに。58b02f83.jpg


水や手作り料理を断って椰子を飲んだ後だったから、なんだか心の中を見透かされたようだった。

その様な心優しい人々の村だからか、子供達のなんと子供らしかったことか。みんなとってもきれいな目をしていた。
ウェット・スーツ姿でダイビング機材を携えた私たちが、よほど珍しかったのか村中の子供達が私たちを注視していた。

世田谷でかれこれ18年ほど小学生にサッカーを教え、多くの小学生を見てきたけれど、この島の子供のような子は本当に少なくなった。

フィリピンの人々が相対的に貧しいのは教育が行き届いていないからではないかと思う。それは国の政策が悪いわけだけれど、こんな子供達が楽しく夢をもって頑張れる国であって欲しいと願う。

けれど、果たして今の恵まれた日本の子供達が幸せかといえば、決してそうでは無いことも事実だろう。
物質の量ではなくて、幸福…という物差しで見たら、果たしてどちらが幸せなのか。

サラマッ ポ、Maningning !

ダイビング事故・ロスト(その1)

ボラカイ島で潜ってきた。今年の初ダイブを堪能する予定だった。
しかし、2日目のダイビングで「あわや!」という事態に遭遇した。

なんと1日に2回のロストを体験したのだ。私はいま、全身の筋肉痛と腰部および臀部の打撲痛の中でこれを書いている。

その日はボラカイでは有名(らしい)ポイントへ遠出ということで、ショップへの集合は早朝6時。ポイントまでは90分、時には180分かかることもあるという。ショップで朝食を摂り、昼は目指すポイント近くの島(マニンニン島)に上陸して摂るという。

結局、90分ほどでポイントには着いた。その時のダイバーは私を入れて8人。ショップを仕切るイントラと現地ガイド、そして現地クルー3名の計13名がバンカーボートに乗っていた。

1本目。私ともう一人は先に潜行してボート・アンカー周辺で待っていてくれという。彼はこのショップのリピーターらしく、ショップのスタッフともかなり打ち解けていたし、ボラカイの海にも詳しかった。前日のダイビングでもそうだったけれど、私と彼はいつも先に潜行していた。

バックロール・エントリーした瞬間、かなりの流れがあることに気が付いた。秒速2~3mほどだったと思う。
「マズイ!」と感じて頭から一気に潜行した。水深は底まで約8m。海底でも流れはきつく、私と彼は岩やサンゴにつかまって(本当はいけないけど)アンカーを目指していた。
手を怪我したくなかったので、私はBCDから手袋を取りだし、装着しようとしていた。手袋に目がいっているときに「カ~ン!」という物凄い大きな音がした。周囲を見回すと、先にいたはずの彼の姿もアンカー・ロープも見えない。

ワケが判らなかったけれど、とにかく前に進もうと、岩やサンゴにつかまり必死でフィンキックを続けていたら、頭上を船が進んでいく。どうやらアンカーが外れたらしい。
カ~ン…という音は、外れたアンカーが私のタンクに当たったのだ。少しずれていれば大けがをしたところだった。たまたま手袋をしようと手元(下)を向いていたのが幸いした。

再度、投じられたアンカーにやっと辿り着いて、少し呼吸も楽になってきた頃「この流れではビギナーは無理だ」と思った。確かライセンス取得中の女性ダイバーがいたし、関西からの母娘ペアは30本ほどしか潜っていないと船上で聞いていた。

鯉のぼり状態でアンカーに捕まっている内に、ここに皆が集まることは不可能だと感じた。
「ドウシヨウ? ナガレニ、ミヲマカセテ、ナガレテミルカ?」。

5分ほど思案しながら待ち、結局わたしはロープを伝って浮上することにした。船上でクルー達が「ベリー・デンジャラス」と漏らすのを聞いた。

30分ほどして沖合にフロートが上がった。全員が一緒だった。先発した彼は、アンカーが外れた時に一緒に後方へ流れ、後発と一緒になったようだった。

自分に非は無いとは思ったけれど、「ご迷惑をおかけしました」とショップのイントラに言ったら、「流れが速くなるような時間帯じゃなかったのに…」という言葉が返ってきた。
わたしに対する言葉はそれだけだった。


船上で1時間ほど休息しての2本目。またしてもロストとなった。今度は全員が漂流した

同一のポイントに潜った。ライセンス取得中(多分)の女性は船上に残った。
今度は全員一緒にバックロール・エントリーしたが、意に反して流れはほとんど無くなっていた。軽い流れの中、ゆったりとしたドリフトを楽しんだ。

トラブルは安全停止を終えたあと、海面で起きた。波が物凄いのだ。高さ2mほどの波が頭から被さってくる。
フロートを2本上げ、ホイッスルを何度鳴らしても、船の姿は見えない。流れも少し出ていた。

私達はお互いのファースト・ステージに捕まり合っていたけれど、2組に分かれてしまった。
2組の距離はどんどん離れていく。

1組はショップのイントラとリピーターの彼、そして関西の母娘ペアの娘さん。
私の組は現地のガイドとカップル、関西のお母さん、そして船上に残っている女性の彼氏。

10分位船影を探し、ホイッスルを吹いたりしていたが、私の組の現地ガイドが島に上陸しようと言い出した。島まではおよそ1kmほどか。
ショップ・イントラは大声で「岸に近づいてはダメ~!」と叫んでいた。確かにこの波では上陸の際に岩に叩きつけられてしまう。

数分後、現地ガイドは「陸に向かおう!」と一人で泳ぎだした。わたしは彼の意見に賛成だったので、一緒のダイバーに島に向かおうと促した。
島までは1kmか1.5kmほど、狭いけれど砂浜も見える。波は更に高くなって来ているけれど、あの砂浜に辿り着ければ大丈夫だと判断した。
ただ運が悪いことに、波が高いばかりでなく引き潮の時間帯だった。皆で手をつなぎ、私は必死にフィンキックしながら同行ダイバーの手を引っ張っていた。

30~40分ほどフィンキックを続け、私達はなんとか島に上陸できた。立ち上がる体力も失って、四つんばいで砂浜に上がった。

関西のお母さんの顔は蒼白だった。疲れも相当だろうけれど、かなり海水を飲んでしまったようだった。あと30分泳ぎ続けられただろうか疑問だ。私は陸に向かって正解だったと思った。649bcdf7.jpg


現地ガイドはこの島に人が住んでいることは知っていたけれど、村落が何処にあるかまでは知らないと言う。とにかく連絡が必要なので、タンクとウェイトを浜辺に放置し、その他の機材を担いで民家を探すことにした。

ただの直感で道を選び歩いた。裸でBCDを担ぐと背中に付いた砂がこすれて痛いのでスーツを着たまま歩いた。
炎天下でのスーツはサウナのように熱くて、今度は脱水症状が心配になった。

20分ほど歩いただろうか、やっと人家が見えてきた(実は学校だった)。
子供達がいて現地ガイドが話しかけるけれど、どうも通じていないようだ。そりゃそうだ。真っ黒なウェット・スーツ姿の東洋人団体が、BCDやレギュ、フィンを持って海岸からではなく、丘から現れたのだ。驚かない方が不思議だ。

島民全員が集まったのでないかと思われるほどの数の好奇の目の中で、私達は助けを呼びに行った現地ガイドの帰りを1時間ほど待った。
その間、貧しい島民達の本当に嬉しい心からの助けを受けた。その事は後日記述する。
5c82223c.jpg


1時間ほど経過した頃、島民達が「シップ!シップ!」と浜辺に走り出した。
現地ガイドがバンカー・ボートに乗っていた。

全員無事だった。

私は船が何かしらのトラブルで、私達をピックアップ出来なくなったのだろうと考えていたけど(かつてパラオでの漂流事故はそうだった)、船の故障ではなく、波が高すぎて私達のフロートが見つけられないばかりか、探し回れなかったらしい。

ショップ・イントラの組は、2時間30分漂流していたそうだ。海面での移動は背泳ぎ状態になるので、彼らの顔は真っ赤に日焼けしていた。

運良く最悪の事態にはならなくて本当に良かったけど、わたしはショップ・イントラのグループは最悪の事態になっているのではないか…と、上陸した島の村で待つ間考えていた。私の側に横たわる関西のお母さんは、一番気にかかっていたことだろう。
1c0b5700.jpg


一方、船に残った彼女も相当、心細かったに違いない。後で聞いた事だけれど、言葉は理解できなかったけれど、クルー達が慌てだしたので事態が深刻な事になっていると気が付いたそうだ。さぞや心細かったろう。元気な彼氏の姿を見た時には、号泣していたそうだ。

さて、皆さんはどう思われますか? 運良く助かったのでショップの店名は伏せておこうと思うけれど、私はやっぱりショップ側の注意力不足だと思う。滅多に行けないポイントらしいけれど、そこに潜れるからと止める勇気を失っていたのではないかと思う。

かつて山登りをしていた頃、何度頂上を目前にして登頂を断念したことか。山は登るより降りる方が難しいから、私は自信が無いときはあきらめて下山していた。
今回のダイビングは、ショップ側がそれを忘れていたのか知らなかったのか……。それともダイビングにその様な勇断は必要ない、ということか。
       
                    (この稿、続く)








キャンティ・クラシコ

4bf3bf49.jpg
以前飲んだ「キャンティ」の姉妹版だけれど、キャンティとはかなり異なる味わい。

キャンティは軽い口当たりに、ちょっとツンとした感じが舌に残った……と以前のブログに私は書き残しているけれど(味は既に忘れている(^_^ゞ )、こちら「キャンティ・クラシコ」は、どちらかといえば重い口当たりで濃厚な味。

馴染みの酒屋の若旦那に「今日は少しどっしりした味わいのワインが飲みたいな」と言ったら、これを勧めてくれたのだ。
値段も安くて、我が家の家計には丁度良い。

食事はトリのレバーの炒め物に焼き鳥各種(全て塩焼き)、胡麻豆腐。この食事で飲むにはちょっと勿体なかったかナ。
イタリアのワインだけれどイタリア料理には合うだろうか? どちらかといえば、ステーキや中華料理のような濃厚な味付けの食事に合いそう。f2e11af7.jpg


そういえば最近は、ライト・ボディのもよりもフル・ボディに近い物を好むようになってきている。
かといって舌に残るようなのは好きではない。
ワインなら何でも良かったけれど、少しは好みにうるさくなってきたのかな?

ブログ

SNS(ソーシャル・ネットワーキング サービス)なるものが人気を博しているようだ。
ソーシャル・ネットワーキング サービス=要はサークル間のコミュニケート・ツール…ってことか?
数週間前に発売された『週刊ダイヤモンド』にも、似たようなネット・コミュニケーションの記事が出ていた。その記事ではネット上のバーチャルなコミュニケートよりも、かつて“オフ会”と呼ばれたような、リアリティでの顔見せを重視していると書かれていたと記憶する。

同様な世界で、ミクシィなるものが今、爆発的なブームになっているそうだ。会員数2006年3月時点で300万人を突破……だとか。

私の友人のご招待を受け、私もとあるSNSに参加してはみたけれど、それはそれで新しいネットワークを利用した文化だと思う。

ところで、そのSNS内で書かれている個人の記述はブログ…と呼んで良いのだろうか? 何でこんな事を書くかというと、私がここで書いているものと、それとは意味が異なるものと思えるから。

私がここで書いたことは一般に公開しているわけで、現にYahoo! などの検索エンジンからの来訪者も結構いる。
一方、SNSでの記述を見ていると、明らかに仲間を意識した内容が多いように見受けられる。ブログ=ウェッブ日記、というよりはブレポ=ウェッブ報告(レポート)…って感じか?

しかし、元来日記というものは人様に見せるようなものではなかったはず。
ひと昔前だったら父親が娘の日記をのぞき見しようものなら、家出されるか下手すりゃ自殺だってされかねなかった。

ってことは、ブログをウェッブ日記…と捉えるのが間違いなのか。確かに人に知られたら困ることを書くわけは無いものなぁ。日記ではなくて単なるログ=記録。そう思うと何となく無機質感が出ちゃって詰まらなく感じてしまうなぁ。

夕焼け

夕焼け空が好きで、綺麗な夕焼けに出会うたびにカメラに残すようにしている。
何となく暖かな、あの穏やかなひとときが好きだ。

最近では昨年の11月頃に、私が通勤で利用する電車から、帰宅途中で素晴らしい夕焼けを見られた。1c0ef78a.jpg

空一面が見事に朱く染まって、車内の人々の顔も、綺麗に紅くそまっていた。残念ながらカメラを携帯していなかったので写真には残せなかったけれど。

しかし、どうも東京の空は雲と空との境界が明瞭ではないので、雲だけが紅く染まる夕焼けにはなかなか出会えない。

南の島に行くと、空と雲との境界は見事にクッキリしているから、空は濃紺、雲は朱色…といった見事な夕焼けに出会える確率が高い。

悲しいかな東京は、傾きゆく太陽に被さった雲が、空全体を赤く染めるような夕景が多いと感じる。雲が染まるのではなくて、空気中の浮遊物が染まっているかのように感じるのだ。



ビジネス・クラス

今回のラスベガス旅行に招待され、一番印象深かったのは実は往復の飛行機でした。

私は時差のある旅行が大の苦手。しかもフライト時間は6時間が限界。それなのにラスベガスまでは飛行時間11時間以上、時差に至っては17時間もある! 普段だったら完全にプッツンしていたと思う(ハワイは3度行って、3度ともキレた)。

それなのに、とても快適にフライトを楽しめたのです。その秘密は…………。8665b90e.jpg

そう! ナント!! 往復共にビジネスクラスだったのです。

上着は別室のロッカーに入れてくれるし、代わりの機内専用上着も借りられる。食事前に食前酒とおつまみは出るし、軽食を何時でも頼むことだってOK! およそ6座席に一人の専属スッチーも付く。
座席はほぼフルフラット状態まで倒せるし、前の人がフルフラット状態に座席を倒しても、通路に出るに苦労しないスペースがある。
流石に楽でした。

映画もオンデマンドで好きなものを選んで見れるし、最高の空の旅を体験させていただきました。
こんな旅行、自腹じゃ絶対に出来ません。………とは言っても、一度この空の旅を経験してしまうと後が怖いなぁ(;^_^A 今後、エコノミーで10時間以上ものフライトに耐えられるかしら?

ラスベガスのHP、アップしました。お暇な方、お時間の許す方、遊びに来てください。
ちょっとまとまりのないページになってしまいましたが……。
http://www.kaya.ne.jp/vegas/index.htm

中学生になり練馬から世田谷へ引っ越した頃。

練馬では皆無…といってもよかった塾が、当時の世田谷には至る所にあって驚いた。
そして困ったことに、仲良くなった友達達の殆どが塾に通っているのだった。
部活動を終えての学校からの帰り道、「何して遊ぼうか?」と誘えば、皆んなが皆「塾があるから」。

結局、自分も親にねだって塾に行くことにした。親としてみれば「うちの息子が自ら勉強するようになった!」とさぞ嬉しかった事だろう。しかし、私の目的は勉強ではなかった。友達がいるから行くだけなのだ。
ところが、どこにでも同類はいるもので、塾に行ってみれば全員が勉強しているわけではなかった。

当時、その塾は風呂屋の隣のビルの2階にあって、教室最後列の窓から女風呂が覗けるのだった。結果、勉強などに興味のないワルガキどもは争って最後列の席を奪い合うことにる。金を出してくれた親には、いまにして思えば申し訳ない…のひと言だ。

私が中学時代にお世話になった、その塾は東邦学習会といった。私が通い始めて半年もしないうちに駅前の近代的なビルに移転し、女風呂を覗く楽しみは断たれてしまった。しかし、素晴らしい先生達が一杯いて、私は何度か先生の自宅に遊びに行き、食事をごちそうになり、泊めてもらったりもした。勉強が出来る、出来ないで差別をしない先生達だった。その上、勉強の教え方も上手だった。

中学2年の夏休みあたりから“受験”の言葉が私の脳裏をも横切り始め、私は勉強に専念するようになった。自分が通う学校とは違って、塾の先生はみな好きだったから、勉強は苦痛にならず、むしろ楽しかった。
いつも下から10番以内をウロウロしていた私の成績は、あれよあれよと上がって、3年の2学期中間試験以降は上位10番以内に入るようになっていた。
おかげで私は、かなり偏差値の高い志望校に合格した。

その後、社会人になり私は世田谷を離れた。その何十年か後、再び世田谷に戻ってきた私は息子もその塾に通わせた。何人かの入れ替わりはあったものの、私がお世話になった先生達もご健在だったからだ。そして息子も同様に、第一志望校に入学できた。

しかし、少子化のあおりを受け、その塾は今は無い。

国家の品格

藤原正彦氏の「国家の品格」(新潮新書)を読んだ。目からウロコ……だった。
自由、平等、民主主義、資本主義を小気味よく論破していて、それらを明確に判りやすく説いている。
543850c1.jpg

例えば、
「人間にはそもそも自由がありません。それは当たり前のことです。生まれ落ちた瞬間から人間には自由はない。あんなに分厚い六法全書はあり、法律が網の目のように張り巡らされています。(…中略…)どうしても必要な自由は、権力を批判する自由だけです」」(「自由」という概念、より抜粋)言われてみれば、確かにその通りなのだ。

「民主主義の根幹はもちろん国民主権です。主権在民です。(…中略…)けれども本当にこれは素晴らしいことなのでしょうか。主権在民には前提があります。それは「国民が成熟した判断をすることができる」ということです。この場合には、民主主義は文句なしに最高の政治形態です」(民主主義は素晴らしいのか、より抜粋)今の日本の政治がまさにそうだと感じた。


「全ての人間は平等であり、神により生存、自由、そして幸福の追求など侵すべかざる権利を得られている」と説いたアメリカの第三代大統領・ジェファーソンなどはケチョンパンにやっつけられている。黒人奴隷を100人以上も所有していて何を偉そうに!ってな具合に。

自由だの平等だのって言葉・概念がいかにフィクションであるか、そんなものは有り得ないものと、判っていたつもりだったけれど、これほどまでに明確に論破されると、目からウロコがポロリ…だった。
お勧めです。是非ともご一読のほどを。

フォリ・ド・ロア2001

f681abb5.jpg
「フォリ・ド・ロア2001」というフランスのワインです。
“フォリ・ド・ロア”というのはフランス語で「王様はご熱心」との意味だそうです。

かなり濃厚なタンニン、芳醇なコクが残るワインでした。面白かったのが常温で飲む内にグラスが暖まってくると味が変わることです。最初はフルボディのしっかりた味わいですが、暖まってくると甘みが増してきて、フルーティーさが出てきました。

ドライ・イチジクとカマンベールをつまみに飲んだけれど、どちらかといえば肉料理にぴったりな味わいです。
お気に入りの1本になりました。

ラスベガス

afd27240.jpg
新聞社の招待を受け、アメリカのラスベガスとロサンゼルスに行って来た。
詳細は後日、私のウェブ・ページで公開するとして、まずは一報を。

今回はちょうど1週間の旅行だったけれど、もしもプライベートでそれだけの休みが取れたとしたら、私はアメリカには行かない。だから、今回のご招待は嬉しかった。こんな事でもなければ、一生涯ラスベガスには行くことは無いだろうから。

しかし流石、24時間眠らない街ですな。グランドキャニオンやザイオン国立公園にも行ったのだけれど(私の趣味はコチラの方)、その度に朝の5時起き。眠い目をこすりながらロビーに降りていくと、ギャンブルに興じている人々がいる。

だいたいラスベガスの空港内にもカジノがあるし、ホテルで軽食を摂ろうとすればテーブル上で賭が出来る。何もかもがギャンブルなのだ。

「ラスベガスは良いよ?」という人が私の知人にも何人かいるけれど、決してギャンブルが目的ではないと思う。ホテルのスケールが凄いので、それを指して良い…と言っているのではなかろうか。
確かにホテルの中をジェットコースターやケーブルカーが走っていたり、オペラ調の歌を歌いながらゴンドラでお迎えに来たり、各ホテルは趣向を凝らし客寄せをしている。
無料のアトラクションもスケールがでかいし、だいたいホテル自体が凄まじく大きいのだ。端から端まで歩くと20分ほどかかるホテルはザラ。そんな大きなホテルが砂漠のど真ん中に群立している様は、驚異的! a74f3c45.jpg


それらはみんな、ギャンブルの金でまかなわれているわけで、いかにもアメリカ的。派手なアトラクションで人を引きつければ、またそこでギャンブルをしてお金を落として行ってくれる…という寸法なのだろう。
ちなみに私はギャンブルがあまり好きではない。だからチマチマしか賭けなかった。カジノで使った金額は結局$6。それでも$40ほど儲けた。セコイ?(^_^ゞ  こんな宿泊客はホテルとすれば迷惑なんだろうなぁ。

ダ・ビンチ・コード

昨年の秋頃から我が家のリビングに鎮座していた『ダ・ビンチ・コード』を読んでみた。05dd1fee.jpg


この本、次男坊が購入してきた。本人に「どうだった?」と聞いたら「まぁまぁ、だった」と素っ気ない返事が返ってきたので、そのまま半年近くも放置されていたのだ。

ところが最近になって「ダ・ビンチ・コード読んだ?」と聞かれることが数回あって何故かと聞き返したら、映画化されていて今年のG・Wに公開されるらしい。それで興味をもった何人かが私に問うてきたのだ。ならば…ということで読んでみた。面白かった。
ストーリーの展開が早いのと、ダビンチの作品にまつわる興味深いエピソードが盛り込まれていて飽きさせない。

私には無縁のキリスト教という宗教の一端をも垣間見させてくれて勉強にもなった。しかし、信心深い(狂信的?)なキリスト教のとある国では、どうも発禁になったという話しも聞いた。それほどにキリスト教信者にとってはセンセーショナルな内容なのだと思う。

けれど私にとって最大のセンセーショナルさは、巻末に記されていた発行人の名前だった。田口恵司……。前職での私の先輩だ! その会社でサッカー部に所属していたのだが、一緒にボールを蹴った仲だ。彼はそのサッカー部のキャプテンでもあった。

『モナリザの微笑み』や『最後の晩餐』に隠されていたメッセージにも驚いたけれど、『ハリー・ポッター』を抜く勢いのミリオンセラーの日本語版発行人が私の先輩とは! 驚いたショック

フルーリー

ワインの戯れ言第3弾です。

「フルーリー フレドリック・コサール」って名前のワインを飲んでみました。
昔、学生時代にアルバイトさせて頂いたことのある酒店の、二代目若旦那に薦められて購入した、フランス・ブルゴーニュのワインです。
この地ではシャルドネという品種が有名だけれど、このワインの品種はガメイ。「聞いたこと無いなぁ?」と言ったら、なんでも地元の醸造者には憧れの品種だそうな。このブドウ本来の味を生かすには、醸造者の力量が問われるのだとか。34d1badb.jpg


で、お味の方は若旦那が薦めてくれただけあって期待以上でした! 「星三つですゥ??!」。私の好みのテイストです。
瑞々しくってそれでいてしっかりとした味わいが残る。口に含んだとき、喉ごし、飲み終えて…と3回味を楽しめる感じです。
料理を選ばない、日本人好みのワインって感じました。

スモッグ

その昔、羽田空港に着陸しようとする機中から東京全体がドーム型の網のようなものに覆われているのを見たことがある。
房総半島の遙か沖合から東京湾を眼下に見下ろしながら羽田に近づくにつれ、その巨大な“網”のようなものは、東京をスッポリと包み込んだスモッグだと判った。
風が無いからなのか、巨大なスモッグ・ドームは見事なまでにきれいな半球形をし、東京都全体を包み込んでいた。

それがスモッグだと判ったときは愕然とした。「ワタシハ、アンナトコロデ、セイカツシテイルノカ…」と。9ebc8578.jpg


近年は減ったけれど、それでもひと夏に数回は光化学スモッグ注意報が発令されるている。
東京ほどの大都市を、私は他に知らないけれど、他国はどうなのだろう? 最近、汚染の進行がひどくなっているときく中国。北京や上海、大連あたりはどうなのだろう? 霞んで見えるとすれば、それは黄砂か? ニューヨークなどはどうなのだろう?

シドニィ・オリンピック開催の年に、そのシドニィを訪れた事がある。私が訪れたことのある“都市”と呼べるような海外の地は、こことパースだけだけれど、双方共に綺麗な青空が見られた。

神田川は確かに最近きれいになってきていて魚はいっぱいいるし、カメの姿を時々見かけることもある。カワセミらしき姿を中央線の快速電車車中から見かけたこともある。
自分たちが暮らす地を汚すことだけはしたくない。地球規模でだ。タバコの吸い殻を道路に捨てていくことに何の罪悪感も感じないような無神経な輩がこの都市を、世界を汚染しているのだと思う。排ガス出しても誰かが綺麗にしてくれる…とでも思っているのだろう。

東京駅そばの高層ビルから神田の駅を見下ろすうちに、ふと昔の事が思い出されたので戯れ言を書き留めた。ちなみに写真の右上遥か先の方、線路に架かる屋根が神田駅。私の勤めるオフィスがある。

カッシェロ・デル・ディアブロ

「カッシェロ・デル・ディアブロ メルロー」というチリ産のワインです。
なんでも「悪魔の蔵」と呼ばれる伝説の蔵で醸造されたワインだそうな。77593285.jpg

で、ビンにもラベルの上の方に悪魔のマークがデザインされていた(写真がピンボケで良く分からないけどすいません)。

チリ産のワインは最近、人気のようですね。何人かから「チリ産は美味いね」という言葉を聞いた。確かに日本人向きかもしれない。オーストラリアの東海岸のワインにも似たようなテイストのものがあったなぁ。軽い飲み心地だけれどしっかりとした味わいが残る。
この日の食事はスネ肉のビーフ・シチュー。ちょっとシチューには味が軽いかも。でも、ワインの味は良かったです。

しかし、安いワインばかり飲んでるなぁ(^_^;;;

キャンティ

ワイン記録の第一弾。
イタリアン産の『キャンティ』です。d41ae024.jpg


イタリアのご当地ではかなり有名らしい。となれば日本でも有名らしく(うちのカミさんも知ってた)、大抵の酒屋だったら売っている(らしい)。

ライトボディの軽い口当たりだけどツンとした感じが舌に残る。
赤だけれど、どちらかというとサッパリ系の料理に合うような気がする。

当日、食した料理は湯豆腐と焼き鳥。焼き鳥はタン、ハツ、ネギマ、つくね、レバーの5種類で、全て塩焼き。
コテコテの肉料理より、この手の料理に合うなあ。とは言っても夕食の献立に合わせてこのワインを買ったわけではない。単なる偶然(^_^;;;

ワイン(No.1)

お酒が好きだ。入院でもしない限り、飲まない日は無い。風邪をひいた日でも酒を飲んでから床につく。

そんな生活をしていれば当然のごとく、数年前から痛風が出始めた。醸造酒を飲むと危ない。だから、焼酎やウィスキーなど蒸留酒を飲むようにしている。
醸造酒の代表格である日本酒は、さほど好きでもないので構わないのだけれど、ビールも痛風には良くない。ところがこちらは大好きなので困る。サッカー後や風呂上がりは、やっぱりビールが一番だ。なので最近はプリン体99%カットの発泡酒を自宅では飲んでいる。

ところがもっと困ったことに、最近ワインに凝りだした。ワインは醸造酒であるから、飲み過ぎればかなりの確率で翌日に痛風に見舞われる。
それでも美味いものだから止められない。
bc4102da.jpg

上の写真は私が買い付けている安売りリカーショップの倉庫ではない。お世話になっているスポンサーの社長室。社長室の片隅(といってもかなりのスペース)にワインのケースが無造作に置かれているのだ。
過日、社長お気に入りの数本を贈っていただいた。美味かった。
人それぞれ好みはあるといっても、やはり美味いものは旨いのだ。だから「お勧めだよ」と贈っていただいたものはどれも美味かった。
ところが私は美味いものに目がない割に、それを覚えようとしない。なので今後、美味いワインを見つけたら、記録代わりにここに残すことにした。

上の写真くらいの本数を飲み終えた頃には、いっぱしのソムリエもどきになっているかもしれない。いやその前に歩けなくなるか、身体がパンクする…か(^_^;;;

カエルウオ

カエルウオが好きで、水中で出逢うと大抵シャッターを押している。
あのひょうきんさが何とも愛らしくて好きなのだ。37267088.jpg


2度目のサイパンで、フタイロカエルウオって奴に出逢った。名前の通り、胴体の真ん中あたりから上半身と下半身の色が異なる。
ツートンカラーって事だけでも充分に変な奴なんだけれど、その時に出逢った奴はナント! コカコーラの瓶を住みかにしていた!
瓶の口から周囲をキョロキョロ見回しながら顔を出すその仕草に、私の顔の筋肉はすっかり弛んだ。

実はそれまで私は水中写真を撮っていなかった。カメラを水中で扱えるほどの技量も無かったし、潜れるだけで満足していて水中写真自体に興味などなかった。

そのコカコーラのフタイロカエルウオに出逢った事で、私は水中写真を始めた。あんな可愛らしいカットを残しておきたくなったのだ。
しかしあれ以来、千数百カットを撮っているけれどあの時のようなフォトジェニックなシーンには、未だに遭遇していない。カエルウオの写真で気に入っているのは1カットあるけれど、それでも満足できていない。
コカコーラ・カエルウオに出会える日はあるのだろうか?

※ちなみに写真はモンツキカエルウオです。

ギャラリー
  • ベラ、べら、ベラ
  • ベラ、べら、ベラ
  • ベラ、べら、ベラ
  • ベラ、べら、ベラ
  • ベラ、べら、ベラ
  • ホヤにすがるかエビに縋るか
  • 吠える!
  • ヒカリキンメ
  • ヒカリキンメ
  • モフモフに気をつけなはれやッ!
  • モフモフに気をつけなはれやッ!
  • 知性の欠片はどこに?
  • ハッチアウト寸前!
  • スペシャル
  • 谷川岳見えず
  • 谷川岳見えず
  • 谷川岳見えず
  • 谷川岳見えず
  • 揺らぎの中
  • 三連休四連チャン
  • ベニハゼ
  • ツブ
  • 見落とす
  • 痛みも忘れる!
  • どうやって読み取る?
  • スポーツとゲーム
  • 逃避暑行
  • 逃避暑行
  • 逃避暑行
  • 逃避暑行
  • じーさん武勇伝
  • 目が☆
  • 目が☆
  • チョンマゲ
  • 大きくなったら何になる?
  • おチビ
  • おチビ
  • お盆
  • 特権ダイバー
  • 特権ダイバー
プロフィール

タカラガイ

メッセージ

名前
メール
本文
月別アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ