タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

ようやく水ぬるむ季節になってきて、顔を洗うたびに冷たさで気絶することもなくなってきました(オーバーな! 。昨日はまさに初夏の陽気でしたね、今日はちょっと肌寒いですが。

その初夏のようだった昨日。今年初めてのゴルフに母を連れて行ってきました。会社にお休み頂いて。

higasifuji東京は初夏の陽気のようだったようですが、静岡県の当地はちょっと肌寒く、半袖でプレーしてたのに午後は長袖に着替えました。
本当だったら左の写真のような絶景を眺めながらプレーしたかったのですが生憎の曇天で、とうとう富士山は一度も顔を出してくれませんでした。
隣接する富士スピードウェイからは、BGMの音楽と疾走する車の爆音が、ずっと聞こえていました。
わたしはこのコースに10数年前に来たことがあるのですが、どんなコースか思い出せませんでした。景色が良いコース、とは記憶していたのですが、果たしてこのコースだったか隣の富士小山だったか・・・。肝心の富士山が見えなければ、どっちでプレーしても眺望は一緒なんですけどね。

ところでこのゴルフ場もご多分に漏れず、セルフプレーを導入して経営の効率化を図っていました。リーズナブルな価格でプレーできるのはとても良いことだとは思うのですが、プレーヤーのマナーがどうしても低下してしてしまいます。

この日も後ろの組から打ち込まれました。ティーイング・グランドから「スミマセ~ン!」と声は聞こえましたが、それっきりでした。
普通だったら走ってきて詫びるのが普通です。自動のカートなので、それが叶わないというなら、せめて昼食時にテーブルまで来て謝るべきでしょう。
後ろの組は高齢者のスリーサムでした。本来だったら若者や新米ゴルファーにマナーを教えてあげるべき年齢で経験をお持ちの方と見受けたのですが、とても残念でした。

水がぬるむのは自然の摂理ですが、心の箍(たが)を緩めてしまってはいけません。
少なくとも人生の大先輩が・・・です。







pia_ship
フィリピン・マクタン島の港です。
遠くの方にもたくさん船が浮かんでいるの、分かりますか?
手前にある船は、しばらく使用しないからか干潮で潮が引いた海岸に打ち上げられてます。船底の掃除するには楽で良いですね。

shipダイビングに行くとき、干潮時にはここをトコトコ歩いて沖に浮かぶ船のそばまで行き、ある程度の水深がある場所から小さな舟で運んでもらいます。
右の舟もそのためのものなんですが、舟というより箱です(笑)。この状況で大人3人が立ったままで移動できるバランス感覚がスゴイ! 

そういえば鳩ポッポ弟クンに続いて与謝野さんも離党したそうですね。
どういうバランス感覚、してるんでしょうか? 自民党にいては自分の政治生命が危ういと思ったのでしょうかね? 少なくとも党内での政策&思考の不一致ではないと思うんですが。

今の政治家で国民のために働いてるって気概を感じる人がいませんね。みんな自分のためのようだ。野党に回れば与党の批判ばかり。批判するなら「自分だったらこうする」って政策を語ってからでしょう。それも出来ずに人の揚げ足取りばかり。
自分達がいる今の政治世界は、今や上の小さな舟のようになってると、なぜ感じないんでしょうかね? よっぽど頭、悪いんでしょうね。ニッポン丸、いまにも転覆しそうです。





【追記】いけないイケナイ、書き忘れていた(^_^;) 
    マクタン報告ページ、アップしました。お暇でしたら覗いて行ってください。
    








例年開催される花見会に、先週もまたお招き頂き行ってきました。
kanndagawa_sakura

毎年、見事な咲きっぷりを見せてくれる神田川の桜並木です。まるで桜のトンネルです。
川縁の通りには提灯なんかも下げられていて(賛否両論あるそですが)、何とも風情があって楽しめます。
いつもは陽も陰ってからお邪魔していたのですが、今回はちょっと早めに向かい、一つ手前の駅で下車して川縁をブラリ・フラリとのんびり歩いて会場まで向かいました。

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「ホ~ラ、こんなに綺麗だったよ」と写真をかみさんに見せたら、自分も桜を見に行きたいというので、今日、買い物ついでに新宿御苑に足を延ばしましたら。

そしたら………。

SINJUKU_gyoenなんと御苑に向かう途中から長蛇の列です!

どうやら皆、考えることは一緒のようです。
昨夜の天気予報じゃ、天気も良く最高のお花見日和になるようなこと言ってましたが、空はドンヨリ曇り空。
それでも、折角の休みだからと向かったのに、この人出じゃ御苑の中も人だらけでしょう。
もしかしたら、入り口から押し寄せた人波で、先に入った人が押し出されているかもしれません(んな事、ないか)。

のんびりブラブラと散策する気持ちは吹き飛んで、花園神社に向かいました。

hanazono_sakura

人もまばらで骨董品なんかも売っていて、じゅうぶん楽しめました。
桜と言えば新宿御苑に上野の森、九段のお堀、e.t.c. 日本には桜がいっぱい咲いてます。
来年からは人の思いつかないような場所へ花見に出向こうと思います。





昨日はやれナントカ法に抵触するだの人間関係がどうだのと、朝から諸事に振り回され、なんともブルーな一日だった。

そんな一日を終えての帰宅途中、グタ~っとしながら駅の階段を降りていたら、
「タカラガイこ~ちぃ~!」と後ろから肩を叩かれた。

振り向くと私がサッカーを教えている子が。
聞けば塾の帰りだという。その塾は我が家の愚息2号も通っていたいた塾だったから、私もカリキュラムはおおよそ覚えていて、それからすればこの時間は帰宅にはチト早い。

「なんで早いの?」と聞いたら、「春休みの特別講習なんだ」とのこと。

そうか、小学校はいま春休みだったんだと気付いた。子どもが家に居ないとそんな事すら忘れてしまってる。
塾通いは我が家の愚息達も同じ道を通ってきたのだけれど、よその子を見て思うになんか可哀相になってしまった。
ところが、当の子どもは全然そんな気配も感じさせず、途中まで一緒に歩きながら楽しそうに塾の事を話してくれた。

今の学校教育が、いったいどんなことをどのように教えているか、私は知らない。でも一昨日、ゆとり教育を撤回し覚える授業(詰め込み教育)ではなく、考える能力、応用力を高める方向に変わったと報道していた。それは素晴らしいことだと思う、本当なら。
あとは教育者が人格者であって欲しいな、と切に願う。

朗らかな少年としばし話し込んだだけで、ブルーだった気分がスッと軽くなった。疲れもどこかに消え去った。
子どもの笑顔は何物にも代え難いなぁ。

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少年の笑顔に救われた。

今年でコーチ業は止めて他のボランティアに移ろうか・・・なんて考えも少し浮かんできていたんだけど、やっぱりもうちょっと続けようかな。







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さて。上の写真ですが何が写ってるか分かりますか? 砂地の海底ですがちゃんと生物が写っているんですよ。

私はいつもダイビングのガイドさんに感心してしまうのですが、どうしてあんなに色んなものを海中で見つけられるのか不思議でなりません。
確かに連日同じ海域を潜ってるわけですから、どの辺に何がいるのか分かっていて当然って言えばその通りなんですが、それにしたって見つけるのは至難だと思うんですよ。
上の写真だってそこに何か居ると分かってれば一生懸命探しもするだろうけど、気にも止めずに潜っていればただの砂地の海底ですから素通りしてることでしょう。
それなのに「ホラ!」と指示棒で指されても、私は「????」なのです。

さて、前振りはボチボチ止めにして、何処に何が居るか分かりました?
何となく砂粒と色が異なるんで分かるかと思うんですが、拡大してみましょう。

small_umiusi

砂粒と殆ど同じ大きさのウミウシです。子供だからなのか背中にはまだ貝殻がくっついてます。

実はこれを見せられたとき、わたしは何が居るのか分からなかったのです。ただ、ちょっと色合いの違う物があるなぁ・・・程度にしか認識出来ませんでした。
写真に撮って後から見て砂粒サイズのカタツムリみたいウミウシだと判った次第です。

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このウミテングの赤ちゃんだって、海底でジッとしていたのにどうして見つけられるのか? 先ほどのウミウシは2㎜ほど。こっちのウミテングは1㎝ほどの大きさしかありません!

これはもう、視力だけの問題では無いと思うんですよね。
感とか感性とか、はたまた前世は魚だったとか、別次元の話しなんではないかと思うのです。

いっくらこいつ(↓)みたいな目で探していたって、私には絶対に無理だと思うのです。

gyoro












sakuraちょっと春らしくなってきて、思わず
梅は~咲いぃた~かぁ、サク~ラはまだかないなぁ~
な~んて口ずさみたくなる日が続いたかと思ったら、先週末あたりから冬が舞い戻ってきたかのような寒い日が続きます。
わたしも体調を崩したようで、先週来、微熱がとれずに困ってます。明後日には春らしさも戻るようで少しホッとしてますが、オーストラリアの季節外れのハリケーンや中国では干ばつに大雪と、地球規模で自然が狂い始めてるのが実感できます。温暖化対策、秒単位での緊急事項だと思います。

ということで話しはサクラに戻るのですが、今週末あたりが関東地方のお花見ベスト・タイミングではないでしょうかね。今週末、例年のお花見会に誘われていまして、今から楽しみです。

あのサクラの淡い色合いは、本当に綺麗ですよね。上の写真は先週、秋葉原方面を歩いていて見つけた光景なんですが、これもサクラの一種だと思うんです。でも、名前は知りません(汗)。
日本のサクラは300種類以上もあるらしいですが、上の写真の桜の色合いは、ちょっとキツ過ぎますね。だいたいからして“桜色”と表記すると何か良いイメージなんですが、“ピンク”となるとちょっと引いてしまうのは私だけでしょうか?

実は先週行ったマクタン島で、ヒルトン・ホテルを利用しました。
このホテル、何もかもがピンク色でした。桜色では決してありません、ピンク!です。
流石に室内だけはフツーの配色でしたが(部屋の中もピンクだったら気が変になっちゃいますね)、なんでまたピンクで統一したのか、その感性が不思議です。私はパリス・ヒルトンがパパにねだって無理矢理この色で造らせたんじゃないかと勘ぐってるんですが・・・。

まぁ、それにしてもあまりの徹底さに脱帽しました。
帰りに空港までの送りをお願いしたんですね。そしたら、ロビーで待っていた私たちを迎えに来た車がこれです。

            ↓
                 
            ↓

            ↓




pinkcar





走行中、車外の視線がとっても気になりました。











randscape
上の写真は今回私たちが投宿したマクタン島のホテルの部屋からのものです。マクタン島の東端部分です。
いつもの事ながら、ダイビングが目的で行くので一番安い部屋をお願いしたらこんな眺望の部屋をあてがわれました。
まぁ、昨年の鉄条網と塀しか見えないサイパンのホテルよりかはましですが、写真右端の方向を見下ろす部屋が良い部屋なんでしょうね。

このホテルに3泊したのですが、2日目の夜からわたしは耳栓(イヤーウィスパーってやつです)をして眠る事になりました。何故かというとニワトリの鳴き声が凄いのです。
毎朝、まだ空が暗いうちから、


コケコッコー! (これぞニッポン・侍鶏!)

クックドゥドゥルドゥー! (アメリカの鶏

ココリコー! (おフランスから来た鶏)


とそれはそれは喧しいったらありゃしない。
彼らの雄叫びに起こされて時計に目をやればまだ4時!
なんでこんな夜も明けぬうちからメスの気を惹かなきゃならんのだ!

って事で、翌晩からは耳栓して寝るハメになったわけですが、フィリピンでは闘鶏が盛んで、このあたりでは娯楽が少ないためか特に闘鶏用のニワトリを飼う家が多いのだそうです。
ちょっと民家にお邪魔すれば、

bird
ほら、ネ。
むかしニワトリに葉っぱあげてて指先を噛まれた経験を持つわたしは、決して近寄ることはしませんでした。
(食べたら美味いだろうなぁ、身が締まってて

dogsニワトリの他にも犬もいっぱいウロウロしてるのですが、これはネコに徘徊されるとニワトリの命に危険が及ぶのを防ぐためではないかと思うのですが、真相はいかに? どなたか知りませんか?
インドネシアもタイも犬は多かったけど、あれは単にノラが自然増殖したんだと思うんですよ。だって、右写真の犬のように首輪してる犬に会った記憶はないですモン。
ちなみに写真後ろのシロちびワン公は、ずっと前の大きなメス犬の隙を窺ってました。後ろから腰に覆い被さっては逃げられていました。

そしてもう一種類、あちこちで見かけたのがヤギです。
聞いたところでは、どうやらヤギは食用のために飼ってるようです。でも、放し飼いなんですね。
どこかの家に紛れ込んで、食べられちゃっても分からないと思うんですが、おおらかなのか鷹揚なのか・・・。

道すがらわたしが「アッ、あそこにもアッチにもいる」とヤギを見ていたら、かみさんが、






「変わった犬ねぇ」  



・・・・・・・・・・。
いえ、ですからヤギだって!

どう見たって犬には見えないんですけど(汗)。













フィリピンのマクタン島で潜ってきました。
一番利便なのは成田からマクタンへ直行するフィリピンエアーライン利用なのですが、かみさんがこの航空会社が嫌いなのと今回はマイレージ利用なのでこの航空会社が利用できないって事で、タイ航空でマニラ経由となりました。
で、タイ航空利用となると関西空港が一番便利・・・って事になっちゃうワケでして仕事を終えて関空へ一端飛び、大阪泊と相成りました。
kanku
かつては関空から電車でちょっと行った所の、とっても安いホテルを利用してたんですが、今回はそれも億劫になっちゃって、ネット早割で関西空港に隣接したホテルを利用しました。
上の写真がそのホテルのラウンジから撮影した景色です。向こう奥に見えるのが滑走路、手前の建物が空港ビルです。
「あれ?関空からあんなブルーの塔が見えたっけ?」と思われた方、ハイ!素晴らしいです! ブルーの塔に見えるのはラウンジ内にディスプレィされたライティングが窓に映ってるんですね。

ところで、こんな事書くとお叱り受けそうなんですが、関空の利用客ってマナーなってない人、多いですね。
空港ラウンジに置かれたキャンディやウェット・ナプキンをゴソゴソと、なんでそんなに沢山持っていくのか信じられないほど鞄に詰め込んで行く人を、たった数十分わたしがいる間に三人も見かけました。幼稚園児じゃないですよ。立派な大人が・・・です。旅先で商売でもするんでしょうか? 無料のキャンディ売って!
飛行機に搭乗しても携帯電話で話してる人が結構いましたね。お仕事、お盛んで結構なことですナ。って、皮肉っても話してる人の顔を見るに仕事してるような雰囲気ではありませんでしたが。

しかし、関西空港利用客以上にフィリピン人は凄かった! 飛行機が着陸した途端に携帯電話取り出して電源入れてました。
携帯電話の電波で飛行機の計器が誤作動することは無いだろうけど、少なくとも管制塔との交信が妨げられる恐れはあるわけで、第一、そんなに重要な案件でも抱えてるんでしょうかね? ベルト着用サインが消えるや否や通話を始めるし。一応、機内では着陸後も携帯電話での通話はしないでくれと、現地語&英語で言われてるのに。どうみても大した話しをしてるとは思えないのに(言葉が理解出来ない)延々と携帯で話してる。
地下鉄に乗ると携帯電話の受信が出来なくなるので心拍数が上がっちゃうって人がいるそうだけど、フィリピンの方々はきっと地下鉄乗れませんナ。

な~んて偉そうに人のこと好き放題書いてますが、実はわたしも飛行機から出て携帯電話の電源入れようとしたら、すでに電源オンになっててビックリしちゃったのです。
確か電源切ったはずなのに変だなぁ・・・と思ったら、自動電源オン設定してました(汗)。

「みなさまご搭乗有り難うございます。飛行機に乗られる際は携帯電話の電源をお切りください。機内での通話は絶対にしないでください。また、自動電源オン設定をされてる方は、設定をオフにして頂きますようお願いいたします」。

udeさて、肝心のマクタン島報告はいつか作成いたしますが、日頃日焼けにだけは細心の注意を払っているわたくしめが、今回ご覧のような日焼けになってしまいました(泣)。
天気が悪かった事で気を許してしまったのが原因です。くもりでも南国の紫外線は凄まじいって事を再認識しました。

それと、写真では気持ち悪くなりそうなんで画像は掲載しませんが、右手の中指と薬指の付け根をハナブサイソギンチャク(多分)という猛毒の毒性生物にやられてしまいました(泣)。
海中で写真を撮ろうとしてるときに、怪しげなヤツがいたので気を付けてはいたのですが、撮影に夢中になってる内に海流に身体を流されてペタリと密着してしまったのです。
船に戻ってすぐに治療すれば少しは良かったんでしょうが、すぐに治るだろうとタカをくくったのも失敗だったようです。
右手の中指と薬指、クリームパンみたいです(泣)。しかも熱も出てきて、頭がガンガンしてます(号泣)。

人の悪口ばっかり書いてるから罰が当たったんでしょうか?









クロマグロが寿司屋さんから消えてしまいそうだ。
個人的にはクロかシロか、はたまたアカでも、マグロはマグロであって色の問題では無いのであまり関心は無く(要は味覚音痴?)、本当に絶滅しそうなら日本が率先して年数決めて漁獲禁止を提唱するべきだと思う。

でも最近はマグロは日本人より外人の方に人気があるようで、アメリカやヨーロッパでは“ヘルシー”という理由から消費が増えているようだし、銀座の寿司屋では、中国からのお客さんが入った後はマグロが品切れになるらしい。
それほど彼らはマグロが好きで、マグロばっかり注文するって聞いた(他のネタの日本語を知らんのかも?)。中華料理のテイストを思えば、彼らが鯛やヒラメより中トロや大トロを好むのは納得がいくけどね。

ところがどうやらマグロのような大きな魚は海の世界での食物連鎖の頂点に立っているようで、水銀吸収した小さな魚を大きな口でガッポガッポと大量に食べて大きくなったから、その分水銀含有量も一番多いらしい。
しかもその水銀は赤身部分より脂肪の方に蓄積するんだそうな。“とってもヘルシィ~(^^)”なんて喜んで食べてる場合ではない。水銀食べて「あぁ、美味しかった! ヘルシーボークー!」なんてシャレにもならんぞ。 

妊婦や幼児へのマグロなどの大型魚の摂取を規制してる国もあるそうだけど、漁業国でもある日本のお偉いさんは見て見ぬ振りをしてる。

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※写真はクロマグロではありません。イソマグロです。画像が無かったので(^^;)@宮古島

寿司屋に行っても中トロを頼むことは滅多にない。よほど板さんが薦めてくれた時しか食べない。せいぜいがネギトロ巻きを頼むくらいで、白身や光り物の方が好きだ。
魚だけじゃなくて肉も、昔はサシが入った一般的には“高級”という代名詞が付く肉が好きだったんだけど、最近は脂っこくて食指が湧かない(歳のせい…?)。
昔は何だかパサパサしてて嫌いだったアメリカ産ビーフの方が、最近じゃ自分の味覚に合ってるような気がする。大きすぎるのが難点だけど。

そういえば、むかし行ったヴァヌアツで食べたタンナ牛は絶品だった。
この島の牛は完全な放牧で、島を移動してるときにも何度か牧場から抜け出してきた牛が道路をのそのそと歩いてるのを目撃した。薬の混ざったような肥料じゃなく自然に生えてる草を食べてるせいか、本当に美味しかった。脂が程々で味がしっかりしてるのだ。何で日本の商社はあんな美味しい牛肉があるのに輸入しないのだろう? きっと生産量が少ないから商売にならんのだろうな。
ン? ってことはタンナの牛は人間の操作が介入してない自然牛ってことにならんか? それを食ってるのに何で日本のイルカ漁や鯨漁はバッシングされるんだ?

タンナの牛だって食べ過ぎれば絶滅しちゃうだろうし、マグロだって獲りすぎればそりゃいなくなっちゃうだろう。何事もほどほどが大切・・・って事だな。食べ過ぎれば水銀中毒かなんかになっちゃうかもしれんし。
近畿大学がクロマグロの完全養殖に成功したってニュースを読んだ。是非とも水銀の心配しなくて良いクロマグロを寿司屋さんに届けて欲しいものだ。

オォ! いかんいかん! 飛行機に乗り遅れる! そろそろ出発準備しなくちゃ。

空港でちょこっと寿司、つまんでいこう~っと。








鳩ポッポ2号さんが離島・・・違った、離党されたようですね。アッ!そうか! 自分たちの尺度でしかものを考えられない人達が集まった島のような世界だから離島でも同じようなものか?
ポッポ弟さんって5回も大臣になってるんだね、驚いた。兄さんは総理大臣だし、まさにサラブレッド家系ですな。

むかし、学校のテストや通信簿の結果が良かったりすると「偉いねぇ~。末は◯◯か大臣だ!」なんて誉められた記憶があるけど、最近じゃこれは誉め言葉なんかじゃなくて、もしも使おうもんなら「バカにするな!」って怒られるかもしれない。
大臣になれるかどうかは本人の資質や努力じゃなくて家系のようだから、巧く養子にでもなれれば誰でも大臣くらいにはなれそうだ。

離党の本当の目的がちょっと読めなくて、なんか痩せ我慢の話題提供みたいになっちゃってるけど、まぁポッポ2号さんにはこれからも面白い話題だけは振り撒いてくれる事を期待しましょ。でも、くれぐれも国民にとって無茶な事だけは言い出さないでくださいマセ。

そうそう、無茶といえばこの写真 

hawaii

空はドンヨリ、今にも雨が降ってきそう。なんか寒々として川崎か木更津あたりの海岸っぺた・・・って感じで、これから寒中水泳でも始まるかのような光景なんですが、ここはハワイ島です。
向こうの方に目をやると海水浴なんかしてる人もいるんですが、実際、一度身体が濡れると寒くてブルブル震え出しました。
ハワイ島って南国のイメージですが、近隣の島々の人達の避暑地だそうです。確かに天文台があるマナウケア山ではスキーも出来ます。
そんな島ですから水温は20度を超えることはあまり無いようです。わたしのようなナンチャッテ・リゾート・ダイバーには試練のようなダイビングになります。海中はとても綺麗ですが。

ダイビングで痩せ我慢する気は毛頭無いので、海辺でノ~ンビリとリゾート気分を味わいたかったのですが、この天気では痩せ我慢と言われても不思議ないですな(汗)。

明日からフィリピンの島へ潜りに行きます。
こちらは輝く太陽が出迎えてくれると期待してます。
わたしの離島は22日の予定です。









独占欲が強いのか、はたまた単なるケチなのか、わたしは自分のお気に入りの店をあまり人に教えない。

かつて下北沢にちょくちょく立ち寄るカウンターだけのお寿司屋さんがあって、そのお店はサッカーのコーチ仲間でもある方が切り盛りしていた。
他のコーチ仲間や所属するサッカークラブのご父兄もいらっしゃっていたりして、居心地良いことこのうえなかったのだけど、ある時にアンアンだかノンノだかに紹介されてしまった。
以来、フラリと立ち寄るといつも満席で、渋々帰宅・・・といことが何度か続いた。満席で入れない事が度重なると、途中下車までして行くのが億劫になり、やがて行かなくなった。
一見さんの客より常連さんを大事にするべきなんだよなぁ、本当は。

まぁ、この話しは特に珍しい話しじゃないんだけど、そんなこともあって私は自分のお気に入りのお店をやたらと人に教えないのだ。別に私が教えたところで満員御礼になることはないのだけどね。要は私の秘密の場所にしておきたいからなのだ。
ところが今のご時世、いくら自分一人が秘密にしていても誰かがブログなどに書いたりしちゃうもんだから、ネット上に登場してないお店などほぼ皆無と言っていいだろう。
ptycookネット上に全然出てこない、自分のお気に入りのお店があったら、コリャ凄いと思うんだけど。

左写真の以前にもちょこっと書いたプティコックは、2階にテーブル席が2つしかない小さなレストランなんだけど、この店だって“神田 プティコック”で検索するとゾロゾロ出てくる。
わたしは好きで、何度か行ってはいるけど、ぐるナビやこんな誰でもが情報発信者になれるブログなんてものが出てこなかったらこの界隈の人しか知らず、昼時に行列が出来ることもなかっただろう。

このサイトにもリンクさせてる私の旅のウェッブページも、あるキーワードでの検索結果でYahoo!で1位、Googleでは2位になっていた。
ちょっと訳あって、そのキーワードで検索に引っかってしまうのは非常に困ることだったので、私は検索に引っかからないように、別のキーワードで検索結果が上位になるようにしたかった。ところが一度サーチエンジンに情報登録されちゃうと、なかなか検索から外れないのだと知った。ウェッブ・ページそのものを削除、もしくは他のドメインに移行しちゃうのが一番なのかもしれなかったけど、私は必死で検索キーワードの変更をトライした。

ネットという閲覧者=情報発信者というツールは、便利ではあるけどなんか「ナ・イ・シ・ョ・!」が無くなっちゃって、ちょっとつまらなく感じ始めている。
ところが先日、近所に新しく出来た料理屋に入った時のこと。お店の中はいつもお昼が遅めのわたし一人だけだった。
しばらくするとご老人が一人でやって来て、注文と一緒に「写真撮ってもいいかい?」と、板さんに聞いた。すると当の板さん「写真はご遠慮ください!」。

いやぁ、ちょっと驚いた。何故に写真を撮らせないのか言わなかったけど、ヒョッとしてウェッブに登場したくなかったのではなかろうか?
そうなると今度はわたしのような偏屈者は、「何も店内写さなくても外観撮っちゃうヨ~(^_-)-☆」なんて気持ちがムクムクと湧き起こって来たんだけど、料理が高い割に美味く無かったから紹介するのもバカバカしいし写真撮るのも面倒なんで止めた。

わたしよりもっと偏屈な野郎(この世界には特に多い)が来てたら「大して美味くもないのに禁煙じゃなくて禁撮の店!」なんて書かれちゃうんだろうな。

どっちに転んでもネット情報から隠れ通す事は至難のようだ。




BlogPaint























nosnoke3度の挫折を経験したけれど、最後の禁煙から13年が過ぎた。

酒は辞められそうにに無いけど、こと煙草に関しては辞めることがさほど苦痛じゃなかったので、ついつい「1本くらいなら・・・」が結果、常用になってしまい、3度の禁煙宣言をするハメになった。
もう二度と吸うことは無いだろうと思うけど、もしかすると死を確信したときに再び吸うかもしれないなぁ。

前職時代は一度火を灯せばあとはライターが不要になるほどのチェーンスモーカーだったから、煙草の煙に関しては寛大な方だと思うのだけど、食事中の喫煙だけは勘弁して欲しいのだ。
煙草を辞めてから、それでなくとも嗅覚が鋭くなっていて、これから「戴きま~す!」となる食事中に煙草の香りが漂ってくるのは本当にいただけない。

私の会社の近所は飲食店が多いので食事には困らないのだけど、何を食べようか・・・と考えるのが面倒なんで日替わりで店を代えてる。和洋中と交互に店を代えるのだけど、その内の一軒になかなか美味しくて安い中華料理店がある。
ところが残念な事に、その中華料理店は今どき珍しい昼時でも喫煙OKの店なのだ。

ラーメンを臨席客の煙草の煙と共にすすった時ほど腹の立つ事はない。私が注文したのはネギラーメンであって、タバコラーメンではないのだゾ!

そういえば昼食時にタバコOKのお店は、経営陣が外国(お隣)の方が多いように感じる。時々行くお寿司屋の板さんもタバコを吸ってたけど、その店は流石に昼食時は禁煙だ。
それにしても板前やコックがタバコを吸うってのは、どうかと思う。自分がタバコ辞めて気付いたのだけど、嗅覚も味覚も数段違ってくる。非喫煙者の味覚を喫煙者の調理人が満足させられるとは思えないのだ。

食事中に煙に巻かれるのは焼き肉くらいにして欲しい。
神奈川県民にちょっと惹かれた今日の昼食だった。


















知人が入院したのでお見舞いに出向いた。
その道すがら自分の入院経験を思い返していたら、過去に5回も入院していた。この5回ってのは多い方ではなかろうか。
で、その内の2回は生死の境を彷徨った。

一度は死にそうになったから入院したのだけど、もう一回の方は小学校3年の時、手術でのミスが原因だった。小さな町医者だった。
麻酔の量を間違えたらしく、わたしは心肺停止状態になった。その時、不思議な夢を見ていたんだけど、その話しは次回にしよう。地獄の淵から、アッ!違った、天国の階段から降りてきた時、酸素マスクを点けた状態で目覚め、傍らで母親が涙していたのを覚えている。

limitte東野圭吾『使命と魂のリミット
手術による父の死は、担当執刀医の故意による殺人ではなかったのかと疑問を抱いた娘が、その疑問を確かめるべく、その執刀医のもとに研修医として勤務する。
そして、彼女が勤務するその病院に「医療ミスをマスコミ公開せよ」という強迫状が届き、そこにワンマン刑事が登場してきて事件を追っていく。
よくあるパターンだ。
しかしそれにしても、このテの推理小説に登場する人物ってのは決まって驚異的な記憶力を発揮するもんだ。
たまたま廊下ですれ違った人物を覚えていたり、数十年前の事件に関わった人物の名前を覚えていたり・・・。3歩どころか1行読み進んだだけで忘れてしまう鳥頭の私なんか、その記憶力の凄さに驚いてしまうのだ。
東野圭吾の作品はそんなに読んではいないけど、以前に読んだ「さまよう刃」と比べちゃうと60点かな。
でもまさに、この作品も映像化にもってこいの内容だった。ヒョッとしてそれを狙ってるのか?

ところで冒頭に戻るのだけど、お見舞いに出向いた病院は、わたしが5回入院したうち2回をお世話になった病院だった。
勝手知ったる・・・と思って行ったら、様変わりしちゃっていて病棟が分からなくなっていた。最後にお世話になったのは、もう13年も前のことだからなぁ。
5~6年前だったけど、やはりこの病院に友人が入院した。でも、わたしはその時は見舞いに行かなかった。行きたくなかったのだ。

2度目は胆嚢の摘出手術でお世話になったのだけど、その時は父も内科に入院していた。外科病棟にいた私は点滴スタンドをゴロゴロしながら、何度か父の病室に出向いた。同じ病棟の階違いだったから、術後の痛みも我慢できる程度の移動だった。
何日かしてわたしが先に退院した。しかし父は家に戻ることなく、この病院からこの世を去った。

お見舞いに窺った方の病室は、父と私が入院していた頃とは比べようもないほど綺麗になっていて、まるでホテルのようだった。
お見舞いからの帰りに病棟のロビーから外を眺めたら、夕日にビルが紅く染まっていた。

jikei_hosp

父に死が迫ってくると、病院は父の病室を移した。この病院で一番古い病棟で、暗く陰気だった。
病院側の意図は理解できるし、父の意識はすでに無いに等しかったけど、わたしにはそれがたまらなかった。古い病棟が不潔だってわけじゃないけど、人の最期くらい綺麗で気持ちよい病室から送り出して欲しかったのだ。

友人が入院していた数年前にあった抵抗感は、いつの間にか消えていた。
けれどこの景色を眺めてたら、また再び生まれてきたような感じがした。












昨日、顔見知りの社長さんと講演会場でたまたま会った。
世間話をするうち、「ところでタカラガイさん、最近は潜ってるの?」と問われれたので、ここぞとばかりに、「エッヘッヘェ。正月にレンベに行ってきました~!」と、ちょっと自慢げに言ったのだけど、その社長さんは「それ、何処?」。

その社長さんはダイブマスターでもあるお方で、代表になられてからはあまり潜りに行く機会が無くなっちゃって悲しい、なんて初めてお会いしたときに聞いたのを覚えてる。
そんなダイビングの師匠のような方が、あの聖地と言っても良いようなレンベをご存じないのでちょっと驚いた。
そうは言っても、この私も地名は聞いて知っていたけど、あんなに素晴らしいなんて想像外だったんだけどね。
で、レンベの自慢話(レンベを自慢しても意味無いんだけど)をしようとしたら、「私は来週からシミラン・クルーズに行くんですよ」とおっしゃるではないか!

シミラン・クルーズって、それこそダイバーの憧れ。1週間近くもホテルのような船でダイビング・ポイントを行き来して、朝起きたらまず洗顔兼ねてひと潜りし、船に戻って朝食。食後ちょっと休息&用足しなどして再び潜り、昼食摂ってまた潜ったら昼寝して夕食前にまた潜る。夕食食べたら夜の海も散策して、さぁ寝ましょうか………ってな、まさにダイビング尽くし、潜り倒し・・・ってな感じ。もういっそのことタンク背負ったまま海の中で寝てもいいんじゃない? ってな調子らしいけど、わたしは未経験なんでヨーワカランのだ。今の話し、ぜんぶ想像だから信じちゃダメよ。そんなに的外れではないと思うけど。

レンベの良さを蕩々としゃべろうと思ってた私は、すっかりシミラン・クルーズの話しに引き込まれてしまったのだった。

ところでクルーズ・ダイブっていうと映画「オープンウォーター」を思い出す人がいるかもしれないけど、あんな事はまずあり得ないんだよね。
むか~しの事だけど、オーストラリアのグレートバリアリーフに潜りに行った時は、それはそれは大きな船だった。一人や二人、帰りに積み残しても判らないような人数で出発した。だから、ダイビングを終えて帰路につくときは、スタッフが3人掛かりで乗客をカウントし、カウント中にちょっとでも動くと怒られた。それほど厳重にチェックしてるのだ、普通はね。
広い海原に取り残されて漂い、最後はサメに喰われちゃう・・・なんてのは、ほとんどマンガのような話しなのです。絶対に無い!とは言い切れないけど。

で、話しを戻してその社長さん。私のように頻繁に潜りに行けないうっぷんを、満を持してこのシミラン・クルーズに賭けたか、と思ったらご招待なんだそうな!
ナント、ダイビングショップのオフ会に参加して、1等賞のこのシミラン・クルーズが当たっちゃったんだそうな。
何もよりによって自費でも充分行ける社長さんに当たらなくたっていいのに・・・とちょっと思ったけど、“当たっちゃった”という既成事実でも無い限り、きっとこの社長さんが1週間以上もの休暇を取ることは出来ないだろうと思ったのだった。
きっと誰かを誘って、自分は自費で行くんじゃなかろうか、と思いつつ「それにしても羨ましい」と家路についたのだった。


北京  ベルリン  ダブリン  リベリア

   美人  アリラン  ガムラン  シミラン ・・・



いつかは行ってみたいなぁ・・・・・・・・・・。







cove第82回アカデミー賞で和歌山県太地町のイルカ漁を隠し撮りした映画「ザ・コーヴ」が、長編ドキュメンタリー賞を受賞した。

ダイバーである私としては、出来うることならイルカを殺すのは止めていただきたいのだけど、地元の漁師さんにしてみれば、「じゃあ、イルカは止めて他のものを捕りましょう」ってわけにはいかんのだろうなぁ。

いくつかの報道ではこの太地町のイルカ漁を“江戸時代から続く伝統”と紹介しているけど、これは伝統じゃなくて習慣だろう。
漁に伝統はあるけれど、それは漁法が伝統なんであって獲物が伝統ではないはず。勘違いしてる。
習慣であるなら止められるとは思うのだけど、きっとそうもいかんのだろうなぁ。

日本の捕鯨に反対テロをしかけるシーシェパードは、捕鯨反対が目的では無く営利目的でやってるとしか思えないが、この映画は何を言いたいのだろう? 観る気はサラサラ無いけどね。

むかし近所に飯場があって、そこで働く人が野良犬を殺しているのを何回か目撃したことがある。まだ幼稚園か入園前の事で、とてもショッキングな光景だったけど、あれは間違いなく犬を食すためだったと思う。
今では日本で犬を食べることは無いだろうけど、世界の何処かじゃ、お隣の国も多分、いまだに犬を食べているだろう。
アマゾンでは猿を食べるし、アラスカでは鯨(それと昔はシロクマも)が一番貴重な食料のはずだ。

なんで日本だけにいちゃもんをつけるのか? 人の国の文化にアーダ、コーダ言ってないで自分の国を振り返ってみろ!スカポンタン!
それともう一つ不愉快なのが、日本公開では映画に映る太地町の人達は顔にモザイクがかけられるそうだ。太地町の人達がそうしてくれと言ったのだろうか?
隠し撮り故の配慮のような気がするのだけど、だったら上映しなけりゃ良いのに。
太地町の漁師さん達も、イルカ漁が自分たちの文化だと自負するなら、堂々とすればいいと思う。もしもそれが出来ないと言うなら心の何処かに呵責があるということになってしまう。

それにしても相手の文化を知りもせずに自己の主張を強引に発信することの、なんと愚かなことか。









私にとってはどうでもいい話しなんだけど、「態度が悪い!」とバッシングくらってしばらく日本から離れていた女優E・Sが帰国し、再び女優活動を開始するんだそうな。
たまたま今日、その所属事務所がプレス専用のウェッブ版プレス発表ルームを開設したという記事を見つけた(昔の職業癖が抜けてない?)。
記者にアクセス用の専用IDを渡して、公式発表はウェッブを通じて行うらしい。
「質問は一切受け付けません!」ってことか? 今どきの方法でもあるとは思うけど、その注意書きに驚いた。

1 ◯◯エ◯カの情報や声明を伝える場合、歪曲や、誤解を招く表現を避けること。
2 情報を公開する前に、その信憑性を十分確認し、根拠のない噂話は一切公開しないこと。
3 屈辱的な表現や侮辱的表現を、◯◯やその家族(先祖・子孫や配偶者を含む)に使わず、彼らの名誉を棄損するようなコメントはしないこと。
4 ◯◯とその家族の私生活や、プライバシーに関わる情報及びコメントを、許可なく公開 しないこと。
5 不明確、事実ではない、もしくは◯◯やその家族にとって有害な情報を公開した場合、 きちんと訂正すること。
6 私有地、もしくは公衆の立ち入りが制限されている場所、もしくは私生活にて撮影された、アーティスト(◯◯)やその直系家族の映像及び画像の入手、またそれらを事務所の許可なく一方的に公開したり放送しないこと。

いやはや、ごもっともでございます。


とはいえ一般人、もしくは自分の姿をさらすことを生業としていない方々が、上記のような事を言うのは納得できる。
しかし彼女は“見られてナンボ”の世界で生きているのではないか。プライバシーをそれほどまでに守りたいなら転職すべきだ。
書かれて困るような事をマスコミが追うのは、その媒体を買い求める人々(ファンとも言う)が求めているからだろう。それを拒んでどうする。ファンの意志を無視するのか?

上記の事を守れなかったマスコミ会社にはウェッブへのアクセス権を剥奪するそうな。剥奪されて困るような会社は無いと思うんだけどね。
前職時代にライバル誌が「書かないでね」と言われた事を無視して記事にし、しばらく出入り禁止になったことがあった。でも、そのライバル誌は特別困ったようなことも無かった。そりゃそうだ。ネタは他にいくらでもある。

第一、一方的にウェッブ上で発表された事柄をどうすれば“歪曲、誤解を招く表現”に出来るのかと不思議だけど。
しばらく隠遁していて少しは賢くなったかと思ったけど、やっぱりバカだった。
ちょっと可愛い小娘だと認識していたけど、ご本人様はアーチストという位置づけ(6)らしいから(笑)、さもありなん。
誰もが必要とする本物の女優になれば、マスコミも“嫌だ”と言われたことを暴露するようなバカなまねはしなくなるのに。


「タカラガイさん。まくらでどうでもいい話し、なんて書いてるわりにはボロカスですね。何か彼女に恨みでもあるんですか?」






「べ~つにぃ~」 







子どもの頃にヘビを飼っていたことがある。
クサヘビという、その名の通り淡いグリーンの50cmほどのヘビだった。しかし残念なことに、そのヘビは一週間ほどでケージから脱走してしまった。

普通の家だったら大抵は家人の反対がありそうなものだけど、わたしの母は私が飼いたいといったものにダメだと言った事がなかった。

snake母も寛大だったけれど、近所のおばさんにも凄い人がいて、「タカラガイちゃん、ほら! コウモリ捕まえたからあげる!」と持ってきてくれたりした(母は困ったろうなぁ)。

そのクサヘビは家の前の原っぱで捕まえた。当時、我が家の周囲は自然がいっぱいあって、防風林などもあったからヘビに限らず、クワガタ、カメ、メダカ、e.t.c.・・・いろんな動物や虫を捕まえることが出来た。時には写真のような白蛇に出会うこともあって、子供心に「コイツハ カミサマノツカイダカラ ツカマエチャダメダ」なんて思ってた。

わたしは以前にも書いたけど、は虫類は平気なんだけどゴキブリだけは絶対にダメ! あのカサカサと歩き回る様を見るだけで鳥肌がたつ。
夜半に帰宅し部屋の電気を着けた途端に、あの黒光りする奴がカサカサと目に入ろうものなら深夜であろうと、

ギャ~! となる。


皮剥いで製品になっちゃえば平気らしいけど、女性のは虫類嫌悪は解せない。
そういえば女性に不人気な動物にネズミがいるけど、何故か?

どんなに小さくてもネズミが足下をチョロチョロ歩けば間違いなく、

キャ~! だ。

ディズニーランドでミッキーに会っても、

キャ~!  


本当にネズミがお嫌いらしい。  意味が違うか・・・。
上の方のキャー!の主だって、よく見りゃ可愛い目をしてるんだけどね。

わたしの母だって、突然ネズミに登場されりゃキャ~!なんだけど、それでもわたしの我が儘を鳥肌立てて見守ってくれていたことには、今では本当に感謝してる。

ここで浅田真央ちゃんのトリプアクセルばりに話しはクルンクルンしちゃうんだけど食事中の人やお下品嫌いな人は、ここで読了としてください。
(こんなブログ、食事中に読んでる人もいないか)















































中学時代の親友の家に遊びに行ったとき、友人が「タカラガイ、面白いもの聴かせてやるな」、とカセット・レコーダーを持ち出してきた。

彼がスイッチを入れると、


プッ・・・、ピピピ ピピ~

とか、

ブバッ!

とか、

プゥ~!

とか、延々と流れてくるではないか。

表題からしてもうお判りですね? そうなんです、彼は自分のオナラの音を録音していたのです。

呼吸困難に陥って死ぬんじゃないかと思われるほど笑いこけた後で、涙を流しながら彼は、
「な? なかなか面白いコレクションだろ?」。


いや~、確かにこれは面白いと思いましたね、その時。
自分も何か他人を笑い殺せるほどのコレクションをしたくなりましてね。
で、考えたんですよ。

当時の我が家のトイレは、すでに水洗でしたが和式トイレだったんですね。

アレ? 判っちゃいました?
そうなんです、毎日の健康状態をカメラで記録しておこうと考えたんですね。ヘビのように綺麗にとぐろ巻いてるの撮れたら最高だゾ! ってね。
ところがハタッと気付いたんです。

その頃は当然ですがまだフィルム・カメラしかありません。自分で現像できればいいんですが、そんな記録をDTP出せば近所でどんな噂が立つか・・・・。
泣く泣く諦めたのでした(今だったらデジカメなのでやってたでしょう)。

ヘビやカエル、コウモリの飼育にでも寛大だった母ですが、流石にそんなコレクションを始めたと知れば怒ったことでしょう。














自分の息子を職場近くに埋めた父親。
夫を自殺に見せかけて殺した妻。
愛情が沸かないからと自分たちの子どもに食事を与えないで餓死させた夫婦。
連日、殺人事件のニュースを耳にしない日は無い。
そして毎年3万人を超える自殺者。
戦争が大好きなアメリカだって戦死者数はイラクで1500人、アフガニスタンで1000人だ。(実際はもう少し多いとは思うけど)

日本って国はいったいどうなっちまったのかと思う。

通勤電車の中で夢中になってゲームをする人。
歩きながらも一心不乱に携帯電話のボタン操作をしてる人。
高齢者を押しのけてまで座席を確保しマンガに読みふける若者。
「仕事が無い」という人がいる一方で、募集しても人が集まらないという企業。
街には人が溢れかえっているのに、人との接触がまるで無いという若者や人知れず孤独死する老人。

vanuatu

政治の問題ばかりじゃないだろう。
だいたい自民党だろうが民主党だろうが、彼らにこの問題を解決する力は絶対にない。
私たちの問題なんだろうと思う。
ナショナリズムが欠如しすぎてる。国粋主義やガチガチの愛国主義はあまり好きじゃないけど、同胞という概念が希薄になり“他人”として周囲を見てばかりいないか。
私たち自身に問題があるのだと思う。


※写真はタンナ島の子どもたち










 

中学時代からの友だちで千◯(センマル、という名ではない。変わった名前なんで身元がバレる恐れがあり伏せ字にした)という奴がいた。彼は結構有名な日本画家の息子なんだけれど、中学時代は目立たなくておとなしい、そして勉強も運動もイマイチのパッとしない男だった。
それが高校生になるや仮面ライダーばりの変身をして、見事なヤンキーになった。
バリバリにいじくった彼のCB750や仲間のKH500、そして私のTX650などに相乗りし渋谷や原宿に夜な夜な遊びに行っていた。

少し記憶が薄らいでるけど、確かスーパーマーケットの半地下のような場所だったと思う。その少し大きなスーパーマーケットのゲームコーナーみたいなところで、私たちは数人でたむろしてた。きっと煙草を吸うためだったろう(デパートやスーパーは当時、ちょいワル未成年者にとってはもっとも安心出来る場所だった)。
そこに当時は当たり前のように置かれていたジュークボックスがあった。
彼がジュークボックスに近寄ると、「オッ! あるじゃん」とコインを入れてかけた曲が岩崎宏美の『ロマンス』だった。

私はその時始めて聴いたのだけど、いたく気に入ってしまった。良い曲だな、と私が言うと千◯は「じゃあ、もう一回な」と再びコインを入れた。
他の連中も「うん、うん。これはいいよ」ってな調子で、皆で持ち合わせのコインを入れて何度もこの曲をリクエストした。たぶん、15~20回分はコインを投下したはずだ。
当然っちゃあ当然だけど、私たちは5回ほども聴いたら飽きてしまった。他の所に行こうってことになり、私たちはゲラゲラ笑いながらその場を離れた。スーパーマーケットのゲームコーナーから、延々と岩崎宏美のロマンスが流れ続けていたからだ。

数日前の事だけど、夜半に聴いていたラジオからこの曲が流れてきて、懐かしさと一緒に当時の悪友たちの顔が浮かんできた。
その内の一人は20数年前に癌で死んでしまった。もう一人は赤坂&六本木を拠点にしっかり稼いでいる。
そして肝心の千◯は高校時代を最後に会っていない。渋谷で水商売をやってるらしい…なんて噂を聞いたけど、わたしは疑わしいと思ってる。

つまらないだろうけど話しはここで終わらない。もう1曲。アン・ルイスの『リンダ』。



この曲も始めて聴いたのはラジオだった。でも、その時は特に記憶に残ることもなかった。

この曲がヒットした翌年の確か2月、福井県の東尋坊に行った時にこの曲が流れていたのだ。
東尋坊は吹雪だった。こんな時にやって来る奴は自殺志願か私のようなよほどの偏屈野郎か、テレビ朝日の2時間ドラマ制作陣だけだろう。
こっちの寒さなど知ったこっちゃない、とばかりに粗悪スピーカーはこれでもか! というほどの音量でガリガリと割れた音のこの曲を流していた。

あの時、周囲に観光客の姿を見た記憶はなく、人っ気無い吹雪の東尋坊にBGMなんて必要があるのか? 第一、なんでまたこの曲なのか? あの時のあの場面にあまりにも意味不明で場違いなBGMは、ものの見事に私の脳裏に焼き付いた。
以来この曲を聴くたび、私はビュービューと吹きすさぶ吹雪の東尋坊を思い出すのだ。












映像見てて気付いたけど、ジョン・レノンが殺されたのはこの年(1980年)だったか。忘れていた。











エッ? そんな事よりなんで真冬に東尋坊へ行ったのかって?



ムフフフフ





ヒ ・ ミ ・ ツ  ! 










「なんでだろ~♪ なんでだろ~♪」と、ジャージ姿で腕をクネクネして歌っていた芸人さんは、今でも活躍してるのだろうか? 
「何でだ?」で終わってはイカンと思うのだ。解らないことは仕方ないとしても、分からないことを分らないままにしておくのはイカンと思う。 いけないと思うから調べるのだけど、最近は調べた直後から忘れてしまう(泣)。

英文読んでて意味の解らん単語を辞書で調べ、その次の行に同じ単語が出てきて「あれ?さっき調べたけど????」。
「オレはマジでアホなんじゃないか?」と悩むこともしばしば。脳みそ、腐り始めてるんじゃなかろうか。
腐り始めていても使わないと、腐敗の度合いが加速しそうだから頑張って脳みそ鍛えよう! まだボケたくないし。

yot_sunset

ところがどうしたことか、忘れ去りたい事柄は何十年たっても一つも忘れていない。
しかも悲しいことに、楽しい想い出よりも鮮明に浮かび上がってくるのは何故か。
今朝も歯を磨いてる時に突然、大学時代の苦い想い出が蘇ってきた。胃酸がこみ上げてくる時のような、嫌な気分。

何の脈略もなく過去の忘れ去りたい事が突然に脳裏に浮かんでくるのは、二度と同じ思いをしないようにとする自己防衛なんだろうか?





※写真はパマリカン(アマンプロ)の夕景。

















カメやマンタにコバンザメがくっついてるのをよく見かけるけど、ネムリブカやジンベエザメ以外のサメに張っついてるのを見たことがない。
コバンザメとしても泳ぐスピードが速い奴に張っつくのは至難なのだろうか。それとも自分が食われちゃうからくっつかないのだろうか。

kobanzame

このコバンザメって奴は他の魚の腹や背中に張り付いて移動し、その宿主が食べた物の残りカスを掠め取って食べてるらしい。
まったくもってこすっからい奴だ。人間にも似たような奴がいるなぁ、と一瞬思ったけれど、よくよく考えれば人間の方はおこぼれを貰うんじゃなくて、本来貰うべき人の口に入る前に横取りして、自分が食いきれなかった分を「ほら、ありがたく受け取りなさい」と渡してるわけだから、コバンザメやハイエナ以下って事になる。

13255261いつだったか私の下をずっと一緒に泳ぐコバンザメと会った(右写真)。こいつはいつまでも私の下から逃げようとしなかった。
その時、コバンザメがダイバーの腹やタンクにくっつく…って話しを思い出した。このコバンザメも私の腹にくっつくチャンスを窺っていたのかもしれない。
しばらく一緒に泳いでいたのだけれど、どこかに行ってしまった。

思うにこの時に私が着ていたスーツはジャージ生地だったので貼り付けなかったのかもしれない。スキンタイプのスーツ着てたら腹にピタリとくっついてくれたかも。
ヘソの下あたりにくっついてくれたら、なんかお◯ん◯んブラブラ出しっぱなしで潜ってるようでバカウケだろうな、と独りでクックッと笑っていたのだった。

私に張っつくことを諦めて、別の宿主を捜して泳ぎ回るなんてとこも、お金貰うだけ貰ったら、さっさと別の天下り先を探すお方のようで、これまたそっくりさん同士なんだと思ったのだった。
コバンザメそっくりさん、くれぐれも宿主をお間違えなきよう。カメやマンタみたいにおとなしい宿主ばかりじゃありませんよ。











朝から雨。昼前にはあがったけど路面は濡れている。
「こりゃ今日の練習(サッカー)は中止だな」と思い、こんな時にこそ片づけなきゃならない書棚の整理をすれば良いのだけれど、その気になれない。
未読の本から片づけるかと、しばし本を開いたけどそれにも飽きて中断。

窓から外を眺めていると、遅咲きの梅の花が目に入った。

「そうだ!練習兼ねて雨に濡れた梅の花でもマクロ撮影してみるか。」とカメラを引っ張り出して外に出た。


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梅の花の赤色を出したかったのでギリギリまで絞り込んで撮影。シャッター速度の遅い分、風に花が揺れて撮りづらいことこの上なし。海中のサカナ撮るよりは楽だけど。

沈丁花の葉っぱの先に雨だれがあったので、そいつもパチリ。

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しずくの先に隣のアパートが写っていた。

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雨の日は本当につまらん。










私が所持するサッカーの審判用具です。

refereecard

この他にホイッスルと時計を持ち、黒い審判服に着替えて完了となります。
ちなみにそれ以外にRESPECTと書かれた青いワッペンを腕に着けなきゃいけないんですが、私は好きじゃないんで着けていません。近々、怒られ指導されると思います(汗)。

サッカーに興味の無い方でもレッドカードとイエローカードはご存じでしょうが、サッカー・ファンの方でも審判証の右にあるグリーンカードを知らない人がいるのではないでしょうか。
審判が「もうダメだ。走れない…」という時に、この緑のカードを掲げて試合を中断します。








ウソです
このカードは紳士的プレーやフェアプレーをした選手に出します。
このグリーンカードに限らず、私は過去に1回しかカードを出したことがありません。
しかもその1回も選手にではなく、監督が座るベンチに対してイエローカードを出しました。
審判(わたし)のジャッジに対して汚い言葉で文句を言ったからです。

途中で数年のブランクはあるのですが、このワッペン着け始めて20年になりました。
年間、少なくとも60日はグランドに出てます。週に一回以上ってことですね。我ながらよく続くモンだと感心しますが、正直ここ数年は辛くなってきてます。
でも、子どもたちの笑顔見ちゃうと辞められないんですよねぇ。

私はこの3枚のカードをみんなが持ったら面白いと思うんですよ。
電車の座席を譲った人を見かけたら、見かけた人全員がグリーンカードを掲げます。
逆に座席に大股開いて足を投げ出しているような輩には、皆でイエローカード出し、同時に3枚上がったら退場(=下車)。

けっこう面白いとは思うのだけれど、審判試験受ける人はいないだろうなぁ。

今年のウェッブ審判講習、締め切られました。
(私は受講済みです、ご心配なく。SSCの皆さま)









若松孝二監督の「キャタピラー」主演女優の寺島しのぶがベルリン国際映画祭・最優秀女優賞を受賞した。
若松監督は大学時代の友人の叔父にあたる人で、わたしはかなり昔からこの監督の存在を知っていたけれど、当時はエロとバイオレンスに充ち満ちた作品が多かった。それが今回の受賞作品は反戦的な内容だそうだ。反権力を全面に打ち出していた初期の作品の流れを汲むのだろうか? 日本では今夏公開されるようだけど、是非とも観たいと思ってる。

「ペンは剣よりも強し」とは言うけれど、映像はどうか?
映画「ローマの休日」を初めて観たとき、オードリー・ヘプバーンの清楚な美しさにたいそう驚いた。



わたしに限らずほとんどの人がこの映画のエンディングに感動したと思うのだけれど、今の時代にグレゴリー・ペックのようにスクープ記事をボツにしてまで個人の立場と心を守る事が出来るジャーナリストが果たしているだろうか?

前職時代に私は何度かゴシップではあるけどスクープ・ネタを拾った。当時の芸能週刊誌に売ったら結構なフィーを貰えるようなネタであった。
私の知人からもたらされたのだけど、彼らは私がそのような行為に走らないと信じるからこそ話してくれたのだと、私は彼らの信頼を裏切ることなく、そのネタは時々の酒の肴として語るに留めた。

記者クラブという狭い世界でネタを拾い、色こそ異なれ中身はみな一緒の今の新聞というメディア。スクープを狙ってる記者はいるのか? それでなくとも整理記者がどこで切っても良いように散文的な表現しかできないのに、そんな記事を書いてて嫌にならないのだろうか?

ペンは剣よりも強いと思うけれど、新聞ジャーナリズムに限っては剣に立ち向かえる記者は見受けられない。
となれば、いまや映像の方が新聞の上を行っているのかもしれない。



holydayinroma2
かあさん、かあさん。
それは 真実の口 じゃありませんよ。


でもどこに行けば真実と真のジャーナリズムに出会えるのか?












“支援”だったり“援助”だったり、聞こえの良い建て前を掲げてそれを隠れ蓑にし、甘い汁を吸ってるゴキブリ以下のバカどもがいることは、ずっと前から知っていたし、汲み取り式の便所が姿を消しても居なくならないハエのように、どこからか必ず沸いてくることも知っているけど、訴え続けなければますます増殖するだろうから、また書くのだった。

な~に長ったらしくて堅っ苦しい前振り書いて息巻いてるんだ、おっしゃらず続きを読んでください。

2003年9月。わたしはミクロネシアの
ポンペイ(ポナペ、と呼ぶ人もいる)に行きました。
そこで海外青年協力隊として派遣されてきたという人と会いました。(青年…と名は付いてますが、母娘のような二人でした)
ナンマドール遺跡の見学ツアーに参加した際に一緒になったのです。
「国のお金で海外に来れていいですね」という私の皮肉にも、「はい、ホント楽ですから」と笑って応えました。
ボランティア自体は数時間だけで、あとは遊び放題なんだそうです。

独立行政法人は98あるそうですが、年間に私たちのお金3兆円ほどが注ぎ込まれているそうです。
その中には年間2000万円も取ってる天下りの理事長もいるそうです。

昨年、海外から研修で来日された人を迎えに、渋谷区西原にあるJICA本部に行ったことがありますが、豪華ホテルかと見まごうほど立派な建物でした。

このJICAのことが書かれていました。
まぁ、今さら驚きもしないですが、腐りきってます。詳細は上のリンク先をご覧ください。実際、これだけじゃないんですけどね。

child4_tan一応フォローもしておきますが、JICAに関係する人達がみな甘い汁を吸ってるわけではありません。
ヴァヌアツに行ったとき、現地の人から「日本人が先生として来てくれて本当に助かっているんだ。ありがとう!」と、何もしていない私が感謝された事もあります。

そのように頑張ってる人にたかる、ゴキブリやハエを一発でコロリとさせる強力な殺虫剤が開発されることを願って止みません。

vanuatu

写真はヴァヌアツ・サント島の港。














バンクーバー冬季オリンピックの話題が連日続いている。
アイスダンスを観ると、「あんな風に滑れたら楽しいだろうなぁ」と、いつも思う。自分はスケーターではなく、もっぱらスキーだったけど。
しかしスキー派のわたしでも、今回の転倒者続出した女子滑降なんかを観ちゃうと「ご遠慮いたします」(笑)

そうれはさておき前々から感じてはいたのだけれど、今回たまたま話題を提供してくれたので書くことにした。
わたしは正直言って、アイス・フィギュアやアイスダンスをスポーツとして観ていない。

こんな事を書けば異論が出るのは承知だけど、あれはスポーツと言うよりショーに近いと感じる。
実際今回、男子フィギュアスケートで4回転ジャンプに挑戦し2位に甘んじたロシア人スケーターが「4回転を飛ばないスケートはダンスだ」と言ったらしい。
確かに3回転であってもジャンプの高さや着地時の正確性を争うという点は理解できる。でも、チャレンジ無きところに私はスポーツを感じない。それはスポーツというより“技”の競演だと思うのだ。チャレンジしてこそスポーツと呼べるのではないか?
だいたいからして“芸術点”なんて項目があることが不思議だ。
そのような評価点があることからしてスポーツではなく、それは“芸”と言うべきだろう。
チャレンジよりも“芸術性”や“正確性”を重んじるアイスダンスやフィギュアスケートがオリンピックの種目として認められるなら、舞踊も加えたら良いと思うのだ。


タイミングを逸していたので、もう書くまいと思っていたけど、ついでだから国母和宏くんの事も書いておこう。
彼に関してはT.P.O.をわきまえられずにまだまだ子どもだな、とは思ったけれど、れっきとしたプロのボーダーだ。アマチュアのフィギュアスケーターとは一線を画する。
賞金を求めて世界を転戦し、日本での選考大会でも結果を残して日本代表として選ばれたわけだ。日本国国民の推薦があったわけでもない。

彼を推挙した人なら空港での彼のファッションに意見を言うのもまだ許されるかもしれないけど、何故にマスコミはあそこまで彼をバッシングしたのか?
彼に日本代表としてガンバって貰いたいと思っていたからか? だったらガタガタ騒がず結果だけを見守れば良いのに。

日の丸背負ってるからって日本国民の代表ではない。確かに費用は私たちが出してはいるけど、彼は自分の力でオリンピックの出場の権利を得てかの地に赴いたのだ。

日本人として恥ずかしいことをしてるなら注意するべきだけど、だったら渋谷を歩く若者のほとんどがその対象だろう。
渋谷には外国からのお客様もいっぱい来てるんだから。

日本国籍の外人スケート・ペアもいたし、ロシア国籍の日本人スケーターもいた。
もうボーダレスの世界なんだから、ボーダー・国母クンも「自分を貫くことがこの国じゃ面倒なんでキューバ国籍取って、アメリカのショーン・ホワイトと競うことにしました」なんてやったらカッコ良いと思うのだ。




昨夕、「軽く…行く…?」ってなノリでガード下の居酒屋に潜入した。

そのガード下には、チェーン店やイタリアンなども軒を並べていたけれど、本当に軽く一杯のつもりだったから(これがいつも数杯になり、もう一軒!となる)、日本の伝統文化でもある赤提灯の暖簾をくぐることにした。

時間は7時をちょっと廻ったところだったけど、まだ店内に客はポツポツ。
その中に・・・・・・。

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外人さん熟年カップルの姿が。
まぁ、別に珍しい光景でも無かったのだけれど、なんとはなしにパチリ。

しばらくこちらも談笑が続き、1時間が経過したころ・・・・・・、

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 ガイジサンに人気なんでしょうか、このお店?

店内はガード下特有の喧噪に包まれ、こちらも会話と言うよりは怒鳴り合ってるような状態だったから、隣の席の外人さんが何語でどんな会話してるのか、ちょっと聞き耳も立てたんだけど聞き取れなかった。

オーストラリアのシドニィあたりで夕方、それも4時くらいからオープンカフェでビールを飲んでるビジネスマンの姿をよく見かる。

彼らが何を話してるか、実はとても興味がある。
何故かというと、日本のガード下で6時前から飲んでるサラリーマンの多くが、酒もかなり入ってくると十中八九上司や仕事の愚痴を酒の肴にしてるからだ。

オージーも、他のガイジンもそうなのか?

わたしは愚痴を肴に酒を飲むのが大の苦手で、相方が愚痴を言い出すと「だったら辞めたら?」と、いつも余計なひと言で場を白けさせてしまうのだ。
飲んでる仲間からすりゃ、いわゆるKY(空気読めない)ってやつ。

上の外人さんたちは、共に1時間ほど飲んだら消えていて、実にスマートな飲み方だった。
みなさん、お酒は楽しく飲みましょう!

と、我々もお仕事のことなど 楽しく 話しながら飲んでいたのだけど、わたしが一杯目を飲み干してお替わりをしようとしたら、コップの底に・・・・。

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何か異物が入ってるではないか!

もうすっかり飲んでしまった後なんですけど・・・

スワッ! クレームじゃぁ! と店員を呼びつけようとして、ハタッと気付いた。

ジンジャー・ハイボールを注文したんだった。

コップの底に張り付いていたのはスライスされたショウガ。

危ない危ない、間一髪(汗)


余計なトラブル起こすこともなく、おかわり1杯いただいて、私たちも珍しく素直に家路に着いたのだった。









manta

たとえばとても美しい女性がヌードでいらっしゃったとします。
当然ですが「オォッ!」となりますわな、男性なら。
ところが10分もすればその存在は無に等しいような、単なるオブジェと化してくるんですね。
(この時間に関しては非常に個人差が大きいと思われます。オレは3日くらい大丈夫だよ、なんて人もいるでしょう。)

昨年、石垣島にこのオニイトマキエイことマンタに会いに行きました。
既報の通り、あいにく会えなかったのですが、その前に行ったときはバンバン登場してくれたのです。

いやぁ、初めてお会いしたときは「オォッ!」どころじゃありませんでした。
心臓はバックン、バックンするし呼吸するのも忘れちゃうほどでした。
美しいヌードの女性と鉢合わせしたしたってこれほど感動はしないと思うんですよね。

ところが、その後にゾロゾロと登場されますとだんだん醒めてきちゃうんです。
突然に登場してくれるからこそ感動が倍増するんで、次から次へとひっきりなしに登場されるとちょっと芸でもしてみせてよ、なんて勝手なこと言ったりしちゃうんですね。

マンタにしてみれば自分たちのクリーニング・ステーションにいっつも泡ボコボコさせて居座られてとっても迷惑でしょうに、こんな身勝手なこと言われたら怒りますわな。

それでもまた会いたくなるんですよ、コイツに。
今年の夏は昨年のリベンジの予定です。

そうそう。
ご存じの方は知っている、ご存じない方は知らないことですが(当たり前)、マンタっておちんちんあるんですよ。
オスだけですけど(これも当たり前。メスにあるわけない!)

魚って雌が卵生んだ後に雄が精子を振りまいて受精させるのが普通ですが、マンタは交尾します。

ですから上の写真のように頭上を通過されると雌か雄かすぐに判ります。

ちなみに先日書きましたサメもそうです。しかもサメはおちんちん2本も持ってます!
どっちか調子悪かったら別の方を・・・とか使い分けてるのでしょうか?
ちょっと羨ましいかも







根がケチなんで大盤振舞いなんてした事は無いのだけれど、この大盤振舞いってのは、元をたどれば「椀盤振舞い」と書き、椀や御盆にご馳走をいっぱい載せて振る舞ったのが事の始まりらしい。

お椀や御盆に食べ物&飲み物をたんまり盛って出せば良いのであるなら、いくらケチな私でもそれくらいは出来そうだ。
何を盛るかが問題ではあるけれど。

一般的には大盤振る舞いする時は、“清水の舞台から飛び降りる気持ちで”するんだろうけど、あそこから飛び降りればほぼ間違いなく死ぬ。
ってことは“死ぬ気になって”ゴチするわけで、ゴチするのに命を賭けるってぇのはどうかと思うのだ。
だから私だったら、せいぜい「清水の舞台で裸踊りする気で」おごるのが精一杯だ。



いやいや、本日もそんな事を書こうと思ったのではなかった。

何が書きたかったかというとサメのお話しだったのだった。
ノンダイバーの方からよく受ける代表的質問がふたつある。
「何メーターくらい潜るんですか?」ってのと、「サメとかに会わないんですか?」。

この潜水深度について聞かれたときは相手によって答えを変えているのだけれど、サメに関してはいつも答えは一緒。
「サメに会いたいんですよ、ダイバーは」と言ってる。

すると大抵の人が「襲われたりしないんですか?」とこれまた判で押したように同じ質問をしてくる。

grayreef

ホオジロとかタイガーとか、確かに絶対にお会いしたくないサメもいるけれど、私たちが潜る海域で遭遇するサメたちは、ほとんど大人しい。
むしろもっと攻撃的な奴や猛毒持った奴がいて、そっちの方がダイバーにはとっては嫌なんですよ・・・とは話すのだけど、本当はわたしもサメに会ってもあまり嬉しくはない。

ヨーロッパ人ダイバーは、おしなべてこのサメとウツボが好きだが、私はこの愛想のない無機質な冷たい目が嫌いだ。ウツボも一部の種類を除いて特に好きでもない。

加えて奴ら(サメのことです)は視力が弱いらしく、私たちがボコボコとはき出す泡の存在が気になり、至近距離まで寄ってくる奴もいる。
そんな時、必ずこの目でギョロリとこっちを睨むのだ。
その態度がまたまたむかつく。

芸をするとか目つき悪くても良いからウィンクくらいするとかすれば、もう少し愛着も沸いて大盤振る舞いしてあげても良いと思うのだが、それは無理な注文だろうな。
万が一賢い奴がいてそれをやったら何を盆に載せるか? 
ポテトチップスなんか出そうもんなら「てめえ、ナメてんのか!」と、きっと私が狙われる。







大滝詠一の「カナリア諸島にて」のかの地は、カリブあたりにあるものと勝手にイメージしてたけどアフリカの西側に位置するんだって知り、ちょっと意外な思いがした。

自分が無知なだけなんだけど(-_-)



それはさておき・・・。
一昨日、駅に向かう途中で目の前を綺麗な小鳥が横切った。
私との距離、わずか1㍍ほどの先の小枝に留まったのはウグイスだった。

春はもうそこまで来ているんだなぁ、と思わず感じた今日このごろだったのに関東地方は今年2度目の降雪です。

さてカナリア、ウグイスと小鳥が2羽登場したところで話題はガラリと変わってパノラマのお話しです。
アッ! いま登場したカナリアは鳥じゃなくって島だった。文字面だけならちょっとした違いだけど(^^;)

で、本題。
景色が全部入り込まないような広大な景色を撮影するとき、どうしてます? 
ワイドコンバージョン・レンズでもあれば良いのでしょうけど、持ってる人ってそうそういないでしょ?

最近ではパノラマモード撮影が出来るカメラもあるけど、あれってほとんどが画像の天地を縮めてパノラマ風に見せてるだけで、画角自体は普通の広角並みなんだよね。
だもんだから私はグランドキャニオンやハワイ島のキラウエア火山なんか、数カット撮影して後からくっつけてた。これがまた面倒なんだ(-_-) 画質も異なっちゃうし。

ということで、こんな時はやっぱりムービーに限るなぁ・・・というお話し。
数年前までデジカメで撮影した動画をFlash変換したりしてウェッブにアップしていたのだけど、最近じゃYoutubeにヒョイッと簡単にアップできるんで便利になったもんだ。

人のサーバだから容量の心配もしなくていいし、まさにYoutube様々なんだけどYoutube はこんなサービスしてて広告費だけで運営出来るんかしら?








「ワシャ、そんなこたぁ知ったこっちゃない」とばかりに、ウグイスがホーホケキョと鳴き始めるのはいつ頃だろうか?







イギリスに行ったことはないのだけれど、伝聞によれば食事がそうとう不味いらしい。
“不味い”なんて書くと、イギリスの方から「美味しい物だってある!」と怒られそうだが、確かにわたしも食事が旨いか不味いかなんてのは、いかに調理するかの問題であって地域や国籍の問題ではないと思うのだ。

とは言うものの、どういうわけか確かに何を食べても旨くない国はあった。

一昨年、フロリダに行った。
長期滞在用のモーテルみたいなホテルに泊まったので、食事にはほとんどホテルを出ていた。

しかし、どこで食べても旨くない。
現地の人にお勧めを聞いて出向いた日本人経営のその店は、それなりに美味しかったけれど、居酒屋のレベルを脱しきれなかった。

最終日くらいはちょっと贅沢しても美味しい物を食べようと、日本名が付いたレストランに出向いた。




正直言って手さばきでは負けるけど、同じ食材で上の彼と鉄人勝負したら勝てるのではないかと思える程度のお味だった。

食はまさに文化だと思う。
これまた行った事がないのだけれど、4000年もの歴史を持つという中国料理より、わたしはやっぱり日本が一番だと思うのだ。
歴史より文化の方が影響力は大きい。歴史を慮れば味の文化は進歩しないだろう。

そりゃあ、日本人なんだから日本の味覚が合うに決まってるっちゃあ、その通りなのだけれど、現に外国人が日本料理を美味しいと絶賛してるではないか。

外国から帰って、とにかく食べたくなるのが日本蕎麦やラーメン、そして寿司。
出来れば自宅近所で美味しいものを戴きたいのだけれど、悲しいかな私の舌を満足させてくれるお店は少ない。

つまるところ、やっぱり地域やお国の問題ではないのだ。
調理人が、どれだけ自分が供する物にプライドを持てるかの差なのだと思う。


それはそうと、年に数回も海外に行く割にはわたしは英語が得意でない。
中学、高校、そして大学。浪人時代も入れれば11年も英語の勉強してるのに、これはどうしたことか。

私は日本の学校教育が間違っているからだ! と常々言い続けていたけれど、今朝通勤電車の中でフト思った。
「結局は自分が怠慢だったからではないのか?」と。

これでも中学・高校時代のわたしは、こと英語に関しては上位の成績だった。
しかしそれは読み書きのレベルであって、ヒアリングやスピーキングではない。

10年以上もチャンス(勉強する)があったのにそれをモノにしないで、なんという徒労を続けていたのかと、無駄にした時間がもったい・・・とも思ったが、よくよく考えれば英語に限ったことではなかった。


サイン、コサイン、タンジェント。オームの法則にウェーバーの法則、剰余定理に2次関数・・・・。

いったい何処に行ってしまったのだ?


















ちょくちょく映画化もされる某・作家の作品は、ほんとによくこれだけ書けるものだと感心するほど本屋に並んでる。

そんなに多産されているにもかかわらず、いつもグイグイと引き込まれて寝る間も惜しんで読み切ってしまうのだけれど、読み終わると物語性としては大したことない事に気付くのだ。
かなりの数の作品を上梓していて、本屋に行けば何作品も平積みされているほどの彼の人気は、物語性よりその筆力に負うところが大きい。

先日、話題の映画「アバター」を観た。

数週間で過去の観客動員数を塗り替えたというのも頷ける作品だったけれど、こちらもストーリー性はといえばありきたりだ。

人間の強欲さ。
自然の大切さに美しさ。
そして愛。
今まで何度も取り上げられているテーマだ。

それでも皆が賞賛するのは、ジェームズ・キャメロン監督の手腕によるわけだけれど、よくよく考えればそれはCGと3Dという手法である。別にお初の試みではない。
確かに“パンドラ”という想像世界の美しさは、作品を観る前のわたしの想像を超えるものだったけどね。


何年前だったか仕事でロスに行った際に、ちょっとフリータイムを頂いてユニバーサル・スタジオを訪ねた。
そこで、実演する役者と映像が合体する当時としては先駆的な映画を観た。で、更にその映画は3Dメガネで見るというエンターテインメント性たっぷりのものだった。

このユニバーサル・スタジオで観た3D作品は、映像が自分の方に飛び出してくる演出で、思わず何度ものけ反ったり、会場のあちこちから悲鳴が上がるような作品だったれど、アバターの3Dは映画のコピーどおり「まさにそこに居る」かのような奥行きを主体にした見せ方だった。


一昨年他界してしまった重鎮とも言える役者さんが、ずっと、ズ~ッとむかしにお会いしたとき、「私たちは演じるだけだ。本(台本)さえ良ければ絶対に素晴らしい作品に仕上げてみせる」と言っていた言葉を思い出した。

作家も監督も、そして役者もつまるところ力量があるか否かなのだ。


力量のある人たちの作品にもっともっと出会いたい。








kanban前から一度は入ってみたいと思っていたのだけれど、何となく敷居が高く感じられて躊躇していた神田の老舗「ぼたん」です。
鳥すき焼きの専門店です。

たまたま仕事関係の方と食事をすることになり、これ幸いと行ってみることにしました。

では早速と言うことで事前に予約の電話を入れた時のことです。

わたし「予約お願いします」

オバン「いつですか?」
(普通だったら、日を聞く前に「有り難うございます」とか言うだろ!)

わたし「×日なんですが」

オバン「何人さんですか?」

わたし「2人です」

オバン「では予約お受け出来ません」

わたし「へ?」 (訳が判らずしばし沈黙)entrance 

オバン「5人さんからの予約となります」

わたし「・・・・・・・・・」  

オバン「予約は5人さんからなんですよ」

わたし「・・・・・・・・・」   (4人以下はどうすりゃいいんじゃ!)

オバン「大丈夫です。大抵、入れます。満席の時はお待ち頂くことになりますが」

わたし「待つのが困るから予約したかったんですけどね」

オバン「何時頃お見えですか?」

わたし「多分6時過ぎ頃かと」

オバン「じゃあ、大丈夫ですよ」

わたし「!?」  

6時といえばピークの時間帯ではないでしょうか?
それにしたって5人からしか予約出来ないなら、日にち聞くより先にその事を教えるべきでしょう。

なんだか割り切れなかったのですが、行ってみて納得。
一階と二階で席はかなりの数。これで満席になるのは想像するに忘年会シーズンだけじゃないでしょうか。

heya

6時半頃でこんな(↑)具合でした。

創業は明治30年だそうです。
って事は113年の歴史があるわけですね。
ちなみに建物は昭和4年建造だそうです。

hibachi

写真ではちょっと解りづらいですが、鍋はガスでなく炭火です!

とっても美味しかったです。
電話のオバサンも江戸っ子ゆえの応対なんだと許せちゃう、お味と雰囲気でした。



ここで話しがガラリと飛ぶのですが(いつものこと?)、今朝方とても奇妙な夢を見ました。



私は釣りからの帰りで、七輪で釣果の魚を焼いてるんです。
その魚がナント! ニシキテグリ! 

ニシキテグリを焼いてること自体が奇怪なんですが、そこに怪人が登場してきたのです。
全身包帯を巻いた恐怖のミイラ男のような奴なんです。
夢の中では何故かそいつをカレーマンと呼んでました。なんの脈略もなく名付けされてるのも、これまた奇妙奇天烈です。

とにかく怖くて、私はまだ焼き上がらないニシキテグリを捨てて逃げるのですが、彼は私を追ってきます。

追いつかれる!もうダメだ! というところで私は意を決して彼を思いきり蹴飛ばしました。

すると・・・・・・・・・・・・・。






「痛いじゃない!なにすんの!」


ここで目が覚めました。


どうも隣で寝ていたかみさんを思い切り蹴ってしまったようですw(゚o゚)w







タイムスリップしたような空間で食べた美味しい鳥すきが、こんな夢をみさせたのでしょうか? 





NHKの放送受信料金ってやつは、支払い義務は存在するけど仮に支払を拒んでも罰則は無い。

昔はNHKなんて滅多に見なかったこともあって、「見てないよ。うちに勝手に電波を流さないでくれ」なんて受信料徴収に来た人を困らせていたけど、今はちゃんと支払ってます。
実際、最近じゃ見るに値するテレビ番組はNHKがほとんどなんだよね。今まで徴収のオジサン困らせちゃってゴメンね。

subaru今週末の土曜から『蒼穹の昴』が再放送されるらしい。

私は活字を超える映像は絶対に無い! と思ってる。
だからこそ、この前放送していた『坂の上の雲』は、とても面白かったのだと思う(はい、まだ読んでません)。

ドラマの『蒼穹の昴』も、見れば原作の勝ちになることは明白なのだけれど、壮大な中国文化の映像美を見てみようかな・・・・、なんて今、思ってる。
ちょうど今週末はサッカーの練習も、学校催事の関係でグランドが使用できず休みなのだ(だったら、溜まりに溜まった家の諸事を片づけろって?)。



近年、この年になってようやっと歴史の面白さに目覚め(今さら遅いか?)、特に幕末から明治維新の頃の物を読むことが多くなった。
浅田次郎の「蒼穹の昴」は先月読み終えていたのだけれど、ちょうど日本のその時代の頃のお隣の国のお話しってことで、それはそれでけっこう面白かった。

「難しく考えるな。知恵も力も何もいらない。やさしさだけがあればいいんだ。大地も空も時間も、すべてを覆いつくすほどのやさしさがあれば………」。
物語の終盤での、主人公に語りかける言葉だ。

まさか今の日本の総理大臣はこの物語を読んで、あの“友愛”って言葉を使い始めたわけでもないだろうけど、これは乱世、混沌の世にあってこその言葉だ。

友愛もとっても大切だけど、いまの日本に必要なのはやっぱり知恵と力、リーダーシップだと思う。

いまの日本も充分に“混沌”としてはいるけど・・・・。










P.S.2010.2/3 一部不適切表現あり改稿






NHKが「無縁社会」という特集を放送している。
人との接触がほとんど無く、孤独死を迎える人が増えているそうだ。
困ったことや解らないことがあっても、相談する人がいない・・・。そんな若者が増えているそうだ。

友達はいる(いた)のに「こんな事、聞けない」と独り悩む。

突き詰めて考えれば、人は死に向かって生きているようなものだから、それ故に自らの人生を素晴らしいものにするべく生きるべきだ、とわたしは常々考えている。

だからこそ今日一日を大切にしなくちゃならいのだけど、社会の中で誰にも認められず接触も無ければ、いったいどのように、誰のために“今日”を大切にすれば良いのか。

rota

インターネットは、私たちの世界をものすごく小さなものにした。
昨夜もロンドンの友人からメールが届いていた。
プラハに居る友人は日々、現地の様子を知らせてくれている。

地球の裏側にいる同級生とも、瞬時に連絡が取れ彼らの日常生活もSNSやTwitterのおかげで手に取るように分かる。

けれど、その距離感を感じさせないことが逆に孤独感を増大させてはいないか?
とても遠い精神的な距離(=無縁)を作り出してはいないか?

人は対面して会話することが絶対に大切なんだ。
地球の裏側にいる友人とはネットを活用させてもらうけど、すぐそこに居る友だちに、なぜ直接会おうとしないのか?

いまの若者が礼儀を知らず、人とのコミュニケーションを取ることが非常に下手なのも、対面することが減ったことで礼儀や人間関係を学ぶ機会が減ったからだろう。

本当はちっとも孤独でも疎外もされていないのに、勝手にそのように思い込み、自ら人との接触を拒んではいやしないか?



写真はロタ島・松運丸にて。





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